第68話
教会を出た私達は、灯りの少ない裏道を選んで王城の西側へと向かった。
夜は深く、街には人影がほとんどない。
それでも大通りの向こうには聖堂兵の姿があり、一定の間隔で足音が聞こえてくる。各地で魔物が現れた影響なのか、普段よりも警戒が厳しくなっているようだった。
先頭を歩くジルが片手を挙げる。
すぐに全員が足を止め、建物の陰へ身を寄せた。
少し遅れて、二人の兵士が通り過ぎていく。
その姿が角を曲がって見えなくなるまで、誰も声を発さなかった。
「今だ」
短い声に従い、再び走り出す。
普段のジルとは別人のようだった。
足音はほとんど聞こえず、曲がり角へ差し掛かるたびに周囲の気配を確かめ、迷うことなく進んでいく。
時折こちらへ向けられる視線にも、冗談めいた軽さはない。
(本当に、盗賊だったんだ……)
昼間に聞いたばかりの事実が、今になって実感を伴ってきた。
やがて王城を囲む高い城壁が見えてくる。
月明かりを受けた白い壁の上には兵士が立ち、一定の間隔で周囲を見張っていた。
ジルは城壁沿いの茂みへ入り、伸び放題の蔦を掻き分ける。
その奥にあったのは、人が一人通れるかどうかという小さな鉄格子だった。
「ここが排水路?」
「ああ。今は使われてない。もっとも、完全に忘れられてるわけじゃないけどな」
鉄格子には、錆び付いた鎖と大きな錠が掛けられている。
ジルは腰から細い道具を取り出し、錠の中へ差し込んだ。
「少し離れてろ」
指先が僅かに動く。
耳を澄ませても、金属が擦れる微かな音しか聞こえなかった。
それから少しも経たないうちに、錠が小さな音を立てて開く。
「早い……」
「こんなのは鍵って呼ぶほどでもない」
小声で言いながら、ジルは鎖を外した。
鉄格子が音を立てないよう慎重に開かれる。
その先には、暗く狭い地下道が続いていた。
「足元に気を付けろ。途中からかなり狭くなる」
ジルを先頭に、一人ずつ中へ入る。
古い水と湿った土の匂いが鼻を刺した。天井は低く、リオンは大剣が引っ掛からないよう身体を屈めている。
「俺、この道を通る必要ある?」
「大剣を置いてくるなら楽になるぞ」
「それは嫌だね」
「なら我慢しろ」
声を抑えた二人のやり取りが、暗闇の中へ小さく響いた。
私はシャルネの後ろを歩き、転ばないよう壁へ手を添える。
先へ進むほど道幅は狭くなり、天井から落ちる水滴が頬や髪を濡らした。
しばらく進んだところで、ジルが急に足を止める。
「ここから先、床の色が違うだろ」
オズが小さな照明魔道具を翳す。
淡い光に照らされた石床の一部が、周囲より僅かに白く見えた。
「踏むと?」
「城内の警報が鳴る。ついでに、両脇の壁から矢が飛んでくる」
「先に言ってくれて良かった……」
思わず足を引く。
ジルは壁際へしゃがみ込み、石と石の隙間へ細い金具を差し込んだ。
「こんなものまで覚えているのですね」
シャルネが感心したように囁く。
「一度引っ掛かりかけたからな。忘れたくても忘れられないんだよ」
「以前にも、ここへ入ったことがあるの?」
私が聞くと、ジルは手を動かしたまま答える。
「大昔に、仕事で一度だけ」
「何のために?」
「昔の話を根掘り葉掘り聞くなって」
金属が外れる小さな音がした。
ジルは床石を押し込み、安全を確かめてから立ち上がる。
「もう大丈夫だ。けど、白い石の上から外れるなよ」
言われた通り、一列になって慎重に通り抜ける。
ベリルは狭い道を不快そうに歩いていたが、文句を言うことはなかった。
ただ、前を歩くリオンの大剣が何度か近付き、そのたびに眉間の皺が深くなっている。
「勇者。その鉄塊を余へ近付けるな」
「見えないんだから仕方ないだろ」
「次に当てれば燃やす」
「王城の中では黒炎を使うなって言われただろ?」
「お前だけは別だ」
「二人共、静かにして」
小声で窘めると、リオンは肩を竦め、ベリルは不満そうに顔を背けた。
更に進んだ先で、道は崩れた石と土砂によって塞がれていた。
「ここから先が物資搬入口だ」
「完全に埋まってるじゃない」
「だから大賢者様を連れてきたんだよ」
ジルがオズへ場所を譲る。
オズは崩れた土砂を一度眺めると、足元へ小さな魔法陣を描いた。
地属性のそれが完成した瞬間、目の前の土や石が僅かに震える。
大きな音を立てることなく、土砂が左右へ押し退けられ、人一人が通れるだけの隙間が作られた。
「相変わらず便利だな」
「お前の感想に興味はない。進め」
隙間の向こうには、古い木製の扉があった。
ジルが鍵を開け、僅かに扉を押す。
細い隙間から城内を確認した後、こちらへ手招きをした。
そこは使われなくなった倉庫らしい。
壊れた木箱や布が積まれており、長い間人が入った形跡はない。
全員が中へ入ると、ジルは背後の扉を閉めた。
「ここから先は、さっきまでより気を抜くな。見つかったら逃げ道は一つしかない」
「戦って突破すればいいだろ」
「王城中の兵士を呼び寄せたいならな」
リオンへ言い返した後、ジルは倉庫の扉へ耳を寄せた。
廊下を歩く足音が遠ざかってから、扉を開く。
薄暗い城内へ、一人ずつ滑り込むように出た。
磨き上げられた白い床。
壁に並ぶ肖像画。
一定の間隔で置かれた火の魔道具が、長い廊下を照らしている。
城の外とは違い、どこも清潔に保たれていた。
けれど、人の暮らす場所というより、誰かに見せるためだけに作られた舞台のようにも感じられる。
ジルが足早に廊下を進む。
角へ差し掛かる直前、突然シャルネの腕を引いて自分の側へ寄せた。
直後、二人の兵士が奥の通路を横切っていく。
シャルネはジルの胸元に触れるほど近くへ引き寄せられていた。
兵士が見えなくなると、ジルは何事もなかったように腕を離す。
「もう大丈夫だ」
「ありがとうございます、ジル様」
シャルネも平然と答えている。
以前なら二人共もう少し慌てていた気がする。
(本当に恋人同士になったんだな……)
こんな状況なのに、少しだけ微笑ましく思ってしまった。
「余所見をするな」
真上から声が落ちてくる。
顔を上げると、オズが冷たい目でこちらを見ていた。
「してないよ」
「前を見ろ」
小さく口を尖らせながら歩みを進める。
西側の廊下を抜け、階段を上がる。
途中にあった二つ目の鍵も、ジルは難なく開けた。
しかし次の扉の前で、オズが小さな声で全員を止める。
「魔法陣がある」
扉の前の床には何も見えない。
けれどオズが僅かに魔力を流すと、隠されていた淡い線が浮かび上がった。
細かな紋様が幾重にも重なり、通路一杯に広がっている。
「侵入者を捕らえるためのものだ。触れれば地面から拘束する」
「解除出来るか?」
「出来る。だが少し時間は掛かる」
オズがその場へ膝をつく。
魔法陣の線を一本ずつ指で辿り、魔力の流れを確かめていく。
私達はその間、廊下の前後を警戒した。
少しして、遠くから複数の足音が近付いてくる。
「兵士だ」
ジルが小声で告げる。
「あとどれくらい?」
「黙っていろ」
オズは魔法陣から目を離さない。
足音は更に近付いてくる。
逃げ込める部屋はない。ここで見つかれば終わりだ。
ジルが腰へ手を伸ばし、リオンも布に包まれた大剣へ指を掛ける。
ベリルの身体からも、僅かに黒い魔力が滲み出した。
「まだ使うなよ」
「分かっておる」
私も息を詰め、近付く足音へ耳を澄ませる。
次の角を曲がれば、私達の姿が見えてしまう。
その直前。
「終わった」
オズが立ち上がる。
床に浮かんでいた魔法陣が、音もなく消えた。
ジルが扉を開き、全員を中へ押し込む。
最後に自分も滑り込み、扉を閉めた直後、兵士達の足音が廊下を通り過ぎていった。
暗闇の中で、誰も声を発さない。
足音が完全に遠ざかってから、ジルが小さく息を吐く。
「危なかったな」
「お前が遅いからだ」
リオンが小声でからかう。
「俺じゃなくて、そこの大賢者サマに言えよ」
「口を閉じろ」
「はいはい」
即座に叱られたジルは口を閉ざした。
私達が入った場所は、小さな控えの間だった。
その先の扉を開けば、玉座の間へ続く廊下に出る。
ジルが扉の隙間から外を窺う。
「妙だな」
「何が?」
「兵士がいない」
玉座の間へ続く最も重要な通路だというのに、確かに人の気配がなかった。
あれほど厳重だった警備が、ここだけ途切れている。
「僕達が来ることを知っている可能性はあるな」
オズが淡々と言う。
「それでも行く?」
リオンの問いに、誰も否定を返さなかった。
ここまで来て、引き返すことは出来ない。
扉を開き、赤い絨毯が敷かれた廊下へ出る。
正面には、大きな両開きの扉が見えた。
あの向こうに、聖王がいる。
リオンが一歩だけ前へ出た。
いつもは掴みどころのない横顔から、僅かな笑みさえ消えている。
「百年ぶりだね」
誰に向けたのか分からない言葉を、小さく呟く。
ジルが扉の取っ手へ手を掛けた。
けれど、力を込めるよりも先に。
重い扉は、内側からゆっくりと開き始めた。
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