第六章:赤鬼の雷鳴、そして救いようのない遺伝子の謎
「――馬鹿野郎ーーーーーーーッッッ!!!」
菅原家の家長であり、温泉宿の主人である博史の、地響きのような怒鳴り声が古い木造の館内を激しく震わせた。博史の顔は怒りで完全に赤鬼のように変形している。
「お客様に向かって怒鳴り散らした挙句、廊下までぶっ飛ばす中居がどこの世界にいるんだーーーッ! この大馬鹿者がッ!」
「ひ、ヒカル様! 大丈夫ですかヒカル様ーっ! しっかりして頂戴!」
廊下では、母親の陽子が、凛の超神速ビンタによって襖を突き破り、無残に鼻血を出してひっくり返っているヒカルの元へ駆け寄り、必死になってその名前を叫んでいた。
まさに菅原家は、歴史上類を見ないレベルの大カオス状態へと突入していた。
しかし奇怪なことに、この大騒ぎの張本人である「テーブルの周りに堂々と座る軍人、忍者、ろくろ首」の珍客三人組の姿は、怒り狂う博史の目にも、慌てふためく陽子の目にも、一切映っていない様子だった。
「だって! こいつが部屋に入るなり変なこと言うし、いきなり金縛りに遭ったと思ったら、私の胸を触るセクハラをしてきたから……!」
凛は父親の凄まじい剣幕に怯みながらも、必死になって正当防衛であることを言い訳した。だが、博史の怒りは収まらない。赤鬼の形相のまま、大慌てで廊下のヒカルに向かって何度も何度も頭を下げた。
「お客様、本当に、本当に申し訳ございません! 娘の教育が行き届いておらず――」
その時、鼻血をティッシュで押さえながら、ヒカルがふらふらと目を覚ました。彼は頬を真っ赤に腫らしながらも、ススキノの修羅場を潜り抜けてきた男特有の、信じられないほどのポジティブさでニカッと笑った。
「あ、大丈夫ですよお父さん。気にしないでください。……それより、今日の晩御飯、マジで楽しみにしてます!」
「……え? あ、は、はい! すぐに最高の料理をご用意いたします!」
あまりの物分かりの良さ(?)に拍子抜けした博史は、大慌てで厨房へと引き返していった。
鼻血を拭き、何事もなかったかのように客室へと戻ってきたヒカルは、呆然と立ち尽くす凛の目の前で、未だに心配そうにオロオロしている母親の陽子へと視線を向けた。そして、これ見よがしに前髪をバサッと掻き揚げると、甘ったるいホストの声を響かせた。
「お母さん、さっきはうちの凛ちゃんが騒がせちゃってすいません。……それにしても、お母さん、マジでお綺麗ですね。まつ毛がすっげえ長いし、髪もツヤツヤでサラサラしてて最高じゃん。札幌のススキノを探したって、こんなに素敵な大人の女性、なかなかいませんよ?」
「え、ええっ!? やだ、そんな……! 札幌だなんて、そんなお上手言っても何も出ないわよぉ……!」
陽子は一瞬で顔を林檎のように真っ赤に染め、両手で頬を押さえながら、少女のように真面目に照れ出してしまった。
(……やっぱりコイツは、救いようのない本物のバカだ)
凛の冷めきった瞳がヒカルを射抜く。
陽子が嬉しそうに「お母さん、張り切って美味しい夕飯作っちゃうからね!」と厨房へ戻っていくと、部屋には再び、凛と、ヒカルと、そして見えない先祖三人の空間が戻ってきた。
凛は大きくため息をつくと、ヒカルに向かって声を落として告げた。
「いい、落ち着いて聞いて。……ドッキリでも何でもないの。この部屋のテーブルの周りに座っているこの方たちは、あなたのパンダのぬいぐるみのお祓いによって実体化した、あなたを邪悪なものから守ってくれている『本物のご先祖様』たちよ」
凛の真剣な表情に、ヒカルはさすがに表情を引き締め、真面目にびっくりしたような顔をして三人を見つめた。
「え……? ガチで言ってるの、凛ちゃん? それ、ヤバくないか……?」
(よし、さすがに理解したか)と凛がホッとしたのも束の間、ヒカルの口から飛び出してきたのは、全人類の予想の斜め上をいく、驚愕の言葉だった。
「んじゃあさ……俺のこの、世界を狂わせるレベルの美貌の遺伝子は、一体この三人のどこから来たわけ? 誰の遺伝子が覚醒したら、俺みたいなイケメンが爆誕するわけ!?」
しーーーん、と、客室の空気が完全に凍りついた。
軍服の柴崎少佐は湯呑みを持ったままピキッと凝固し、忍者の佐助は天井裏を見上げたまま完全にフリーズし、ろくろ首のお菊にいたっては、あまりの衝撃に長い首がガクッと折れ曲がっている。
凛は、ただただ口を半分開けたまま、目の前のナルシストホストを凝視するしかなかった。
(……ダメだ。コイツは、ご先祖様が束になっても救えないレベルの、宇宙一のバカだ……!)
ヒカルの背後で、あの「白・黒・紫」の煙が、主人のあまりのバカさに一瞬呆れて縮むのを、凛は確かに目撃したのだった――。




