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第8話


「ん?」


 ジルが問い返す。


「誰にも見付からない場所を目指そうと思っていたの。どこか遠く、馬車に乗って……」


 目的地は無かった。ただ見付かって、引き戻されたくなかったのだ。あの冷たい床の上に。

 それ以上は語れなかった。

 

 ジルは、ようやく私から出てきた回答を扱いに困っているようだった。ここまで助けてもらっておいて、返せる『報酬』がこれっぽっちだなんて私も申し訳なくなる。恩知らずになるつもりはないが、言えないものは言えないのだ。

 しばらくの間の後、ジルはぽつりと言う。


「じゃ、行ってみる?死の森。あんなとこ、誰も追ってこないよ」

 

「死の森?」


 聞き覚えのない単語を復唱して問い返す。


「そ。ここから北の方にある森でね。入った者は二度と出て来られないと言われている。つまり墓場そのものさ。だからこんな名前が付いた」

 

(ぶ、物騒すぎる……)


 入ったら二度と出て来られない。その森に立ち入ること自体が、死を示している。なんと分かりやすい名前をつけてくれたんだろう。もちろん断るために首を横に振りかけて固まる。


「も、もしかして心中……!?」


 彼はそこに行く必要でもあったというのか。慌ててテーブルにバンと手をつき、驚いた顔のジルに向けて身を乗り出す。


「ダ、ダメよそんなことを考えては!……確かにあなたはちょっとチャラいし、プライバシーもガン無視で気持ち悪いくらい人の情報を持っているけど!でも、こんなに良い人なんだから、思い詰めないで――」

 

「あはは、違う違う。レイア」


 ここで止めなくては、と焦った口に人差し指を押し当てられる。物理的に封じられたわけではないけれど喋りにくくなり、思わず次の言葉を飲み込む。


「別に命を捨てにいこうっていうんじゃない。ただね、俺はその森の噂が気になっているのさ。情報屋だもん、レアな情報は欲しい」


 黙った私から指を引いて、ジルは椅子の背に重心を預ける。


「死の森には、百年前に聖王から処刑を命じられ、逃げ出した大賢者が隠れ住むという。そんな噂があるんだ。その大賢者の呪いによって、あの森は死が約束されてしまっていると。けど、俺は聖女の力ならその呪いを打ち払えるんじゃないかなって、そう思ったんだ。もしかしたらその大賢者が、君の役に立つかもしれないし……」


 息が詰まった。

 死に戻る前、大聖堂で受けた授業を思い出す。

 大賢者。図書館の本よりも膨大な知識を持ち、誰も知らない魔法すらも扱うと言われた知恵者。


(他の世界についての情報……世界を渡る魔法……)


 突然、道が開かれた気分だった。

 あんなに毎晩本を読み漁っては、どこにも希望が見当たらず落胆していたのに。

 けど、と続けてジルは肩を竦める。

 

「死の森なんて言われたら怖いよな。やっぱ、この話はナシで――」

 

「いいえ、行くわ!」


 食い気味に叫ぶ。もちろん彼に少しでも情報という名の報酬を与えられるのなら、聖女の力を利用されるのも悪くはない。だがそれ以上に、そこに辿り着かなければならない理由が出来てしまったのだ。

 目を丸くするジルに縋るように、彼の気が変わってしまわないうちに。今すぐ発ちたいと言い出したのは私だった。




 -----------------------------------------




「まさか、本当にこうなるとはね。俺としちゃ願ったり叶ったりだけど」


 死の森の、まさに入口に立っていた。

 城下町から馬車に乗って数時間。そんな曰く付きの森の近くを好き好んで通る馬車などあるはずもなく、更にそこから徒歩で二時間ほど。

 もう少し進めば森に踏み込んでしまう、そんな場所でジルは呟いた。その肩の向こうで夕陽が沈んでいく。夜が訪れる。

 この一帯の森は不気味だ。幹から葉まで全て色を失ったように灰色だ。それに見上げても頂点が見えないほど背が高く、どの木も棒のように真上に真っ直ぐ生えている。まるで誰かが描いた絵画のような不自然さが色濃くあった。


「こんな森に夜踏み込むのは危険過ぎる。今日はここで野宿にしよう」


 ジルは言った。気持ちが急いている私は反論しかけたけれど、それを許さないと言うように彼は首を横に振る。


「レイア。夜の森ってのは本当に危険なんだ。明るい内に様子を見てから夜に進むのとはワケが違う。もし崖にでも落ちてみろ、大賢者の呪いで死ぬ前にあの世行きさ」


 確かに、大賢者に会えなければ意味がない。大人しく頷いて、従うことに決めた。

 ジルが枯れた枝を集めてきて小さな焚き火を作る。私もその内の何本かを手伝い火に焚べた。

 ジルが持ってきていた干し肉で少しだけお腹を満たすと、自覚は無くともやはり疲れていたのかすぐに眠気が訪れる。大木に背中を預けると、静寂の中パチパチと弾ける焚き火の音だけを聞きながら、すぐに眠りに落ちてしまった。



 

 翌日は、日が昇り起きてすぐに森に入った。

 背の高い木々が鬱蒼と生い茂る森は、少し進んだだけで陽の光すら届かなくなりかなり薄暗い。


(夜に入らなくて正解だったな)


 幸い急に現れる崖などは無く、ただひたすらに平坦な道が続いているだけだったが、そこかしこに木の根が飛び出ている。今以上に暗くなるとそれを避けることさえ難しそうだ。

 しばらく歩くと、都合の悪いことに深い霧が出てきてしまった。一瞬で霧に包まれる。

 ジルが珍しく真面目な声を上げる。


「レイア、離れるな。この霧は何かおかしい。もしかして、これが……」


 言われて目を凝らすと、霧はどんどん濃くなり、もう伸ばした手の先さえ霞むほどだった。互いの手がぶつかりそうな距離までジルに近付く。この霧の中ではぐれたらどうなるか分からない。

 絶対に視界から外れない位置まで近付くしかない。ここに至ってもジルは「手を繋ぐ?」と笑っていたが、丁重にお断りしておいた。


 あれから何時間歩いたか。全く視界が確保出来ないまま、宛てもなく歩き続けるのは苦行だった。それに、来た道を見失ってしまったのだ。進む方向を変えた記憶は無いのだが、ジルが傷を作って目印にした大木さえ、いくら戻っても見当たらなかった。

 不穏な気配の中、雑談を交わす体力さえ温存して、静かにひたすら歩く。

 聖女の力で祓えないかと何度か光の魔法で周囲を照らしてはみたけれど、何も起きなかった。ずっと薄暗いせいで今が何時なのかも分からない。首を伝った汗を手の甲で拭う。


「ジル、もう一回魔法を使ってみるわ」

 

「体力は平気か?」

 

「ええ。後で少し休ませてもらうかもしれないけどね」


 負担の少ない光の魔法とはいえ、消耗はする。

 私は右腕を高く上げると、その指先に魔力を集中させる。死に戻り前の一年間で訓練した成果で、指先から放たれた輝きは多方向に光を伸ばした。まるで海を照らす灯台の光のように、霧の向こうを照らし出そうとする。


「ジル、何か見える?」

 

「んー……いや、何も見えないな。もう少し進もうか」

 

「ええ、分かっ……きゃ――!」


 驚きに声が上がる。

 掲げた右腕が、ジルのいる方向とは真逆の、背後から突然掴まれたからだ。

 反射的に見上げると、そこにはこの森と同じように色の無い銀の髪。そして暗い森よりずっと昏い瞳をした青年が、私の腕を掴んで立っていた。

 

 

―第1章 完―

 

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