第67話
王城へ忍び込むための打ち合わせが終わる頃には、窓の外が僅かに白み始めていた。
長椅子から立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、全身に鈍い痛みが走る。
「いた……っ」
思わず膝をつきかけた私の腕を、隣にいたシャルネがすぐに支えてくれた。
「レイアさん、大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと体が痛いだけだから」
「少し、ではありません」
シャルネは私の言葉を遮ると、そのまま長椅子へ座らせた。
「明日の夜まで時間はあります。今はきちんと休んでください」
「でも、潜入の準備を——」
「お前に任せることはない」
見取り図へ視線を落としたまま、オズが言った。
「寝ていろ」
「そんな言い方しなくても……」
「言い方を変えたところで、お前が役に立たないことに変わりはない」
「もう!」
思わず睨み付けると、リオンが小さく笑った。
「オズウェルの言い方はともかく、休んだ方がいいのは本当だよ。あの時は随分元気に暴れてたからね。骨が折れたっておかしくなかった」
洗脳されていた時のことを思い出し、肩を落とす。
「……ごめん」
「だから、あんたのせいじゃないって言っただろ」
リオンはそう言うと、ジルが広げた見取り図を覗き込んだ。
ジルとシャルネにも、洗脳された日の話は軽くしてあった。
私に気を使って、彼らは何も言わずにいてくれる。
シャルネに促され、私は教会の奥にある小部屋へ移動した。
そこには古い寝台が一つだけ残されていた。敷布はジル達が持ち込んだものらしく、埃一つ付いていない。
「手を見せてください」
寝台へ腰掛けると、シャルネが私の前に膝をついた。
差し出した腕には、赤黒く変色した痕が幾つも残っている。リオンに強く押さえられた場所だ。
他にも、無理に暴れたせいで擦り傷や打ち身が全身に出来ていた。
「治癒魔法を使えば、すぐに治るんだけど」
「今は使わない方がよいのでしょう?」
「うん。精霊の力を追えるかもしれないって話だったから、光や治癒の力も出来るだけ使わない方がいいって」
シャルネは持っていた薬を傷へ塗り、丁寧に布を巻いてくれた。
「痛みませんか?」
「少しだけ。でも大丈夫」
「レイアさんは、すぐに大丈夫だと仰いますね」
「本当に大丈夫だよ」
「その言葉は、あまり信用出来ません」
穏やかな口調なのに、きっぱりと言い切られてしまう。
苦笑しながら、シャルネの横顔を眺める。
「シャルネ達も、大聖堂で危ないことをしてたんでしょう?」
「私よりも、ジル様の方が危険なことをなさっていました」
大聖堂へ忍び込んだ時のことを、シャルネがぽつりぽつりと話してくれた。
鍵の掛かった扉をジルが次々と開けていったこと。
聖堂兵に見付かりそうになり、二人で狭い物置へ隠れたこと。
逃げる途中でシャルネを庇い、ジルが腕に傷を負ったこと。
その話をするシャルネの表情は、以前よりも柔らかく見えた。
「二人、何かあった?」
思ったままを口にすると、シャルネが一度瞬きをする。
それから、少しだけ頬を緩ませた。
その微笑みだけで、何があったのかは大体分かってしまった。
思わず笑みが零れたが、シャルネはそれ以上何も話してくれなかった。
目を覚ました時には、教会の中に温かな匂いが漂っていた。
小部屋を出ると、部屋の隅に置かれた小さな鍋から湯気が上がっている。
外へ煙が漏れないよう、火はごく小さく抑えられていた。
「起きたか。ちょうど飯が出来たところだぞ」
鍋をかき混ぜていたジルが振り返る。
「ジルが作ったの?」
「保存食を煮ただけだけどな。何も食わないよりはましだろ」
「料理も出来るんだね」
ジルは器に具の少ないスープを注ぎ、私へ差し出した。
シャルネが隣でパンを切り分けている。ジルが何も言わずに手を伸ばすと、シャルネはその手へ布を渡した。
二人の動きは妙に息が合っていた。
全員が長椅子の周りへ集まり、久しぶりに揃って食事を取る。
温かいスープが身体へ染み渡り、張り詰めていたものが少しずつ解けていく気がした。
「二人、やっぱり良い感じだよね」
器を置き、私はジルとシャルネを交互に見た。
「何のことだよ」
ジルがあからさまに目を逸らす。
シャルネは持っていた器を静かに置いた。
「はい。私達、お付き合いすることになりました」
「シャルネ!」
ジルが声を上げた。
「もう少し、言い方ってものがあるだろ」
「事実をお伝えしただけです」
「本当に!?」
思わず身を乗り出した瞬間、脇腹に痛みが走る。
「いたた……」
「ほら、無理するからだよ」
リオンに笑われながら、私は二人へ向き直った。
「おめでとう! 良かったね、シャルネ!」
「ありがとうございます、レイアさん」
シャルネは嬉しそうに微笑む。
ジルは困ったように頭を掻いていたが、嫌そうには見えなかった。
「別行動してる間に、随分と楽しんでたみたいだね」
「命懸けで大聖堂を調べてたんだよ。遊んでたみたいに言うな」
リオンのからかいに、ジルが顔を顰める。
ベリルは興味がないのか、黙ってパンを食べ続けていた。
「ベリルちゃんも、お祝いしてくださいますか?」
「余には関係ない」
「では、こちらをどうぞ」
シャルネが小さな焼き菓子を差し出す。
ベリルは菓子とシャルネを交互に見た。
「余を子供扱いするな」
「嫌なら俺がもらうよ」
リオンが手を伸ばした瞬間、ベリルは先に菓子を取った。
「誰も要らぬとは言っておらぬ」
そう言って焼き菓子を口に運ぶ姿に、堪えきれず笑ってしまう。
ジルも、シャルネも、リオンも笑っていた。
オズだけは少し離れた場所に立ち、相変わらず興味がなさそうにこちらを見ている。
けれど、こんなふうに全員で食事をするのは、本当に久しぶりだった。
明日の夜には王城へ忍び込む。
その先で何が待っているのか分からない。
それでも今だけは、迫り来る不安を忘れていられた。
食事を終え、皆が休み始めた後。
横になろうとしていた私の前に、オズが立った。
「顔を上げろ」
「何?」
「洗脳の残滓を確認する」
言われた通りに顔を上げると、許可を待つでもなく冷たい指が額へ触れた。
あの時の痛みを思い出して、反射的に身体が強張る。
「動くな」
「分かってるよ」
目を閉じると、細い魔力が頭の奥へ慎重に入り込んでくる。
けれど、あの日のような痛みはない。
しばらくして、オズの指が離れた。
「問題ない」
「良かった……」
安堵した後も、オズは私の前から動かなかった。
船の上で謝った時、何も返してくれなかったことを思い出す。
「ねえ、オズ」
「何だ」
「まだ怒ってる?」
「何に対してだ」
「私が洗脳されて、皆に迷惑を掛けたこと」
「お前が望んで受けた術ではない。謝る理由がない」
淡々とした返答だった。
「でも、オズにも心配掛けたでしょう?」
「僕が見落とした」
オズの銀色の瞳が僅かに細められる。
細い指が、組まれた腕を何度か音もなく叩いた。
「次はない」
「次なんて、なくていいよ」
「当然だ」
短いやり取りに、思わず小さく笑った。
オズは何も言わず、私へ背を向ける。
「明日の夜まで寝ていろ」
「分かった。おやすみ、オズ」
返事はなかった。
けれど、今度はそれを冷たいとは感じなかった。
次に目を覚ました時、窓の外は薄暗くなっていた。
身支度を済ませ、夜が深くなるのを待つ。
教会の中央では、ジルが細い道具を腰へ取り付けている。鍵を開けるためのものだろう。
シャルネは弓の弦を確かめ、リオンも布で包んだ大剣を背負っていた。
オズとベリルは、既に扉の側で待っている。
私も鞄を持ち、立ち上がった。
昨日より身体の痛みは軽くなっていた。
全員の準備が整ったことを確認し、ジルが王城の見取り図を畳む。
その顔からは、食事の時に見せていた気安い笑みが消えていた。
「そろそろ行くぞ」
低く抑えた声が、静かな教会に響く。
「ここから先は、俺の指示通りに動いてくれ」
お読みいただきありがとうございます。
評価やブックマーク等で応援いただけると、執筆の励みになります!




