第81話
床一面に、無数の古代魔法陣が浮かび上がった。
「踏むな」
オズの声と同時に、私のすぐ前にあった紋様が白く瞬く。
反射的に後ろへ跳んだ。
直後、床から鋭い何かが突き出す。
刃のように細く伸びた白い結晶が、私の髪を掠めた。
「聖女様は下がってて」
リオンが私の前へ滑り込み、大剣を横薙ぎに振るう。
刀身へ纏わせた炎が結晶をまとめて砕き、砕けた破片が床へ降り注いだ。
けれど、魔法陣の輝きは消えない。
ひび割れた床の下から、新たな紋様が幾つも現れる。
重なり合い、繋がりながら、祈りの間全体を覆っていった。
「こんな数……!」
「術者が描いているものではない」
オズの足元に四つの魔法陣が描かれる。
床が大きくせり上がり、私達を囲うように分厚い土壁が生まれた。
ほぼ同時に、外側から何かがぶつかる。
激しい衝撃に、壁全体が震えた。
「大聖堂そのものに刻まれている。恐らく、建てられた時からな」
「では、あれら全てを教皇一人が操っているのか」
ベリルの掌には黒炎が灯っていた。
赤い瞳は、土壁の向こうにいる教皇を真っすぐ見据えている。
「一人の魔力で動かしているわけではない」
オズは短く答え、頭上を仰いだ。
「蓄えられたものを使っている」
何を指しているのか、すぐに分かった。
祈りだ。
長い年月を掛け、大聖堂へ集められてきた人々の祈り。
救いを求める声も、感謝も、亡くした誰かを思って流した涙も。
教皇は、その全てを力として蓄えていた。
土壁へ亀裂が走る。
「来るよ」
リオンが大剣を構え直した瞬間、壁が外側から砕け散った。
その向こうにいたのは、教皇ではない。
人の胴体に、何本もの細長い腕。
顔があるはずの場所には、縦に開いた大きな口だけがあった。
異形だ。
床の魔法陣から這い出し、私達へ向かって腕を伸ばしてくる。
「余の前へ、二度とその醜悪なものを出すな」
ベリルの黒炎が床を駆けた。
炎は異形の足元から一気に全身へ燃え広がる。
叫び声を上げる間もなく、その身体は黒い灰へ変わった。
けれど、灰の向こうでは別の魔法陣が輝いている。
一体。
二体。
次々と、異形が這い出してくる。
「どれだけ呼んだの……」
「必要なだけです」
教皇の声は変わらず静かだった。
祭壇の前に立ったまま、指一本動かしていない。
それでも古代魔法陣は教皇の意思に従い、異なる世界から呼び寄せた存在を吐き出し続けていた。
「聖女さえ傷付けなければ、他はどのようになっても構いません」
「勝手なこと言わないで!」
私の周囲に水が生まれる。精霊が私の意思に呼応する。
伸びてきた異形の腕を水流が絡め取り、そのまま床へ叩き付けた。
そこへリオンが踏み込む。
炎を纏った大剣が振り下ろされ、異形の身体を両断した。
「随分と大事にされてるね」
「嬉しくない!」
「だろうね」
軽口を叩きながらも、リオンの表情は険しい。
背後へ回り込んだ異形を振り返らずに蹴り飛ばし、その口へ大剣を突き立てる。
右から迫る一体は、オズの風に吹き飛ばされた。
柱へ叩き付けられた身体を、続けて放たれた炎が焼く。
正面から伸びてきた腕を土の槍が貫き、床に縫い付ける。
それでも数が減らない。
倒すたび、別の魔法陣から新たな異形が現れる。
「きりがないよ!」
「分かっている」
オズは教皇から目を離していなかった。
異形を倒しても意味がない。
大聖堂へ蓄えられた力が尽きない限り、教皇は何度でも呼び出せる。
けれど、教皇の元へ向かおうとすれば、床の古代魔法陣が行く手を阻む。
「お前達はここで死にます」
教皇が片手を上げた。
魔法陣の一つが、今までより強く輝く。
「聖女を残して」
足元から白い鎖が伸びた。
私の手首へ絡み付く寸前、黒炎が鎖を焼き払う。
「賢者に触れるな」
ベリルが私の前に立った。
小さな背中を包む炎が、大きく燃え上がる。
「奴の狙いはお前だ。我らから離れるな」
「うん」
頷いた直後、祈りの間の外から大きな音が響いた。
何かが壁へ激突したような音。
続けて、二度、三度。
教皇が僅かに顔を動かす。
その壁に細い亀裂が走った。
「何だ」
リオンが異形を斬りながら、そちらへ顔を向ける。
亀裂は瞬く間に広がった。
壁の向こうから風が吹き込み、刻まれていた聖印が内側へ弾け飛ぶ。
「全く、どこもかしこも頑丈すぎるだろ。この大聖堂」
聞き慣れた声がした。
「ジル!」
崩れた壁の向こうから、ジルが姿を現す。
額には汗が滲み、服のあちこちが白い埃に汚れていた。
その後ろでは、シャルネが弓を構えている。
「レイアさん、ご無事ですか!」
「シャルネも!」
「感動の再会は後にしようぜ!」
ジルはそう言いながら、両腕に抱えていたものを慎重に抱え直した。
布に包まれた、あまりにも軽そうな身体。
枯れ枝のように痩せた手が、布の隙間から覗いている。
ベリルが動きを止めた。
赤い瞳が、ジルの腕の中へ釘付けになる。
「……余の……」
掠れた声だった。
ジルは答えず、異形の間を縫うように走る。
シャルネが風を纏わせた矢を放ち、ジルへ迫る腕を次々と撃ち抜いた。
「大丈夫です!」
シャルネが声を張る。
「目を覚ましてはいませんが、封具は確かに装着しました!」
ベリルの子供は動かない。
目を閉じたまま、声も発さず、ただ浅い呼吸を繰り返している。
けれど、生きていた。
ベリルが一歩、そちらへ踏み出す。
その瞬間、教皇の足元にあった古代魔法陣が強く輝いた。
「返しなさい」
白い鎖が、真っすぐ子供へ伸びる。
「させるかよ!」
ジルが片足を床へ叩き付けた。
足元へ地属性の魔法陣が広がり、分厚い土壁が子供の前へせり上がる。
鎖が土壁へ突き刺さる。
表面に亀裂が走ったが、貫くことはできない。
「シャルネ!」
「はい!」
風を纏った矢が鎖へ命中する。
鎖は大きく逸れ、すぐさまベリルの黒炎に呑み込まれた。
オズが片手を床へ向ける。
祭壇の脇に土壁が立ち上がり、子供を守る半円状の囲いを作った。
「情報屋。そこへ運べ」
「言われなくても、そのつもりだって」
ジルは異形を避けながら囲いへ走り、子供を床へ寝かせる。
自分の上着を脱ぎ、痩せ細った身体の下へ敷いた。
シャルネがその前へ立ち、再び弓を構える。
「ここには近付けさせません」
ベリルは二人を見つめていた。
ほんの僅かに、唇が動く。
「……よくやった」
ジルが一瞬だけ目を丸くした。
すぐに、いつもの軽い笑みを浮かべる。
「礼は全部終わってから聞くよ。今はこいつを何とかしないとな」
「ベリルちゃん。お子様は私達がお守りします」
シャルネの言葉に、ベリルは短く頷いた。
その赤い瞳が、再び教皇へ向けられる。
先程までとは比べものにならないほど濃い黒炎が、小さな身体を包み込んだ。
「これで、お前を生かしておく理由はなくなった」
「随分と勝手なことを」
教皇は私達を見渡した。
笑みは戻っていない。
「誰一人として、ここから出られるとは思わないことです」
「最初から、逃げるつもりなんてないよ」
私は教皇を真っすぐ見据えた。
ジルとシャルネが戻った。
子供も助けられた。
もう、死に戻る前と同じではない。
「今度こそ、ここで終わらせる」
私の言葉に応じるように、皆がそれぞれ武器を構える。
リオンは炎を纏った大剣を。
シャルネは風を纏わせた矢を。
ジルの足元には、地属性の魔法陣が広がる。
ベリルの両手には黒炎が灯り、オズの周囲には四つの属性の魔法陣が浮かんでいた。
その時。
頭上から、低い音が響いた。
誰も触れていないはずの巨大な鐘が、僅かに揺れている。
鐘の表面に刻まれた紋様が、床の古代魔法陣と同じ白い輝きを放っていた。
オズが銀色の瞳を細める。
「なるほど」
教皇が初めて、明らかな警戒を浮かべた。
オズの足元で、四つの魔法陣が一斉に完成する。
「仕組みは見えた。後は壊すだけだ」
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