第五章:ご先祖様は成仏できず、バカな子孫は廊下まで吹き飛ぶ
畳の上で目を覚ました凛は、パニックで奥歯をガタガタと鳴らしながら、数センチ後ろへと這って後退した。
夢ではない。目の前のローテーブルには、やはり「ありえない」三人が当然のように座っている。
(な、何なの……本当に何なの、この人たちは!?)
「うむ。自分は大日本帝国陸軍・関東軍参謀の柴崎少佐である」
大真面目に名乗った坊主頭の男の胸元には、鈍く光る参謀肩章と階級章、そしていくつかの勲章が精巧なディテールで並んでいた。腰に帯びた軍刀の重々しい鉄の質感、そして何より冷酷なまでに鋭いその目つき。
(なんて怖いおじさんなんだ……。怒鳴ったりしないよね?)
次に凛の視線は、部屋の隅の影に潜む黒装束の男へと向く。
(手裏剣とか出すの、こいつ……?っていうか、登別伊達時代村から逃げ出してきたコスプレのガチ勢じゃないよね!?))
そして、問題はテーブルの真ん中で長い首を蛇のようにくねらせている女だった。
(いや、見世物小屋じゃないんだから! ありえない、首が長すぎるーーッ!!)
恐怖と混乱が限界を迎えた結果、二十歳の凛の脳は逆に一周して、接客業としての防衛本能を作動させた。彼女は文字通り、蚊の鳴くような震える声で絞り出した。
「は、初めまして……。私は菅原凛です。実家の温泉宿へ、ようこそ……。あの……、あそこに泊まっているヒカルさんとは、どのようなご関係ですか……?」
すると、軍服の柴崎少佐が、湯気の立つ湯呑みを置いて生真面目に言った。
「うまい緑茶をありがとう。貴殿の宿に世話になる。……実を言うと、自分らはあのバカの先祖にあたる者たちである。今日、あの神主の施したお祓いのおかげで、こうして貴殿と話す(実体化する)ことができたのだ」
「拙者が一番古い祖先だと思うが……」
影から音もなく進み出た忍者が、深いため息をつきながら言った。
「なにぶん、あのようなバカな子孫ができてしまった為に、我が一族の行く末が心配で、成仏など到底できなかった。お世話になる、かたじけないな。佐助と申す」
すると、天井付近まで首を伸ばしていた着物の女――お菊が、首をぐにゃりと曲げて凛の目の前まで顔を近づけてきた。
「私は明治時代の生まれよ、お菊よ。何故だか死ぬ前にろくろ首になってしまいました。……凛ちゃん、注意せんと、あのバカもこのままだと本物の妖怪になってしまうわよ」
「……は?」
凛は完全に空いた口が塞がらなくなった。先祖がバカすぎて成仏できない忍者と軍人、そして子孫がバカすぎて妖怪になりかけているという明治のろくろ首。どこから突っ込んでいいのか完全に迷子になっていると、ガラリと小気味よい音を立てて襖が開いた。
「いやー、いい湯だったよ、凛ちゃん! ……おっ!?」
ホカホカと湯気を立て、浴衣姿になったヒカルが部屋に戻ってきた。そして、部屋にいる軍人、忍者、ろくろ首の三人を見るや否や、パンッと両手を叩いてパッと目を輝かせた。
「いいねー! 弟子屈のドッキリは気合いが入っているわ! だから田舎っていいよねー、マジ最高!」
ヒカルは一階の自販機で買ってきたらしい缶ビールをプシューと景気よく開け、グビグビと飲みながらゲラゲラと笑った。この男の脳内では、未だに「宿のサプライズ演出」ということになっているらしい。
(違う、ドッキリじゃない! 早くこのバカに説明しなきゃ……!)
凛は中居としての正装のまま、慌ててヒカルに近づいて真相を話そうとした。
――その瞬間、身体が凍りついた。
金縛りだ。足元から這い上がってくる、あの「白・黒・紫」の不気味な煙の冷気が凛の自由を奪い、声すら出せなくなる。
そんな凛の異変に気づくはずもないおバカなホストは、「お、凛ちゃんどうしたの? 固まっちゃって」と、あろうことか金縛りで動けない凛の身体を正面からガシッと抱きとめた。そして、そのチャラついた手のひらで、凛の胸のあたりを容赦なく揉みしだいた。
「お、凛ちゃん、意外とあんじゃん。Bカップかな? これ当たりかな?」
……ピキィィィン。
凛の脳内で、金縛りの冷気を遥かに凌駕する「漆黒の殺意」が爆発した。
恐怖も、霊的な金縛りも、怪異への混乱も、すべてが怒りの臨界点を超えて一瞬で完全な「冷静(冷徹)」へと切り替わる。
ドゴォッ!!!
凄まじい肉声と共に、凛の右ストレート気味の渾身のビンタがヒカルの頬に炸裂した。
二十歳の女子の放った一撃とは到底思えない破壊力により、ヒカルの身体は文字通り宙を浮き、客室の襖を頭から突き破って、外の廊下の突き当たりまでズサーーーッと物凄い勢いで吹っ飛んでいった。
「ギャー、何事だべ!?」
「ヒカル様ーーーッ!」
襖が破壊された凄まじい爆音に、一階から再び凛の両親が悲鳴を上げながら階段を駆け上がってくる。
壊れた障子の向こう、廊下で白目を剥いて倒れているホストと、部屋の中央で髪を逆立てて仁王立ちしている娘の姿を見て、父親の怒りのボイラーが再び大爆発するのを、凛は「あ、終わったな」とどこか他人事のように見つめていた――。




