第78話
「随分と荒々しいご挨拶ですね、大賢者」
柔らかな声が、広い祈りの間へ響く。
教皇エスティラは祭壇の前から動かず、慈愛に満ちた微笑を浮かべていた。
開け放たれた大扉の向こうへ、オズが迷いなく足を踏み入れる。私もその背中を追い、リオンとベリルが左右を固めるように続いた。
祈りの間は、死に戻る前に見た時とほとんど変わっていない。
高い天井を支える白い柱。幾つもの聖印が刻まれた壁。中央には大勢の信徒が祈りを捧げられるだけの広い空間があり、その奥に祭壇が置かれている。
天井近くには、巨大な鐘が吊るされていた。
当時、これほど大きな鐘が室内にあることを不思議に思ったものだ。
私達が全員中へ入ると、大扉はひとりでに閉じた。
重い音が背後で響く。
「情報屋と、ヴェルクロア公爵家の御令嬢は御一緒ではないのですか?」
教皇は私達を一人ずつ見渡し、すぐに足りない二人へ言及した。
誰も答えない。
オズは無表情のまま教皇を見据えている。
服の内側には、ジルのものと対になったブローチが隠されているはずだ。まだ救出成功の合図は届いていない。
(出来るだけ、時間を稼がないと)
そう分かっていても、目の前の教皇を見れば、死に戻る前の光景が鮮明に蘇った。
倒れたジルとシャルネ。
黒炎に呑み込まれたリオン。
血に濡れ、魔法陣すら描けなくなっていたオズ。
涙を流しながら、私達を襲っていたベリル。
その全てを見下ろしながら、教皇は今と同じように笑っていた。
「随分と怖い顔をなさいますね、聖女」
「……当たり前でしょう」
声が震えそうになる。
深く息を吸い、目の前にいる教皇から視線を逸らさなかった。
「各地に現れた異形は、あなたの仕業ですか」
教皇の微笑は崩れなかった。
「異形、ですか」
「あれは魔王の眷属ではありません。今までこの世界にいなかったものだと聞きました」
ベリルが一歩前へ出る。
「魔族の名を使い、人間達へ恐怖を与えたのはお前だな」
「ええ」
あまりにも簡単な肯定だった。
悪びれる様子もなく、教皇は静かに頷く。
「私が、この世界へ招きました」
「招いた……?」
聞き慣れない言い回しに、思わず問い返す。
「彼らはこの世界で生まれたものではありません。異なる世界より、古代魔法を用いて引き寄せたのです」
息が止まった。
異なる世界から、この世界へ。
それはまるで、私と同じだった。
隣に立つオズへ目を向ける。
彼も同じ可能性へ辿り着いたのだろう。銀色の瞳を細め、教皇を見据えている。
「異世界から存在を召喚する古代魔法か」
「さすがは大賢者。理解が早い」
「そんな魔法が……」
「存在しないと思っていたのですか?」
教皇の青い瞳が、真っすぐに私へ向けられた。
「貴女自身が、その魔法によってこの地へ来たというのに」
頭の中が真っ白になる。
唇を動かしても、すぐには声が出なかった。
「……私をこの世界へ呼んだのも、あなたなの?」
「ええ」
また、迷いのない返事だった。
「貴女を選び、私が招きました」
胸の奥が強く締め付けられる。
突然この世界へ来たあの日。
帰る場所も、頼れる人も、言葉さえ満足に分からず、ただ怖くて泣いていた。
偶然巻き込まれたのだと思っていた。
何かの間違いで、この世界へ迷い込んだのだと。
けれど違った。
この人が、私を家族から引き離した。
「どうして……」
掠れた声が零れる。
「どうして、私だったの」
「貴女でなければならなかったわけではありません」
穏やかな口調のまま、教皇は告げた。
「必要だったのは、この世界の理から外れた者。精霊の声を聞き、その力を受け入れられる器です」
「器……?」
「百年前、この世界へ一人の異邦人が迷い込みました」
リオンが僅かに眉を寄せる。
百年前の精霊師。
私よりも先にこの世界へ来て、四体の精霊王と契約した人物。
「その者は、私が招いたわけではありません。世界の境界が偶然揺らいだ際に、迷い込んだにすぎない」
「その精霊師を再び呼び寄せるため、召喚魔法を利用したのか」
オズの問いに、教皇は満足そうに頷いた。
「正確には、失われていた古代魔法を再現したのです。異なる世界から来た者が精霊に選ばれると知った以上、再び同じ偶然を待つ必要はありませんから」
「だから、私を呼んだ……」
「貴女には、精霊王の力を集めていただく必要がありました。器がなければ、あの力は捕らえられない」
ぞっとするほど自然に言われた。
聖女と呼び、守ると言いながら、最初から私を人として見てはいなかったのだ。
精霊王の力を集めるための器。
その役目を終えた後は、私自身がどうなろうと構わなかった。
「私が帰りたいって、何度も言ったのに」
「ええ。覚えていますよ」
「家族が待ってるって、話したよね」
「聞きました」
「それでも、私を帰すつもりはなかったの?」
教皇は不思議そうに首を傾げた。
「貴女はこの世界で聖女となったのです」
「だから何?」
「元の世界で何者にもならず生きるより、多くの人々に求められ、価値ある力を得た。恵まれたことではありませんか」
胸の奥で、何かが切れた。
光の力が溢れそうになり、咄嗟に拳を握る。
「まだ待て」
オズの声が飛んだ。
たった一言で、我に返る。
今は怒りに任せて戦う時ではない。
ジルとシャルネが、子供を助けるために動いている。
時間を稼がなければならない。
爪が食い込むほど強く手を握り、力を押さえ込む。
教皇はそんな私を見て、再び穏やかに微笑んだ。
「ようやく、ご自身の役目を理解していただけましたか?」
「……いいえ」
ゆっくりと首を横に振る。
「あなたが私を呼んだ理由は分かりました。でも、あなたの望み通りになるつもりはありません」
「そうですか」
教皇は残念そうに目を伏せた。
「では、各地へ異形を放ったのも、私達を呼び戻すためですか」
「それも理由の一つです」
「一つ?」
教皇が両腕を僅かに広げる。
その仕草に合わせるように、床へ刻まれた聖印が淡く輝いた。
「平穏な世では、人は祈りを忘れてしまいます」
柔らかな声が、誰も祈っていない広間へ響く。
「ですから時には、救いを求めるための恐怖が必要なのですよ」
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