第70話
玉座の間の左右から、武器を構えた聖堂兵が一斉に雪崩れ込んでくる。
「聖女を傷付けるな。他は、殺して構いません」
聖王の口を借りた教皇の命令が、広い室内へ響き渡った。
「随分とはっきり言ってくれるね」
私を抱えていたリオンが地面へ降ろし、そのまま前へ出る。
布に包まれていた大剣を引き抜き、最初に迫ってきた聖堂兵の槍を薙ぎ払った。
折れた槍の穂先が床を滑っていく。
「僕の側を離れるな」
私の腕を引いたオズの足元に、複雑な魔法陣が描かれていく。
玉座の間の床から伸びた石の帯が、再び私の足へ迫った。
けれど、オズの魔法陣が完成した瞬間、床が大きく震える。隠されていた拘束用の線が地面ごと砕け、伸びていた石が崩れ落ちた。
「ジル様!」
「分かってる!」
ジルは聖堂兵の合間をすり抜け、玉座の側面へ走る。
兵士の剣がその背中へ振り下ろされるより早く、一本の矢が腕を射抜いた。
「ジル様の邪魔はさせません」
シャルネが次の矢を番える。
その隣では、ベリルの掌から黒い炎が溢れ出していた。
「退け」
床を這った黒炎が、迫る兵士達の前を塞ぐ。
熱に耐えきれず、聖堂兵が一斉に足を止めた。
「殺すなよ!」
「余に命令するな、情報屋」
「王城ごと燃やすのもなしだ!」
「注文の多い男だ」
そう言いながらも、ベリルの炎は兵士達を焼かず、退路を奪うように広がっている。
けれど、敵の数は多い。
正面の扉からも新たな足音が近付いていた。
倒しても、倒しても、次が来る。
「レイア!」
鋭い声に振り向く。
床から伸びた別の拘束具が、私の腕へ絡み付いていた。
強く引かれ、身体が玉座の方へ引き寄せられる。
咄嗟に精霊の力を使おうとした瞬間、オズが拘束具を地属性の刃で断ち切った。
「力を使うなと言っただろう」
「でも……!」
「居場所を知らせたいのか」
低い声に、伸ばしかけた手を下ろす。
教皇が精霊の力を追えるのなら、光や治癒の魔法も安全とは限らない。
分かっている。
それでも、傷を負って倒れている聖堂兵の姿が視界へ入るたび、胸が締め付けられた。
彼らも教皇の命令に従っているだけかもしれない。
「こっちだ!」
ジルの声が飛ぶ。
玉座の右手に掛けられていた厚い幕の奥で、細い扉が開かれていた。
「その先は?」
「聖王の私室へ続く通路だ。表の廊下へ戻るより、こっちの方がまだマシだ!」
ジルとシャルネが先に扉の向こうへ入り、リオンが迫る兵士を大剣で押し返す。
私も続こうとしたが、玉座に残された聖王の姿が目に入った。
聖王は何事もなかったように腰掛けている。
炎も剣戟も見えているはずなのに、逃げようとさえしない。
「この人も連れていこう!」
玉座へ向かおうとした私の腕を、オズが掴んだ。
「駄目だ」
「ここに置いていったら、また教皇に使われるよ!」
「連れて行けば、こいつを通して僕達の居場所を知られ続ける」
「でも、操られているだけなんでしょう!?」
「だからだ」
オズは私の腕を放さない。
「自我はほとんど残っていない。術者の命令一つで、何をするかも分からない。今のこいつは人間であると同時に、教皇の目であり耳だ」
「解除は……」
「ここでは出来ない」
聖堂兵が炎を回り込み、こちらへ近付いてくる。
時間がない。
分かっていても、足が動かなかった。
その時、玉座の上で聖王の指が僅かに震えた。
空虚だった青い瞳が、ほんの一瞬だけ私へ向く。
「……逃げ……」
「え?」
掠れた声だった。
唇が苦しげに歪み、聖王の身体が前へ傾く。
しかし、次の瞬間には再び背筋が伸びた。
その顔から苦痛が消え、先程までと同じ穏やかな微笑が戻る。
「逃がしてはなりません」
今度は、教皇の声だった。
「全員、捕らえなさい」
「行くぞ」
オズに腕を引かれる。
リオンが最後に玉座を振り返った。
その表情が何を意味しているのか、私には分からなかった。
私達が細い扉の向こうへ入ると、ベリルが黒炎を放つ。
扉の前へ炎の壁が立ち上がり、聖堂兵達の追跡を阻んだ。
「長くは持たぬぞ」
「十分だ」
短い通路を走り抜ける。
その先にあったのは、玉座の間とは対照的な、静かな部屋だった。
大きな寝台と机、衣装棚。壁には歴代の聖王らしき肖像画が幾つも飾られている。
ここが聖王の私室なのだろう。
「避難通路はどこだ?」
リオンが尋ねる。
「今探してる!」
ジルは壁を叩きながら、部屋の奥へ進んでいく。
「知らないの?」
「場所は大体分かる。けど、実際に使ったことはないんだよ!」
「随分と頼りない盗賊だね」
「うるせえな、王族の寝室を何度も荒らしてる方が問題だろ!」
背後の通路から、聖堂兵の怒声が聞こえてくる。
黒炎を突破されるのも時間の問題だった。
ジルは聖王の肖像画の前で立ち止まり、額縁を持ち上げる。
その裏には、小さな鍵穴が隠されていた。
「見つけた」
腰の道具を取り出し、鍵穴へ差し込む。
けれど、これまでの錠とは違うのか、すぐには開かない。
「急げ」
「分かってるよ!」
扉の向こうで大きな音がした。
黒炎を避けるため、壁か扉を壊そうとしているらしい。
シャルネがジルの背後へ立ち、弓を構える。
「後ろは私にお任せください」
ジルは振り返らなかった。
「頼んだ、お嬢様」
その一言に、シャルネは静かに頷く。
次の瞬間、部屋へ続く扉が大きく揺れた。
リオンがその前へ立ち、大剣を構える。
オズも足元へ魔法陣を描き始めた。
「開いた!」
小さな音と共に、鍵が外れる。
ジルが肖像画の脇にある装飾を押すと、壁の一部がゆっくりと奥へ沈んだ。
その向こうに、地下へ続く階段が現れる。
「先に行け!」
私とシャルネが階段へ入る。
続いてジルとベリルが入り、リオンが扉から離れた。
最後にオズが通路へ踏み込むと同時に、部屋の扉が破られる。
聖堂兵達が雪崩れ込んできた。
オズの魔法陣が、一瞬で完成する。
壁が大きく軋み、避難通路の入口が石で覆われた。
外側から何度も叩く音が聞こえたが、分厚い石はびくともしない。
「これで少しは時間を稼げる」
明かりのない階段を、手探りで下りていく。
聖王が使うための避難通路だからか、先程の排水路よりは歩きやすかった。
それでも、どこまで続いているのか分からない暗闇は不安を煽る。
「昔、王城に入った時もこれを使ったの?」
「見つけただけだ。出口までは知らない」
「それ、大丈夫なの?」
「入るより出る方が難しいんだよ、王城ってのは」
「威張って言うことじゃないと思う」
私の言葉に、ジルは小さく笑った。
緊張を紛らわせるための軽口なのだろう。
長い通路を進んだ先で、冷たい風が頬を撫でる。
ジルが壁際を探ると、古びた扉が見つかった。
鍵を開けて外へ出る。
そこは王城から離れた、街外れの小さな霊廟だった。
遠くから警鐘が聞こえている。
既に王城だけでなく、聖都全体へ捜索命令が出されているのだろう。
「廃教会には戻れないな」
「ああ。あそこもすぐに調べられる」
ジルは周囲を見渡すと、別の裏道を指し示した。
「もう一つ隠れ場所がある。まずはそこへ行くぞ」
再び夜の街を走り、安全な場所へ辿り着いた頃には、空が僅かに明るくなり始めていた。
人の住まなくなった地下倉庫へ入り、ようやく足を止める。
誰も大きな怪我はしていない。
それを確かめて安堵した後、私は聖王の最後の言葉を思い出した。
「聖王様……逃げろって言ったよね」
「本人の意思だったかは断定出来ない」
オズは壁へ背を預け、静かに答える。
「だが、自我が完全に消えているわけではないらしい」
「なら、まだ助けられるかもしれない」
「術の仕組みを解明出来ればな」
リオンは何も言わず、床へ座っていた。
大剣を傍らへ置き、俯いたまま動かない。
「リオン?」
「百年前、俺を殺したのは聖王だと思ってた」
いつもの軽さがない声だった。
「処刑を命じたのも、斬首を見届けたのも、あの時の聖王だったからね。でも……あいつも、今の王と同じだったのかな」
「可能性は高い」
オズが答える。
「歴代の聖王が同じ術で操られていたのなら、実際に命令した者は別にいる」
「じゃあ、百年前からずっと……」
「それより前からかもしれない」
地下倉庫に沈黙が落ちる。
何代も入れ替わってきた聖王達。
その全員が玉座へ座らされ、同じ言葉を話し、同じ誰かの意思に従っていたのだとしたら。
この国を治めていたのは、聖王ではない。
「教皇様が、ずっと聖王達を操っていた……?」
「現時点では仮説だ」
オズはそう言いながらも、否定はしなかった。
「だが、少なくとも今の聖王に国を動かす意思はない」
銀色の瞳が、暗い地下室の奥へ向けられる。
「この国を支配しているのは、教皇一人だ」
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