サリーナ、奔走する 前編
このお話は『ルシオ、面倒な仕事を受ける』のサリーナ版です。
今日一日の授業が終わり、教科書とノートをまとめていたサリーナの頭上に、影が出来る。
サリーナ・シュベルグは「またか」と思いつつも気にせずに立ち上がる。
「あら、サリーナ様」
さも今気づきましたとばかりのセリフがついてくる。
ため息をつきそうになりながらも、振り返って丁寧に頭を下げる。
目の前には、目元がくっきりとした美人がいた。
「ご機嫌いかがでしょうか」
彼女は、侯爵家の御令嬢である。
子爵令嬢のサリーナよりも爵位が上の相手でもあるため丁寧な口調で返すと、「悪くはないわ」と満足したように頷かれる。
一歩ずつ近づいてきて、じっとりとサリーナを見つめて笑う。
「私、この間コンラード商会にお伺いしたのよ」
返事もせず、サリーナはにこにこと笑っておく。
こういうときは、返事もいらないのだ。
コンラード商会は、今貴族の中で話題沸騰中の商会である。
「いろいろと見繕って頂いたのだけど…そうそう、あの方、サリーナ様の婚約者の方だと伺いましたわ」
うんざりとした気持ちを表情に出さず、サリーナは立っておく。
サリーナの婚約者の方というのは、コンラード商会の後継者でもあるルシオだ。
「そうなのですね」
大切なのは、相槌である。
話の内容は全く気にする必要はない。
この間は「そうそう、わざわざ御代表の方が挨拶にいらしてくださって」だっただろうか。
所謂、自分の優位を見せつけたいんだな、と放置である。
「私に似合う物をわざわざ持ってきてくださって……とても素敵でしたわ」
笑顔を作りすぎて引きつりそうなサリーナだったが、必死に堪える。
ここで気を抜いてしまえば、彼女の機嫌を損ねてしまう。
それはとても面倒だった。
令嬢は、にこにこするだけで特に何も言わないサリーナを見下したように笑い、スカートを翻して去っていく。
その後ろを数名の女子生徒が追いかけていくのを見送ってから、サリーナはゆっくりと息を吐いた。
「…長いのよ」
話の内容は、大体いつも変わらない。
コンラード商会で、ルシオがいかに優しく丁寧に接客をしてくれたか、それをつらつらと語るのだ。
ルシオが選んだものを身に着け、サリーナの目の前で見せつけることも忘れない。
つまり、マウントである。
これまで接点など全くなかったのだが、わざわざ顔を出して言いたいことを言って、去っていく。
チェルシーが自分のことのように怒ってくれるからか、サリーナは彼女の発言がたいして気にならなかった。
ルシオが接客したのなら、それはそれでいい。
彼女が気に入った品物を購入できたのなら何よりだ。
問題はそこではない。
どう考えても、彼女がルシオに対してアプローチしていることだった。
侯爵令嬢には、伯爵令息という立派な婚約者がいる。
婚約者がいるにも関わらず他の男性に色目を使うことは、基本的にはよしとされない。
それでもこの国では、婚約者がいる相手を誘惑することは褒められたことでないものの、好きならばアプローチぐらいは仕方がない、と思われる。
その原因を作ったのは、サリーナ自身だった。
「私のせいなのよね…」
人生やり直しまくり令嬢、サリーナは頭を抱えた。
今や自分は神様かと思うほど、何でも思い通りにできるほど魔力が強くなったサリーナは、今世で婚約解消が簡単にできるように理を変えてしまった。
「好きな人ができた」等のとてもくだらない理由で婚約は解消できるし、貴族と平民の結婚だって簡単なことだ。
爵位が高い者であればまた違うのだが、貴族である侯爵令嬢が平民であるルシオに色目を使ったぐらいでは、たいしたことにはならない。
理を変えたのは、サリーナの勝手な理由でしかない。
しかも、あのときは特に深く考えることもなく「えい」とやってしまった。
時間を戻すことも、もう一度理を変えることもできる。
だがそれをすれば、おそらくルシオの婚約者は自分ではなくなるだろう。
それは、どうしても嫌だった。
ワガママなのはわかっていても、ルシオの側にいたいと思ってしまった。
結果として、子爵令嬢のサリーナが侯爵令嬢相手に表立って抗議するわけにもいかず、にこにこ笑うだけとなってしまっていた。
手を打たないと、とサリーナが感じたのは、侯爵令嬢が大声で自慢し始めたときだった。
わざわざサリーナがいるところまでやってきて、女子生徒に囲まれながら笑みを零す。
「ルシオ様が、我が侯爵家の別荘にいらっしゃるのよ。私のためだけに選び抜いた物だけを、持参してくださるらしいの」
周囲が騒めきたつ。
現在、コンラード商会は貴族からの来訪依頼も順番待ちになっているような状態で、すぐに対応はできかねないと言われている。
来訪依頼日と、爵位の高い相手と組み合わせて予定を組んでいるようだったが、それにしても急な話である。
また商会からの来訪ともなれば、本来はルシオの父親が顔を出すことであり、後を継ぐと言われているだけのルシオではない。
侯爵家からの指名がない限り、ルシオが出てくることはないはずだ。
「別荘は遠いから、ルシオ様には泊まって頂くことになるのだけれど……わざわざ来て下さるなんて、ねぇ」
周囲からの羨望の眼差しを受け取った彼女は、奥にいるサリーナを見つめてにやりと笑う。
立場が上だと見せつけるような態度に、サリーナは瞬いた。
高笑いをしながら去っていく背中を見て、さすがに言葉が出ない。
隣にいるチェルシーが、今にも飛び出しそうなのをそっと抑える。
「サリーナ、私は転ぶだけよ。そのときたまたま、拳が彼女の頬にめり込むかもしれないけれど」
「……チェルシーの大切な拳を、そんなことに使わないで」
「友のために使う正義の拳よ」
「ほらもう、彼女は見えなくなったわ。やめよう、ね?」
チェルシーは辺境伯爵令嬢である。
山を駆け、海と川を逞しく超えていくチェルシーの拳を使うには、侯爵令嬢はもったいない。
イノシシのごとく突撃しそうなチェルシーを宥めながら、サリーナは高笑いする侯爵令嬢を思い出す。
彼女は勘違いしたままここまでご成長されているようだが、その原因は彼らの両親にある。
「……そういえば」
侯爵令嬢のことばかり気にして忘れていたが、親は何をしているのだろう。
侯爵家ともなれば、娘の教育ぐらいしっかりしてもらわねば困ると思ったサリーナは、黙り込む。
侯爵令嬢の家系図が、一気に頭によみがえる。
サリーナは眉を寄せた。
思い出した令嬢の父親は、決してサリーナが忘れられない名前だった。
サリーナは、二度目の人生で、魔力の高さをかわれ王妃になった。
表立って国を治める王の代わりに、サリーナがまず行ったことが貴族の不正の摘発である。
多少の不正は見逃すつもりだったが、明らかな不正は国民に示しもつかないし、誰も幸せにはなれない。
その思いで魔法を広げたところ、がっつり見事に引っかかったのが、かの侯爵家であった。
この侯爵家は、魔道具の研究に力を注いでいる一族だった。
領地には王立とも劣らない研究施設があり、せっせと研究に勤しんでいると思われている最中の出来事だった。
研究成果の恩恵は国も受けていたので、個人所有は認めないような自我を奪う魔道具なども、ある程度まかせていたところがある。
領民からも慕われ、傍目から見ると何も問題ないように見えた。
ところが実際には領地のあちこちに精神的に左右する魔道具を設置していた。
領地で生活しているうちに、いつの間にか思考力を奪われ、侯爵家の言うことを聞くだけの人形になってしまうのだ。
さらに侯爵家は、夫人も含めて気に入った相手に媚薬という名前の麻薬を与え、地下に監禁していた。
彼らは魔道具で自我を失い操られ、言葉にするのも酷い扱いを受けていた。
無体を働き、命を軽んじ、好き勝手する侯爵と夫人を、サリーナも王も許さなかった。
娘である令嬢は当時、婚約していた伯爵家に嫁いだものの、病気療養として表に出てこなかったはずだ、
どうして忘れていたのだろう、とサリーナは震えた。
侯爵家をどうにかしなくては、ルシオも含めて大変なことになってしまう。
異次元の魔法を使わないと決めたサリーナに出来ることは限られている。
それでも何か、と必死になって考えた。
考えて、考えて、考えて。
唇を結び瞬いたサリーナは、顔をあげた。
サリーナとルシオが、学院の裏庭で顔を合わせたのは久しぶりのことだった。
最近忙しいと言うルシオに合わせただけだったのだが、ルシオの顔を見た瞬間、サリーナは息を飲んだ。
どう見ても、やつれている。
ルシオは元々、あまり自分のプライベートについて語らないが、明らかに表情に疲れが見える。
「ルシオ様、今日もいいお天気ですね」
「そうだね」
会話は他愛もないのに、ルシオの声には張りがない。
サリーナはルシオを盗み見て、必死に頭を回す。
「チェルシーから、カフェに新作のパフェがあると聞いたんです。ご一緒にと思っているのですが、ご予定はいかがですか?」
「ごめん、しばらくは無理かも。でも連休が終われば、一緒に行こう」
「嬉しいです。パフェは逃げませんので、ぜひご一緒に」
申し訳なさそうに言うルシオに、大げさにはしゃいでみせた。
今のルシオには、これぐらいがいいような気がした。
カフェなんて、口実に過ぎない。
侯爵令嬢は、ルシオが宿泊するといった。
二人とも学院に通う学生なので、宿泊予定があるとすれば連休だろうことは予想がついた。
ルシオがあの侯爵家に、何も考えずに行くとは思えない。
こっそり確認したが、ルシオが所属する教養科は、急ぎのレポート等の宿題はない。
この疲れは、学院の忙しさが原因でないことは明らかだ。
様子のおかしいルシオは、一体何をしているのだろう。
何かしら起きていて、その対応に当たっているということか。
もしくはその準備のために、時間を惜しんでいるか。
ルシオが何をしているのか、サリーナには想像もつかないけれど、ただ予感だけはある。
商会の後継者とされるルシオが、侯爵家が魔道具の研究に特化していることを知らないはずがない。
人の精神にまで作用する魔道具を取り扱っていることも、すぐにわかるだろう。
国に提出している報告書には、媚薬の購入履歴も残っているはずだ。
ルシオがその先の可能性に、気づかないはずがない。
魔道具は解呪できるし、媚薬も解毒剤がある。
そのことは、誰もが知っている情報だ。
遠くを見つめるルシオは、何を考えているのかさっぱりわからない。
これまでだったら魔法で心を読むことだって簡単に行っていたが、そういうことはしないと決めた。
ルシオは、何が起きているのかを決して口にしないだろう。
サリーナには立ち入れない壁があることを感じた。
ルシオの力になりたい、と拳を握りしめたサリーナは、ぎゅっと目を閉じた。
そのためには、一刻も早く成果を出さなければ。
サリーナは、やり直しまくりの人生で手に入れた、異次元すぎる魔法は使わないと決めている。
シュベルグ家は貴族ではあるがギリギリ子爵家にぶら下がっているだけで、父親には政治に口を出せるほどの力もない。
ただ、サリーナにはやり直しまくりの中で得た知識と情報がある。
動くことは、リスクを伴う。
それも、考えるだけでゾッとするほどの高いリスクを背負わなければならない。
少しでもほころびがあれば、そこからどんどんと零れ落ちていくだろう。
ルシオとの関係も、全く別の物に変わってしまう可能性すらある。
それがわかっていても、これ以上黙っていることはできなかった。




