表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/89

第64話


「追跡……?」


 言葉の意味を理解した途端、頭の奥で何かが強く脈打った。

 崖へ行かなければ。

 下へ落ちなければ。

 その考えが、先程までよりも鮮明に膨れ上がる。


「離して!」


 再び身体を捻る。リオンの腕から抜け出そうと足をばたつかせるが、拘束は少しも緩まなかった。


「そのまま押さえていろ」


「簡単に言うね。聖女様、自分の腕が折れても構わないみたいだよ」


「折らせるな」


「分かってるよ」


 リオンは私の両手首を片手で纏め、もう片方の腕を私の身体へ回した。

 力任せに動けば、肩や肘に痛みが走る。それでも身体は止まろうとしなかった。


「大賢者。船は既に入江にある」


 ベリルが海岸の方角へ顔を向けたまま告げる。

 月明かりも陰った空の下で、赤い宝石のような瞳は暗闇の向こうが見えているようだった。


「小舟が一艘、岩陰に繋がれている。船を置いた者の姿は無い」


「そうか」


「だが、時間はあまり残されておらぬ。夜の内に発たねばならぬのだろう」


 ベリルの言葉に、リオンが小さく息を吐いた。


「船に乗ってから何とかするってのは?」


「無理だ」


 オズは即座に否定した。


「術はこいつの意識にまで食い込んでいる。解除には緻密な魔力操作が必要だ。揺れる船上で行えば、僅かな狂いが後遺症として残る可能性がある」


「後遺症……?」


 その言葉に、不安が胸を過ぎった。

 けれど、それさえもすぐに別の衝動に押し流される。

 そんなことはどうでもいい。

 早く崖へ行かなければならない。


「なら、ここでやるしかないか」


「そういうことだ」


「夜が明ければ、海へ出たところを見つかるよ」


「分かっている」


 淡々と返したオズが立ち上がる。


「小屋へ戻る。ここは足場が悪い」


「私を離して!」


 叫んだ瞬間、リオンが私の身体を軽々と抱え上げた。


「悪いね。歩かせたら、また崖に向かうだろ」


「行かなきゃいけないの! お願い、離して!」


「どこへ行くかも分からないのに?」


「分からないけど……行かなきゃ……!」


 自分の言葉が酷くおかしいことは分かっていた。

 何故、崖から落ちなければならないのか。

 落ちた先に何があるというのか。

 考えようとすると、頭の中を白い靄が覆う。その奥から命令だけが繰り返し響いてくる。


 行け。

 身を投げろ。

 精霊の力を呼び起こせ。


(精霊の、力……?)


 その言葉が浮かんだ途端、頭を内側から強く締め付けられた。


「っ、あ……!」


 視界が歪み、思わず呻く。

 体から力が抜けたが、リオンに抱えられていたため倒れることはなかった。


「今、何に反応した」


 オズが足を止めて振り返る。


「分からない……頭が、痛い……」


「聞こえている命令を口にしろ」


「命令なんて……」


 無いと言おうとした。

 けれど、口が動かない。

 喉の奥が固まり、息だけが苦しく漏れた。

 オズは私の反応を見て、僅かに目を細める。


「術に関する情報は、やはり妨害されるか」


「随分と念入りだね」


「それだけ、確実に動かしたかったのだろう」


 小屋へ戻ると、リオンは私を古びた床へ座らせた。

 背中から両腕を回され、身体ごと押さえ込まれる。脚も逃げ出せないように挟まれ、ほとんど身動きが取れない。


「痛かったら言ってよ。怪我されると困るからさ」


「今すぐ離して」


「それ以外なら聞くよ」


 リオンの声はいつもと変わらず軽い。

 けれど、私を押さえる腕は決して緩まなかった。


 オズは私の正面に膝をつき、右目に掛かるモノクルを外した。それをローブの内側へしまい、両手を私のこめかみへ添える。

 冷たい指が触れた瞬間、身体中に悪寒が走った。


「嫌……!」


「動くな」


「触らないで!」


 頭を振ろうとしたが、オズの手に固定される。

 オズの視線が物言いたげに、私の背後のリオンへと向いた。


「おい」


「だって。これ以上は、かなり強く押さえないと無理だよ」


「構わない。死にはしない」


「注文が多いね」


 ぼやきながら、リオンが腕へ力を込めた。

 胸が圧迫され、浅い呼吸しかできなくなる。


 オズに触れられている場所から、細く冷たい魔力が身体の内側へと流れ込んでくる。

 先程とは違う。

 今度はゆっくりと、慎重に。

 蜘蛛の糸のように細い魔力が、頭の中へ張り巡らされた何かを探している。


「やめて……」


 言葉が震えた。

 何をされているのか分からないのに、酷く恐ろしかった。


 胸の奥から込み上げる恐怖は、私自身のものではないような気がする。

 その魔力から逃げろ。

 触れさせるな。

 術を壊させるな。

 頭の中で、誰かの声が怒鳴っている。


「嫌! やめて、オズ!」


 全身に力を込めて暴れた。

 リオンの腕に爪を立て、足を床へ叩き付ける。けれど、どれほど抵抗しても逃げられない。

 オズは目を閉じたまま、微動だにしなかった。


「外から入り込んだ魔力が、記憶と感情に沿って根を張っている」


「取れそうか?」


「時間を掛ければな」


「その時間がないんだけど」


「なら黙っていろ。気が散る」


 冷たく言われ、リオンが口を閉じた。

 その時、扉の近くに立っていたベリルが外を確認する。


「余は周囲を見てくる」


 赤い瞳が、ほんの一瞬だけ私へ向けられた。


「勇者。聖女を離すなよ」


「言われなくても分かってるよ」


 ベリルは扉を開き、夜の闇へ姿を消した。

 冷たい風が吹き込み、私の黒髪を揺らす。

 その風に呼ばれるように、意識が崖の方角へ引かれた。


「行かなきゃ……」


「行かせないよ」


「精霊を、呼ばないと……」


 口に出した瞬間、頭の奥に焼けるような痛みが走った。

 まるで私の罪を罰するようだった。


「うあっ……!」


 悲鳴が漏れ、視界が白く弾ける。

 オズの視線が私へと向く。


「今、何と言った」


「分から、ない……」


「精霊を呼ぶって言ってたろ」


「私が……?」


 そんなことを言った覚えはなかった。

 けれど、唇には確かに言葉を発した感触が残っている。

 オズの視線が鋭くなる。


「予想通りだ。崖から落下させ、強い精霊の力、もしくは精霊王の力を強制的に引き出すことが命令の目的だ」


「やっぱり居場所を探るためか?」


「ああ。精霊の力を追えるのか、あるいは発動した場所を特定する別の手段がある——と考えるべきだろうな。まだ推測の域を出ないが」


 オズの指先から流れ込む魔力が、僅かに強くなった。

 頭の中で、細い糸が引かれる。

 その瞬間、知らない誰かに意識を掴まれたような感覚がした。


「いやっ!」


 無我夢中で身体を反らす。

 頭蓋の奥から何かを引きずり出されるような痛みに、涙が溢れた。


「やめて! 痛い、オズ!」


「動くな。まだ深いところには触れていない」


「痛いの!」


「術が抵抗しているだけだ。お前自身を傷付けてはいない」


「もういいから、離して……!」


「駄目だ」


 オズの声には迷いがなかった。

 私がどれだけ泣いても、訴えても、手を離そうとはしない。


 頭の奥で、何かが必死に逃げ回る。

 オズの魔力はそれを追い、絡み付いた糸を一本ずつ見つけ出していく。


 時間の感覚がなくなっていった。

 ただ、痛みと、崖へ行かなければならないという衝動だけが残っている。

 やがて、扉がまた開く。


「大賢者」


 戻ってきたベリルの声が聞こえた。


「海上に巡回船は見えぬ。だが、東の空が白み始めた。猶予は僅かだ」


「あと少しだ」


「本当に?」


 リオンが問う。


「ああ。もう見つけた」


 オズの両手に込められた魔力が、これまでよりも細く研ぎ澄まされていく。


「ここから先は、絶対に動かすな」


「分かったよ」


「何をするの……?」


 震える声で尋ねる。

 オズは私の瞳をまっすぐに見据えた。


「お前の中に残った術者の魔力を切り離す」


「怖い……」


「そうか」


 それだけ答え、オズは目を閉じた。

 冷たい魔力が、頭の最も深い場所へ触れる。

 何かが切れる音がした。

 実際に聞こえたわけではない。


 けれど、確かにそう感じた。

 激しい痛みと共に、頭の中へ張り巡らされていた糸が一斉に千切れる。

 声にならない悲鳴を上げた直後、身体から全ての力が抜けた。

 

 崖へ行かなければならない。

 そう繰り返していた衝動が、嘘のように消えている。

 残ったのは、頭の奥の鈍い痛みと、全身を襲う酷い疲労だけだった。


「……私……」


 自分が何をしていたのか思い出し、息が震える。


「私、崖から……」


「術は切れた」


 オズが手を離した。

 リオンの拘束もようやく緩む。けれど、身体に力が入らず、そのまま彼の腕へ寄り掛かってしまった。


「もう、行かなくていいの……?」


「ああ」


 短い返事に、胸の奥が少しだけ軽くなった。

 その直後、ベリルが開いた扉の向こうを見て告げる。


「感傷に浸っている暇は無い。夜が明けるぞ」


「聞いた通りだ。立て」


 オズが立ち上がる。

 私も床へ手をついたが、脚が震えて上手く力を込められなかった。


「待って。まだ、立てない……」


「なら俺が運ぶよ」


 リオンはそう言うと、返事を待たずに私の身体を抱え上げた。


「わっ……!」


「今度は海に飛び込もうとしないでよ」


「しないよ!」


 反射的に言い返したものの、崖の外へ足を踏み出した感触を思い出し、声が弱くなる。


「……多分」


「そこは言い切ってほしいところだよね」


 リオンの軽口に、僅かにいつもの調子が戻ってきた。

 オズは既に小屋の外へ出ている。


「急げ。小舟が見つかる前に岸を離れる」


 空はまだ暗い。

 けれど、夜の端には確かに朝の白さが滲み始めていた。

 私達は誰もいなくなった小屋を後にし、岩陰に隠された小舟へと急いだ。

 


お読みいただきありがとうございます。

評価やブックマーク等で応援いただけると、執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ