第61話
彼が不老の魔法から解かれることを願ったのは私だ。
それに対する文句のつもりではないのだろうが、勝手に胸が重くなる感覚があった。
オズはサイドテーブルに置かれた皿を見て、静かに口を開く。
「昔から、食事をするのも睡眠を取ることも、嫌いだった。知るべきことはまだたくさんあるのに、そんな無駄なことに時間を割いてはいられない」
そう語るオズの側で、私は目を丸くしていた。
彼の口から昔——つまり百年前の話が出ることは、ほぼ無いに等しかった。
「だが……食事をすることも眠ることもやめ、百年の間ただひたすらに知識を漁っても。未だ世界の深淵には届かない」
(……弱音?)
これも、酷く珍しいことだった。
確かに彼は行く先々で、時間さえあればひたすらに本のページを捲っていることが多い。
けれど、そんな気持ちで知識を蓄えていたとは、知る由もなかった。
恐る恐る口を開いてみる。
「オズは……どうしてそんなに知識を求めているの?」
明らかに踏み込みすぎた質問だった。だが、彼がそれを拒む様子は無い。
普段は右目に掛かっているモノクルが外されており、こうして素顔を正面から眺めるのは初めてのような気もした。
しばらくの間を置いて、オズはまた口を開く。
「大賢者は皆、処刑されたと言ったな。あの時、僕だけが逃がされた。まだ学ぶことがあると、学ぶことをやめるなと言われて」
いつものように淡々と、表情を変えずにオズは言った。
「……彼らを犠牲にして、僕は逃げ延びた。故に、僕には学び続ける義務がある」
けれど、どこを見るでもない、空虚な眼差しだった。
(それは、多分違う……)
私は喉が詰まる思いだった。零れ出そうになる言葉を懸命に飲み込む。
(その人たちは、あなたにただ生きろと……そう言っていたんじゃないの?)
決して、呪縛のように彼を縛り、不老の魔法まで作り上げさせるための言葉には思えなかった。
彼は、最年少の大賢者だったという。他の大賢者達は、ただ彼を死なせたくない一心で、そう言ったのではないだろうか。
(でも、私にそんな口出しをする権利はない)
だから私は、別の言葉を探した。
「……食事をすることも眠ることも、本当に無駄なのかな」
オズの視線がこちらへ向く。
問い返すような目だった。
「何が言いたい」
「えっと……」
言ってから、上手く続けられずに少し困る。
彼の過去に口出しをする権利はない。けれど、何も言わずにいることも出来なかった。
「眠ったら、少し頭が整理されることもあるし。食べないと、考える力だって落ちるし……だから、全部が無駄ってわけじゃないと思う」
「随分と当たり前のことを言うな」
「そう、当たり前のこと」
そう返して、小さく笑う。
「オズが知識を求めることを、否定したいわけじゃないの。ただ、そのために食べることも眠ることも、全部捨てなくてもいいんじゃないかなって」
言いながら、私は小さなテーブルに置いた皿へ視線を向ける。
その横に置かれている小さなランプに手を翳すと、部屋をぼんやりと照らす明かりが灯った。
「せっかくエルフの人が作ってくれたんだし。これも、知らない味でしょ? 学びにはならない?」
「……食事を知識扱いするのか」
「ダメ?」
「詭弁だな」
ばっさりと言われて、少しだけ肩を落とす。
けれど、オズはそれ以上拒むことなく皿を手に取り、中身を眺めてから、匙を取った。
一口。慎重に口へ運ぶ。
「美味しい?」
以前から、彼は料理の味に言及することは無かった。ただ『分からない』とだけ言って。
それは不老の魔法によって、味覚までもが——正しくは美味しいと思う心が、消え去っていたからだ。
けれど、今ならどうだろうかと、ついつい期待を込めた眼差しを注いでしまう。
しかし返ってきたのは小さな溜息だった。
「……見すぎだ」
「あっ」
あまりにも露骨に見つめてしまっていたことに気付き、慌てて背中を向ける。
その向こうで、ほんの小さく笑うような音が聞こえた。
もう一度、匙が動いた音が聞こえる。
「……美味しい?」
「……ああ」
いつものような、ごく短い返事。
けれど私は彼に背を向けたまま、どうしても笑みを堪えられなかった。
翌朝。
また荷物をまとめて借りた家を出る。
シルフェインへの挨拶も終え、シルフの里を一歩出て振り返った先は、鬱蒼とした森が続くばかりだった。
「存在しないとさえ言われたエルフの里。まさかこの目で拝む日が来るとはね」
リオンは真っ暗な森を眺めながら言った。
まさかこの先にあんな神聖な世界が広がっているなど、一体誰が想像付くだろうか。
後ろ髪を引かれながらも、森に背を向けて歩き出す。
目指す先は聖都アレクシア。私にとっては始まりの地だ。
北の国にはほとんど人の住む土地は無く、当然馬車も通ってはいない。ここからは徒歩で東か西の国に渡り、そこから聖都を目指すことになる。
旅慣れたとはいえ、遠い距離だ。
(でも、精霊王の加護は集まった)
その事実が私の足を軽くする。
あれだけ焦がれた元の世界が、近付いている気がした。
その分、この世界との距離と別れる日も近い。
(……考えないでおこう、今は)
軽く首を振って、迷いを振り払う。
いつかこの世界を恋しく思う日が来るかもしれないが、その感傷に浸るのは、今でなくていい。
私たちは行く先を東の国ネフラディアへと定め、再び歩き出した。
―第6章 完―
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