第80話
「百年前、魔王を倒して戻った俺の首を落とせって命じたのも——今ここにいる、あんたなんだね」
リオンの問いが、静まり返った祈りの間へ落ちる。
教皇は僅かに目を細めた。
「ええ。私です」
否定も、言い訳もしなかった。
まるで処刑されたのが人間ではなく、役目を終えた道具だったかのように、何の感情もなく認める。
「そっか」
リオンは静かに、息を吐いた。
「じゃあ、俺達が帰る場所なんて、初めから無かったんだ」
それは見慣れた、諦念めいた笑みだった。
「何故だ」
問い掛けたのはベリルだった。
「勇者は余を倒した。お前にとっても、望んだ結果だったのではないのか」
「もちろんです」
教皇はリオンへ穏やかな微笑を向ける。
「貴方は魔王を倒し英雄となり、その心臓を取り込んだことで、未曾有の大厄災を引き起こした」
リオンの表情が僅かに固まった。
「大地は荒れ、多くの命が失われ、人々は救いを求めて祈った。貴方は世を乱し、役目を終えてなお、実に多くの祈りを集めてくれました」
それは称賛の形をしていた。
けれど、リオンを讃えているわけではない。
魔王を倒した功績も、その後に背負った苦しみも、教皇にとっては祈りを生み出した結果でしかなかった。
「俺は、誰にも英雄だなんて言われなかったよ」
リオンは小さく笑った。
いつもの気楽な笑みではない。
「大厄災を起こした化け物だって、疎む奴もいた。まあ、間違ってはいないけどね」
「ええ。だからこそ都合が良かった」
教皇は躊躇なく答える。
「勇者が魔王を倒したという事実だけが伝われば、人々は勝利を神へ感謝する。大厄災による恐怖は、更なる救済を求める祈りとなる」
「なら、そのまま放っておけばよかったんじゃない?」
「生きて戻った貴方の存在が、広く知られれば話は変わります」
教皇の瞳が、リオンの首に残る痕へ向けられた。
「人々は大聖堂ではなく、魔王を倒した勇者本人へ救いを求めるかもしれない。既に役目を終えた者へ、祈りを奪われる理由はありません」
「だから殺したんだ」
「勇者とは、魔王を倒すための存在です。それ以外の役目は必要ありませんから」
リオンは何も答えなかった。
右手が、背負った大剣の柄へ触れる。
怒りを堪えているのか、それとも百年前のことを思い出しているのか、その横顔からは分からなかった。
「かつての大賢者達を——」
オズの声が、二人の間へ割って入る。
「処刑したのも、お前か」
教皇の視線がオズへ移った。
「懐かしい呼び名ですね」
「答えろ」
「ええ。聖王へ命じたのは私です」
胸の奥が重く沈む。
オズは他人に興味を持たない。
自分より愚かな者と話す必要はないと、平然と言う。
けれど、大賢者達のことだけは「この方達」と呼んだ。
彼が心から敬い、慕っていた人達だ。
「彼らは、何を知った」
「私が祈りを集めていること。歴代の教皇に、同じ記憶や癖が受け継がれていること。そして、聖王の意思が既に失われていること」
「それだけで殺したのか」
「それだけではありません」
教皇の微笑が僅かに深くなる。
「皆様は聡明でした。あと少し時間があれば、全てへ辿り着いていたでしょう」
だから殺した。
その言葉を口にせずとも、意味は十分に伝わった。
「僕には何も伝えなかった」
オズが呟く。
「ええ。貴方だけには」
教皇は楽しげに答えた。
「貴方を、随分と可愛がっていたようですね」
オズの指先が、僅かに動く。
「あの方々は、御自分達が捕らえられることを予想していました。ですから、調べたことを貴方には一切知らせなかった」
「……僕を遠ざけたのは、見限ったからではなかったのか」
「まさか」
教皇は声を立てずに笑った。
「捕らえられた後も、同じことばかり訴えていましたよ。あの子は何も知らない。あの子には関係がない、と」
オズは何も言わない。
その横顔は、いつもと同じように見えた。
けれど、銀色の瞳だけが、僅かに揺れていた。
「それでも、私は貴方の処刑も命じました」
「僕が、いずれ真相へ辿り着くと考えたからか」
「ええ。貴方の才能は、あまりにも危険でした」
教皇は、まるでそれを惜しんでいるかのように首を傾ける。
「彼らが最後に使った魔力は、貴方を逃がすためのものだった。自分達の命を守るためではないのに、最後まで足掻いた」
そして、思い出話をするように、長い睫毛を伏せた。
「そのせいで、彼らの処刑は予定より随分と苦しいものになったようですね」
ほんの少し、お菓子を落としてしまった時に肩を落とすような。
小さな溜息だった。
「けれど、結局貴方はここへ戻ってきた」
一歩、祭壇から降りる。
「大切な方々が命を懸けて守ったというのに、最後には同じ場所へ辿り着いた」
教皇の声は、どこまでも優しい。
「全て無駄だったのです」
長い沈黙が落ちた。
オズは教皇を見つめている。
怒りも、悲しみも、その横顔には浮かばない。
「無駄ではない」
静かな声だった。
けれど、広い祈りの間の隅々まで届いた。
「僕が生きている」
教皇の微笑が、ほんの僅かな時間だけ固まる。
「あの方達が僕を生かした。だから今、僕はお前の前にいる」
オズが一歩前へ出た。
「その結果が無駄だったかどうかは、お前が決めることではない」
その時だった。
オズの胸元で、淡い光が瞬いた。
服の下に隠されていたブローチ。
ジルが持つ、もう一つのブローチから送られた合図だ。
(助けた……!)
声を上げそうになり、咄嗟に唇を結ぶ。
オズも表情を変えない。
けれど、ブローチへ触れた指先が、救出の成功を確かめていた。
子供へ封具を着けた。
教皇との繋がりを切ったのだ。
「……何をしたのです」
教皇の声から、初めて柔らかさが消えた。
ベリルが大きく息を呑む。
「我が子の気配が……消えた」
「大丈夫」
私は小声で告げる。
「ジル達が助けてくれた合図だよ」
ベリルの赤い瞳が見開かれる。
教皇は祈りの間の外へ視線を向け、一歩踏み出した。
その進路を遮るように、リオンが大剣を抜く。
「どこへ行くの?」
「退きなさい、勇者」
「俺はもう、あんたの用意した役なんてやるつもりないんだ」
その横では、ベリルの掌へ黒炎が灯る。
「ここから先へは行かせぬ」
教皇の顔から、完全に笑みが消えた。
足元へ白い紋様が広がり、祈りの間だけでなく、大聖堂全体が低く震え始める。
遠くで、幾つもの扉が一斉に閉じる音が響いた。
窓を覆うように光の壁が生まれ、外へ続く全ての道が封じられていく。
「大聖堂を封鎖した……?」
「奴らを逃がさないつもりか」
きっとジルもシャルネも、行く手を阻まれている。
オズの足元にも、四属性の魔法陣が描かれ始めた。
教皇は私達を見渡し、冷たい声で告げた。
「ならば、先に貴方達を片付けましょう」
床一面に、無数の古代魔法陣が浮かび上がった。
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