第29話 柏木少佐
その装甲車の二十ミリ・マウザー機関砲銃座では、一人の女性が気楽そうに腰掛けていた。
軽装甲プロテクターを身に着け、腰には.50AE仕様のデザートイーグルをホルスターへ収めている。
風になびく長い黒髪。
前髪は美しく切り揃えられた姫カット。
整った目鼻立ちは、まるで絵巻物から抜け出してきたような傾国の美女を思わせる。
しかし、その瞳だけは歴戦の兵士そのものだった。
八王子軍警少佐。
機動装甲擲弾兵中隊・ヘルハウンド隊隊長。
柏木沙織。
その隣には、副官である橋本凛中尉が静かに腰掛けている。
沙織は二十ミリ機関砲の銃座横へ固定された隊長用クーラーボックスを開けた。
保冷剤の冷気がふわりと立ち上る。
「おっ、まだキンキンや。」
中から取り出したのは、大きなシャインマスカットシュークリームだった。
「橋本ちゃん。」
「これ、コンビニで一個八百円もしたんや。」
「めっちゃ高かったけど、マジでうまいから食べてみぃ!」
橋本は苦笑する。
「勤務中ですよ、隊長。」
「それに、一個八百円は高すぎませんか?」
沙織は肩をすくめ、大きく一口かじった。
「うっまぁ……。」
「しゃあないやん。」
「戦争終わって、まだ六年や。」
「降魔戦争は二十年も続いた。」
「日本だけで市民が六百万人殺されて、兵隊も百五十万人戦死。」
「負傷兵は三百万人。」
「難民になった市民は千五百万人。」
「病気や餓死、行方不明まで入れたら千二百万以上。」
「合わせたら、二千万人近い日本人が死んどる。」
橋本は静かに頷く。
「人口一億二千五百万人の……約六分の一ですね。」
「せや。」
「戦争終わって六年経った今でも、全国の難民キャンプには五十万人近い人がおる。」
「海外も日本も農地や工場、港湾施設が壊滅してもうた。」
「食料の生産も輸入も、昔みたいには戻っとらん。」
「せやから食べ物は高い。」
「甘いもんなんか、昔みたいに気軽には買えへん。」
沙織はシュークリームを見つめ、少しだけ笑った。
「せやけどな。」
「こうしてクリームたっぷりのシュークリームを食べられる。」
「それだけでも奇跡や。」
「戦争中やったら、一個八百円どころやない。」
「金を積んでも手に入らんかった。」
もう一口頬張る。
「ほんま、シュークリームなんか奇跡の代物やで。」
橋本も微笑んだ。
「だから隊長、そんなに嬉しそうなんですね。」
「当たり前や。」
「平和になった証拠やからな。」
沙織は空を見上げ、小さく笑う。
「うちら、ずっと戦争ばっかりやったやろ?」
「レーション食うて、蛇を焼いて食うて、缶詰ばっかり。」
「甘いもんなんか夢のまた夢やった。」
「ほんま、あのクソみたいな降魔戦争が終わって良かったわ。」
橋本は静かに頷く。
「……はい。」
沙織は遠くを見るような目になった。
「戦争が始まった頃な。」
「うち、東京で子役とモデルやっとったんよ。」
「ちょっとだけ売れとってな。」
「叔父さん夫婦の家から仕事に通っとった。」
「せやけど、九州や四国に魚どもと邪神眷属が上陸してから、全部終わった。」
「鳥取の実家とは最初は連絡取れとったんや。」
「でも二、三年したら戦況が悪うなってな。」
「どうしても家族の所へ帰りたくて、民間防衛隊に志願した。」
「奈良防衛線が、うちの戦争の始まりや。」
食べかけのシュークリームを見つめながら、ぽつりと続ける。
「何年も戦って……やっと鳥取へ戻れた。」
「……でも、家族は誰もおらへんかった。」
橋本は何も言わない。
沙織は静かに話を続ける。
「生き残っとった姉ちゃんだけ見つかった。」
「会いに行ったら……。」
「手足を切り落とされて、魚人の苗床にされとった。」
「正気も失っとった。」
一瞬だけ言葉が止まる。
「最後に少しだけ正気を取り戻してな。」
「『沙織……殺して』って。」
「せやから、九ミリ拳銃で心臓を撃ち抜いた。」
周囲の兵士たちは黙ったままだった。
誰も止めない。
誰も慰めない。
それが何度も聞いた、隊長の過去だからだ。
「母ちゃんも苗床にされて三人産まされて死んだらしい。」
「国防軍の工兵が遺体を見つけてくれてな。」
「『見ない方がいい』って言われたけど……見た。」
「虫に食われて、姉ちゃんと同じ姿やった。」
「DNA簡易鑑定で九十九・八パーセント一致。」
「母ちゃんやった。」
沙織は静かに息を吐く。
「親父と弟は九州要塞建設に連れて行かれて強制労働。」
「親父は餓死。」
「弟だけは生きとった。」
「……親父を食うて、生き延びたそうや。」
「弟が渡してくれたんよ。」
「親父の頭蓋骨を。」
長い沈黙が流れる。
やがて沙織は残っていたシュークリームを最後の一口で食べ終えた。
「……だからな。」
「うちは家族を殺した魚どもも、邪神眷属も。」
「一匹残らず殺した。」
その声は静かだった。
怒鳴るでもなく、泣くでもなく。
長い降魔戦争を生き抜いた兵士だけが持つ、凍てつくような静けさだった。




