ルシオ、面倒な仕事を受ける 後編
薄暗い部屋の中、ルシオは窓を外を眺めた。
瞬く星をじっと見た後に目を閉じて、自分の体を確認する。
下腹部に集中する熱を感じてはいたが、特にどうということはなかった。
脈拍・呼吸数を計る。
「まぁ、こんなもんか」
平坦な声が漏れた。
コンラード家の人間は、幼い頃から毒や薬に体を慣れさせる。
当然、ルシオもいくつかの毒や薬には耐性がある。
媚薬に関しては弱いものしか試したことがなく、強いものはもう少し成長してから試す予定だった。
だが、侯爵家からの誘いと調査報告書により、この1ヶ月の間に急遽に対応する必要にさらされた。
もちろん医師に相談しながら段階的に効果を上げていったが、強い媚薬はルシオの思考を奪い、抑圧された気持ちを容赦なくさらけ出した。
婚約者がいる中で媚薬を試すことの、恐ろしさを知った。
その一つ一つが蘇り、ルシオは苦々しい気持ちになる。
あの日々のことは、一生誰にも言わず墓場まで持っていく気でいる。
理性など簡単に吹き飛ぶあの感覚は、どう足掻いても忘れられないだろう。
あそこまでの暴走する本能が自分にあるとは、知らなかった。
婚約者であるサリーナに触れるのもためらうほどで、大切な彼女に心配をかけてしまった。
サリーナの純粋な気遣いは当時荒んだルシオの気持ちを救い上げたが、失態だったと思う。
彼女に心配はかけたくない。
ちらりと左手を見つめる。
この左手に、サリーナが魔法をかけた。
抱きしめたことで真っ赤になっていたサリーナだったが、ゆっくりとルシオの左手を握った。
額にルシオの左手をあて、小さく何かを嘆く。
触れたところから、じんわりと温もりがしみ込んでいった。
不思議と気持ちが穏やかになり、凪のように鎮まる。
「……サリーナ」
「よく、休めるように」
回復薬を飲んでいるので体力的には問題はないはずだが、とルシオは薄く笑う。
体力的には問題はなくとも、ルシオの精神力は常に限界のところで留まっていた。
よく休める魔法は、つまりはよく眠れる魔法である。
魔力はたいして必要ないが、精神に左右するため、コントロールはかなり難しい。
魔法科のカリキュラム上、高学年で習う魔法の一つである。
学院では、基本魔法しか勉強していないはずだが、とルシオは不思議に思う。
サリーナは大体魔力が強いシュベルグ家の令嬢である。
自宅で習ったのだろうか。
いろいろと聞いてみたいことはあったが、自分を見上げるサリーナを見てやめておいた。
代わりに、頭に手を伸ばし髪をすく。
「ありがと」
小さく告げると、サリーナは嬉しそうに笑った。
「お役にたてれば、嬉しいです」と言うサリーナを、もう一度抱きしめたくなった。
胸にあふれたのは、愛おしさだったと思う。
ぐっと左手を握りしめる。
サリーナの魔法の効果がどれほどのものか、当初ルシオにはわからなかった。
媚薬を飲んで狂った後は泥のように眠るので、睡眠が足りていないということもない。
ただ、魔法をかけてもらって以降、それまで最悪だった寝起きは改善された。
それだけでも、擦り切れそうな精神にはありがたい。
左手を見つめていたルシオは、がたりと動いた家具に顔をあげた。
動かそうとしているのだろう、鈍い音が響いている。
だが、部屋の中には魔道具が貼られ入れないようになっているため、何も動かない。
静かに呼吸をしながら、ルシオはがこがこと動く家具を見つめた。
奥にはおそらく、侯爵令嬢がいるはずだ。
必死に頑張っているのだろう、唸るような声が聞こえた。
しばらく頑張っていたようだが、やがて諦めたようで静かになる。
それに息を漏らしたのもつかの間、今度は壁の奥で物音が響く。
そこにも魔道具が設置されているため動くことはないが、奥では何やら格闘している音がする。
「何なの!」
小さな叫び声だった。
くぐもった声は、やはり侯爵令嬢のものである。
焦ったような声に、ルシオはひっそりと笑みを浮かべた。
「一生やってろ」
呟いて、目を閉じる。
意識は常に周囲に向けているものの、左手を握るだけで穏やかな気持ちになった。
壁の奥で動きがやんだと思えば、今度は額縁の裏で物音が聞こえる。
それも放置していれば、次は床下。
天井でも音がしていたが、やがて諦めて静かになっていく。
時間にして深夜だ、誰かに頼るのも難しいだろう。
せいぜい頑張ってくれ、と欠伸をする余裕まである。
そうしてうるさいネズミと戦ったルシオは、窓の外から入ってきた日の光に目を細めた。
夜が明けたのだ。
一睡もしていないルシオは回復薬を飲み、すっきりとした気持ちで朝食を頂いた。
昨日と違い、何を口にしても最高においしく、気分がいい。
同じ部屋で朝食をとっている侯爵と夫人は、何故か動きがぎこちない。
娘である令嬢は、体調がすぐれないと部屋から出てくることもなかった。
朝食をとった後、ルシオは秘書の男とさっさと侯爵家からお邪魔することにした。
顔色の悪い公爵に令嬢を心配する言葉を告げ、丁寧に感謝の言葉を述べて、頭を下げる。
そして、振り返ることなく馬車に飛び乗った。
「お疲れさまでした」
しばらくしたところで、馬車に同乗する秘書の男が声をかけてくる。
「そうだな」と軽く返す。
疲れたのは間違いないが、気持ちは晴れやかだ。
目の前のこの男も、昨晩は一睡もしていないのだろう。
ルシオと同じく回復薬を飲んでいるので元気そうだが、心配をかけたのは間違いない。
「こっちこそ、面倒な仕事に付き合わせて悪かったな」
「何をおっしゃいますやら」
男はゆっくりとほほ笑んだ。
コンラード家と男との付き合いは長く、彼はルシオの父親に返しきれないほどの恩を感じている。
ルシオが無事で本当に良かった、と心の底から思い見つめていると、ルシオが視線を反らす。
「……その目はやめろ、子供を見る目と変わらない」
「それは失礼しました」
少し膨れた様子のルシオは大変貴重だったが、指摘するのもやめておく。
ここ一ヶ月のルシオの様子を知っている男は、晴れ晴れとした様子のルシオに目を細めた。
馬車は寄り道をすることなく、真っすぐにコンラード家の邸宅に到着した。
ルシオが玄関を通り過ぎると、帰宅を知った父親が転がるように飛び出してきた。
「ルシオ!」
「落ち着け、怖い」
ルシオの顔を見た父親の顔が歪む。
朝一で鳥を飛ばして結果を報告済みだが、それでも心配をかけたのだろう。
目の下に、くっきりと隈が出来ていた。
「寝たら?」
「本当にお前は、口が減らんな」
そう言いながら、父親はルシオを力いっぱい抱きしめた。
大の男に抱きしめられ、ルシオが引きつった声をあげる。
父親に抱きしめられて喜ぶ年齢は、とっくに超えた。
思いっきり力を込めているので、背中が軋んで痛い。
「こ、の何っ」
「……良かった、ルシオ」
耳元で、静かな父親の声がした。
父親の足を踏みつけようとしていたルシオは、瞬いた。
そろそろとあげていた足を下ろす。
「……とりあえず離せ。痛い、折れる」
とんとんと腕をたたいてアピールをすると、父親はルシオを離す。
その瞳を真っすぐに見れず、ルシオは視線を反らした。
「疲れたから、部屋に戻ってるよ」
「しっかり休めよ」
父親は声をあげた。
明日からは休む間もなく、学院での授業が始まる。
昼食は、ルシオの母親が手作りした料理が、これでもかと並ぶ予定だ。
彼の好物ばかりが出るはずなので、もりもりと食べて欲しいと思う。
媚薬に体を慣らす日々で、ルシオの食事量はどんどんと減っていった。
弱音も吐かずやり切った息子に対して、おいしいものを好きなだけ食べて、ゆっくりと休んでほしいと願う。
それから、遅くなる前に学院近くにあるルシオの部屋まで送ってやらねば。
自室に戻るルシオの背中を眺めていた父親は、その目を細める。
その瞳が鋭く光る。
「今度はこっちの番だ」
いつものように学院の裏庭でサリーナと待ち合わせたルシオは、準備していた本を手渡した。
表紙に描かれたリアルな熊の絵を見たサリーナが、目を丸くしている。
「どうしたんですか、これ」
「この間仕入れたから、あげる。興味があるんじゃないの、熊」
そんなこと言ったかな、と頭を捻っている様子のサリーナを見ながら、ルシオは座る。
この本は、サリーナへのお礼のつもりだった。
あのとき精神的に擦り切れていた自分を支えてくれたうちの一人は、間違いなくサリーナだった。
詳細を伝える気はこれっぽっちもないが、何お礼をしたいと思って選んだのが本である。
リアルな熊が描かれている本など普通の令嬢が気に入るとは思えないが、アクセサリーや宝石もあまり興味がないサリーナへのプレゼントとしては、悪くないはずだ。
「小熊」
未だに本の表紙を眺めながら悩んでいる様子のサリーナに、一言だけ伝える。
ぱっと顔をあげたサリーナは、すぐに何かを思い出したようにルシオを見た。
瞬間、顔が赤く染まる。
いろいろとしっかりと思い出した様子のサリーナに、ルシオはくすりと笑う。
「また、頭に葉をつけてみる?」
「つけません!」
「そう? 残念」
たいして残念そうにないルシオを横目に、サリーナは本をめくった。
どのページにもリアルな熊がもりもりと描かれ、それぞれの説明がついている。
「ありがとうございます」
嬉しそうな顔でお礼を言うサリーナに、ルシオの方が温かい気持ちになる。
ウキウキと本を読み始めるサリーナの右手を取った。
せっかくの二人きりの時間を、本に取られてはたまらない。
「家に帰ってから読んで」
「そうですね、すみません」
本を横においたサリーナの手を、何も言わないからとそのまま握る。
離してほしいのだろう、サリーナがその手をそっと引っ張ったが、気づかないふりをして握りしめた。
本気で嫌がられているわけではないとわかっていて「俺さ」と口を開いた。
「この間までちょっと忙しくて、本当に精神がりがり削られたんだよね」
遠くを見ながらルシオが続ける。
隣のサリーナがどんな表情をしているのか、見ることができない。
「とりあえず終わったけど。でもやっぱり今でもキツイときが、あってさ」
そこまで言って、言葉を切った。
横を見ると、黙ったままのサリーナが自分を見つめていた。
ルシオの言葉を待ってくれているのだと気づく。
握った右手に力がこもった。
「だからってってわけじゃないんだけど……抱きしめてもいい?」
声が、震えた。
自分で言っておきながら、脈略がなさすぎるお願いに呆れてしまう。
さすがに引いたかと怖くなるが、サリーナは薄くほほ笑んだだけだった。
その瞳がゆっくりと細くなる。
「はい」
こくりと頷いたサリーナが、自分の頭をルシオに寄せた。
初めてのことに戸惑うが、服越しにサリーナの少し高めの体温が伝わってくる。
抱きしめていいのかと、自分で言いだしたくせにぼんやりと考えた。
少し態勢を変えて伸ばした手を、サリーナの背中に回す。
だんだんと恥ずかしくなったようで、サリーナの手がルシオの服を握りしめた。
耳まで真っ赤なのに、こうやってルシオの腕の中にいてくれるのが嬉しくてたまらない。
ゆっくりと深呼吸をすると、花のような香りがした。
落ち着いていく自分がわかる。
サリーナの頭に頬を寄せたルシオは、困ったように唸った。
「サリーナは、俺を甘やかしてどうするつもりなんだか」
「え、甘やか……え?」
何を言われているのかわからないサリーナがあたふたしている中、ルシオは声をたてて笑った。
抱きしめたサリーナは、やっぱり温かくて柔らかい。
媚薬を飲んで狂ったことに気付いた、朝のことを思い出す。
あのとき感じた絶望した気持ちが、柔らかく解けてていくようだ。
気付いていないのなら、そのままでいい。
ただ、自分はサリーナがいないとダメになりそうだな、と思わず苦笑してしまったが。
学院を含め、貴族間が一気にバタついたのは、それからしばらくしてからだった。
侯爵家が1つ、取りつぶしとなったのだ。
学院に通っていた侯爵家の令嬢は退学となり、そのまま誰にも言わず去ったようだ。
貴族であるサリーナは、取りつぶしとなった侯爵家に、ルシオが泊まり込みで行ったことがあることを知っていた。
侯爵令嬢は、宿泊込みで別荘にルシオを呼んだことを言いふらしていたので、結構な噂になっていたようだった。
それすら気を回す余裕がなかったと気づかされてルシオは大変落ち込んだが、現状何も変わらなかった。
学院生活に、特に支障はない。
父親と話をして、宿泊込みでの接待は侯爵家以外でも組んでいたので、ルシオを含めてコンラード商会は巻き込まれただけと言われている。
事前に手をうっておいて良かったとしか言えないだろう。
実際にルシオは何もしていない。
持ち込んだ魔道具は解呪のものが多く、違法なものはない。
サリーナもサリーナで、ルシオに何も尋ねることはなかった。
ただ「できることがあればおっしゃってくださいね」と言って、それ以上は何も言わずに側にいてくれた。
それにどれだけ助けてもらったのか、彼女は知らないだろう。
あの侯爵家は、精神作用する魔道具を使い人を操り、時に媚薬を使って逃げられないように囲っていた。
思考力を奪い淡々と仕事をさせ、劣悪な環境で過ごさせていた。
領民の信頼が厚かった理由は、ただただ魔道具の影響に過ぎなかった。
それだけではなく、侯爵も夫人も、地下にはそれぞれお気に入りの相手を複数名監禁しており、逃がさないように酷い扱いをしていた。
人権など考えず、自分の欲望のままに無体を働いたのだ。
領地運営も酷く、国から派遣された調査員が、あまりの状況に絶句するほどだったという。
父親から一連の話を聞いたとき、ルシオは侯爵家の取りつぶしの背後に見え隠れする、父親の存在を感じ取った。
コンラード商会だけの力でこの短期間で侯爵家を取りつぶせるとは思わないので、別の力も働いただろう。
しかし、少なくとも何かの形で噛んでいるのだろうと思った。
とはいえ、今はそこを追求する気はない。
誰がどうしたって、侯爵家がつぶれたことだけが事実だ。
ただただ面倒な仕事だったな、とルシオは欠伸をしてベッドに潜り込む。
よく眠れそうだ。




