第62話
それから数回の野宿を挟んだ。
水の国ネフラディアへの国境を目前にして、オズが懐からブローチを取り出した。
(ジルとの連絡に使ってる『あれ』だ……曰くつきのやつ……!)
そのブローチが輝く時はジルからの用事がある時だ。オズは小さな転送魔法の陣を描き、そこから一通の手紙を取り出した。
ジルがオズに宛てたものだ。
それを開き、便箋へと視線を滑らせていたオズは僅かに眉間に皺を作った。
「ジルはなんて?」
リオンが問う。
「聖王軍が出兵の支度を進めていると。教皇も絡んでいると見ていいだろう」
「な……!」
思わず声が詰まった。
オズは手紙に魔法で火を付け、手のひらの上で燃やし尽くした。
「理由は聖女の誘拐。——お前を拐かした重犯罪者を捕らえるためだ」
オズが私に視線を向けながら言った。
私は口を開けたまま固まっていた。
「聖女様を捕らえるついでに、邪魔な俺達のことを殺しておきたいって感じか」
「そうだろうな」
リオンはまるで予想がついていたように言う。……というか、慌てているのは私だけだった。
短く答えるベリルもいつも通り落ち着き払っている。
「大賢者に、魔王に勇者。それを相手にして勝機を見出す策でもあるのか」
ただ警戒は解いていない。いつもより少しだけ険しい表情でベリルは呟いた。
オズは水の国のある方向へと視線を向け、口を開く。
「……思ったより、動きが早かったな」
「聖女様は黒いお髪に黒い瞳をしていらっしゃるそうだ。見つけ次第保護し、大聖堂にお連れするようにと」
そう会話をする街の人の死角に隠れ、私は息を詰めていた。
ここは水の国に入ってすぐの街だ。そこには既に大聖堂からの通達が広がっていた。
この国で黒い髪も、黒い目もそう珍しいものではないが、両方を併せ持つとなるとかなり限られる。
そしてこの世界には当然、私の世界にあったようなカラコンも、髪を染める薬剤も存在しない。
髪や目元を隠して歩いても、今の状態では悪目立ちしてしまうばかりだ。
実際に、フードを深く被っていた旅人が自警団に呼び止められ、髪と目の色を確認されているのを見た。
「どうしよう……」
建物の影に隠れ、小さく呟く。そして振り返る。
ヒビ割れた肌を隠すため、フードを被っておかなければならないリオン。同じく魔族の象徴である角を隠しておかなければならないベリル。
そして黒い髪と目を持つ私。
人目を避けるためには、もう宿も店も使えない。それだけならまだしも、船が使えなくては海に浮かぶ孤島である聖都には行き着けないのだ。
「ヴェルクロア家の協力を仰ぎたいところだけど、シャルネは聖都で、南のランドールに行くためにはこの東の国を突っ切る必要がある。時間が経てば検問所も増える。——ちょっと苦しいな」
リオンが呟く。
行き場も無くそうしていると、オズがまた転送魔法の陣から一通の手紙を取り出す。
その手の内ではブローチがまた光を放っていた。
今度は封筒に入っていない便箋に殴り書きのような文字が走っているだけだった。
「情報屋が裏船を買収したそうだ。夜に乗じてそれを拾い、聖都に向かう」
目的地はすぐに決まった。
人目を避けて街を離れ、その船がやってくるという入江を目指す。幸いここからそう遠くはないが、夜までにそこに着いている必要がある。とはいえ、まだ時刻は昼だ。十分に間に合うはずだ。
人の行き交う街道を少しだけ逸れて、崖沿いを歩く。少しでも人目を避けるためだ。
だが。
「待て!」
突然響いた声に肩が跳ねる。
姿を隠すために深く被ったフードを少し持ち上げて声の先へと視線を向ける。
そこには聖服——大聖堂に所属している事を示す、白い服を纏った兵士の姿があった。
「……聖堂兵か」
オズが呟く。
私も記憶にあった。聖王ではなく大聖堂の命令だけに従う兵士のことだ。
(けれど、戦争時や、大聖堂が襲われた時でもなければほとんど姿を現すことはないと言われていたのに……)
盾を持った前衛の兵士から槍兵、弓兵、魔術兵と、十数名を束ねている男性はまっすぐにこちらに歩み寄る。
「我々は聖女様を探している。姿を確認するため、外套を脱いでいただこう」
大聖堂の命令は、聖王の命令とほぼ同義。つまり一国の命令だ。逆らうわけには行かないが、大人しくローブを脱ぐわけにもいかない。
もちろんリオンとベリルも従う気配は無い。
その躊躇を抵抗と見なしたのか、その男性が手を挙げると後ろに控えていた兵が一斉に武器を構えた。
近接武器を持った兵士が地を蹴って駆け寄ってくる。その後ろで弓兵が弦を引き、魔術兵が杖を翳すのが見えた。
「ねえ、やっちゃって良いの?」
大剣に片手を掛けてリオンは問う。
ベリルも視線だけでオズを確認している。
「……あまり目立たずにやれ」
魔術兵の足元に浮かび上がった魔法陣が突然砕けて消え去る。
オズが片手を振った瞬間のことだった。何個もの魔法陣が同時に割れ、奇襲を掛けようとした魔法が全て打ち消される。オズが地属性の魔法で地面を僅かに隆起させ、陣を崩したのだ。
頭上に放たれた矢は、黒炎を纏って私たちに届くことなく燃え尽きる。今度はベリルの放った炎だ。
同時に、リオンは大剣の刃の腹で兵士達を薙ぎ払い、まとめて地面へ転がしたのが見えた。
(大丈夫、負けることはない……)
戦力は圧倒的だった。
私は足手纏いにならないように、前線から離れてオズの側に立つ。
彼らが聖堂兵を一通り捌いたあと、急いで走って逃げればいい。そう楽観的に構えた直後。
敵の一番後ろに控えている魔術師と目が合った。
顔を隠すように深くかぶったフードの向こうで輝く金色の瞳が、真っ直ぐに私を捕らえた。
その唇が、何かを紡ぐ。
(何……?)
何故か、その瞳から目が離せなかった。
無自覚に一歩進み出そうになった私の目元を、冷たい指が覆って視界を塞いだ。
「わっ! な、何? オズ?」
突然真っ暗になった視界に慌てる。冷たい指と覚えのある香りだけで、それが誰のものなのかは分かる。しかし、名前を呼んでも返事は返らない。
暗闇の向こうで地面が激しく揺れ、大きな力がぶつかる音がした。
力の衝突によって生まれた突風が頬に吹き付ける。
「おい、目立たずやれって言ったのはお前だろ」
不服そうなリオンの声が聞こえる。
「事情が変わった。撤退させろ」
真上から、オズの声も聞こえた。
それから数分も経たず、複数の足音が遠ざかっていく音がした。
その間ずっとオズは私の視界を塞いだままだった。頭を動かそうとしても、腕を押しのけようとしても、私の目を覆う手を退かそうとはしなかった。
周囲に聖堂兵の姿が無くなってから、ようやくその手が外される。
不意に戻った光の眩しさに、思わず目を細めた。
「で、事情って?」
大剣を背に担ぎなおしながらリオンが言う。
オズはそれには答えず、私の腕を取って手首に指を添えていた。脈を確かめているようだった。
「何かされたのか」
ベリルが短く問う。その瞳は私へと向いていた。
「え? 別に、何も——」
「黙っていろ」
答えようとしただけなのに、口を開いた瞬間に叱られてしまう。
その後も私の瞳孔の開きを確かめたり、体温を確かめたりしていたが、私自身は何も異常は感じていない。
そして、それはオズも同様のようだった。
「杞憂か……?」
納得していない表情で、オズが私から手を引いた。
リオンも観察するような視線を向けていたが、やがて小さく肩を竦めた。
「本人も何も無いって言ってる。珍しいね、お前が過保護なんて」
からかうような言葉にも、オズは何も返さなかった。
結局、指定された場所の側にある忘れ去られた小さな小屋の中で、私達は夜を待った。
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