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第71話

 

 地下倉庫へ逃げ込んでから、しばらくの間は誰も口を開かなかった。

 王城から響いていた警鐘は、ここまでは届かない。

 

 けれど、静かになったからといって、胸の奥に残る重苦しさが消えるわけではなかった。

 操られていた聖王。

 その口を借りて話した教皇。

 歴代の聖王まで、同じように自我を奪われていたかもしれない。


「休む前に、これだけは見ておいてくれ」


 ジルが床へ古びた布を広げ、その上に数冊の帳簿と紙の束を並べた。


「大聖堂から持ち出したもの?」


「ああ。持ってきたっていうより、勝手に借りてきたってところだけどな」


「それを盗んだと言うのではないか」


「大賢者様にだけは言われたくないな。国が保管してた希少素材を『借りて』たんだって?」


 オズは返事をせず、一冊の帳簿を手に取った。

 私も側へ座り、開かれた頁を覗き込む。

 そこには、各地の教会から送られてきた報告が細かな文字で記されていた。


 ルーンフェル北部。

 異形の出現後、礼拝者数が前月の三倍に増加。


 フレイガルド西部。

 夜間祈願を十二回実施。救済を求める祈りが増加。


 ランドール南部。

 聖女の帰還と教皇による救済を願う者、多数。


「被害の報告書……ではないよね?」


「死者や負傷者の数は、端に少し書かれているだけです」


 シャルネが別の頁を示す。


「その代わり、礼拝へ訪れた人数と祈願を行った回数が、どの報告にも細かく記されていました」


「襲われた人数より、祈った人数を気にしてるんだよ」


 ジルが苦々しげに言う。


 帳簿には、見慣れない数字も並んでいた。

 礼拝者数の隣に記された、集積値という項目。

 人の数とも、金額とも違う。


「オズ、これは何?」


「まだ分からない」


 そう答えながらも、オズは帳簿から目を離さなかった。

 ジルが次に取り出したのは、一枚の大きな紙だった。

 複雑な線と紋様が描き写されている。


「これは?」


「各地から届いた報告書を保管していた部屋の床にあった。俺には意味が分からなかったから、シャルネに見張ってもらって写してきた」


「随分と複雑な魔法陣でした。現在使われている四属性のものとは違うように見えましたので」


 オズが紙を床へ置き、描かれた線を指先で辿る。


「古代魔法だ」


「やっぱりか」


「これは単独で働く陣ではない。遠く離れた同じ紋様と繋ぎ、そこから何かを一か所へ流すためのものだ」


 オズの指が、全ての線が集まる中央で止まった。


「各地の教会を中継点にし、大聖堂へ送っている」


「何を送っているの?」


 オズは帳簿へ視線を戻した。


「祈りだろう」


 一瞬、その言葉の意味が分からなかった。


「祈りを……送る?」


「祈った言葉そのものではない。人間の強い願いや感情を古代魔法で力へ変換し、集めていると考えれば、この集積値という単語にも説明がつく」


「人の祈りを、魔力にしているということですか?」


「それに近い」


 シャルネの問いに、オズが頷く。


 もう一度、帳簿へ目を落とす。

 異形が出現した地域ほど、礼拝者が増えている。

 人々は怯え、助けを求め、大聖堂へ祈りを捧げていた。


「それなら……各地を襲わせているのは、祈りを増やすため?」


「仮説としては成立する」


「そんなことのために、街を……人を……」


 思わず帳簿を握る手に力が入った。


「混乱が大きいほど、人は救いを求める」


 リオンが壁へ背を預けたまま言う。


「祈りが力になるなら、あいつは今もどんどん強くなってるってことだね」


「それだけではない」


 ベリルが低い声を発した。

 幼い顔には、隠しようのない怒りが浮かんでいる。


「人間達は、現れたものを余の眷属だと思っておるのだろう」


「報告書には、魔王の軍勢と思われると記されたものもありました」


 シャルネが答えると、ベリルの周囲に黒炎が滲んだ。


「余のものではない異形を呼び出し、余の名まで恐怖に利用したか」


「落ち着け。紙を燃やすなよ」


「分かっておる」


 ジルに言い返しながらも、黒炎はすぐに消えた。


「他に分かったことは?」


 オズに尋ねられ、ジルは大聖堂の見取り図を広げた。

 幾つもの部屋と通路が描かれている中、最奥の一室へ印が付けられていた。


「ここが教皇の私室だ。地下に何かあるなら、一番怪しいのはこの辺りだと思う」


「中には入れなかったのですか?」


 私が聞くと、シャルネが首を横に振る。


「私室の前までは辿り着けました。ですが、扉には封印が施されていたようで、私達が触れても開きませんでした」


「その後、聖徒が一人で入っていくのを見た。だが、鍵を使った様子はなかった」


 その言葉を聞き、胸元へ手を伸ばしかける。

 今は身に着けていない。

 けれど、大聖堂で暮らし始めた時、聖女の身分を示すものとして支給された十字架のネックレスが、鞄の中にしまってある。


「もしかして……」


 鞄を開き、底から細い鎖に繋がれた白い十字架を取り出した。


「私も、同じものを持ってる」


「それです」


 シャルネが頷く。


「私達が見た聖徒も、同じ形のものを身に着けていました」


「なら、扉は鍵ではなく、聖徒の証を持っているかどうかを判別しているのかもしれないな」


 ジルが十字架を覗き込む。

 オズは私の掌に載ったそれへ、目を細めた。


「何かしらの方法で所有者、あるいは所持している証そのものを識別している可能性がある」


「つまり、これを持っていれば私室に入れる?」


「おそらくは」


 以前、大聖堂で暮らしていた頃。

 私はこの十字架を首から下げたまま、何度も教皇の私室へ入っていた。


 扉に鍵を差した覚えはない。

 ただ近付いて扉へ触れれば、当たり前のように開いていた。

 あの時は、自由に出入りを許されているのだと思っていた。

 けれど実際には、この十字架が私を聖徒の一人として認識させていたのだ。


「これがあれば、中へ入れると思う」


 十字架を握り締めながら告げる。


「では、教皇の私室までは進めるということか」


 ベリルが見取り図を見据えた。


「余の子は、大聖堂におる。まずはその部屋を調べるぞ」


 ベリルの声には、反論を許さない強さがあった。

 私も見取り図を見つめる。


 今も各地では、異形に襲われた人達が祈っている。

 助けを求めるその気持ちさえ、教皇の力へ変えられている。

 

 一人ずつ助けに向かったところで、全てを救うことは出来ない。

 ならば、元を断つしかない。


「大聖堂へ行こう」


 私の言葉に、全員の視線が集まった。


「ベリルの子供を助けて、祈りを集める仕組みを止める。それから教皇を倒す」


「順番は子供が先だ」


「うん。分かってる」


 ベリルが僅かに頷く。


「私室へ入った後は僕が調べる。情報屋とヴェルクロアは経路を確保しろ。魔王は前を塞げ。聖女は勝手に動くな」


「最後だけ扱いが違わない?」


「事実を言っただけだ」


「俺は?」


 リオンが尋ねると、オズは一瞥だけを返した。


「死なないのだから、好きにしろ」


「雑だね」


 リオンは小さく笑い、ジルは見取り図を畳んだ。


「決まりだな。日が沈むまで休むぞ。王城から逃げてきたばかりで大聖堂に乗り込むなんて、まともな奴のすることじゃない」


「今更じゃない?」


「それもそうだな」


 地上から、微かに鐘の音が聞こえてきた。

 人々へ祈りの時間を知らせる、大聖堂の鐘。

 その音を聞きながら、掌の中の十字架を見下ろす。


 祈りを救いへ届けるはずの場所で、教皇はそれを自分の力に変えている。

 ならば、私達が止めなければならない。

 たとえその先に、何が待っていたとしても。


「行こう」

 


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