第60話
(ま、また落ちてる……!)
放り出されたのは神殿の上空だった。分かってはいたが、精霊による人間の扱いは結構『こう』だ。
幸い私を包む風が勢いを殺し、私はつま先から静かに床へ降り立った。
神殿の最深部。そこにオズ、リオン、ベリルの姿があった。
戦闘の形跡も無い。本当に魔物は出なかったようだ。一番苦労する覚悟をしていたが、拍子抜けだった。
「何も無かった?」
そう問い掛けてくるリオンに頷きかけて、私は言葉を止めた。
「うん……あっ、一つだけ。精霊王様に、死に戻る先を選べないのかと訊ねてみたら、こう言っていたの。座標を知る者の手で戻されたのなら叶う、と」
「座標?」
リオンが不思議そうに聞き返す。そしてその視線はオズへと向けられた。
私もそれを追い掛けてオズへ目を向ける。
彼は顎に手を当て、何かを考え込んでいた。
「……座標か」
そう小さく呟く。
心当たりがあるのか、ただ思考しているだけなのか、いまいち分からない。
ふとベリルの視線が私へと向いていることに気付き、視線を合わせる。
「ならば、お前はどうする」
「え?」
端的な問いに思わず目を瞬かせる。
補足するようにリオンが口を開いた。
「四つの大精霊の加護を集めたんだろ? ってことは、聖女様はもう元の世界とやらに帰れるんじゃないの?」
そう言われてはっと息を詰めた。そう、元の世界に帰るための目的は、今果たされていた。
思わず震えそうになる指先を握り締めたその時、オズの声が響いた。
「まだだ。その力を扱うための条件は、恐らく精霊王の召喚だ。四属性を、同時に召喚する」
「……えっ!?」
達成感が一気に薄れて、思わず声を上げる。
突然、今までにない難問が降って湧いた。
「四属性の精霊王を同時に召喚? そんなの無理だろ、前に聖女様は水の精霊王を召喚し損なっただけで倒れていたのに」
「そう、普通は不可能だ。だから媒体を用意する必要がある。それぞれの属性を秘め、精霊王の召喚に耐え得るだけの媒体を」
「……ふむ」
ベリルは小さく頷き、そして真っ赤に輝く自身の瞳を指差して言う。
「これはどうだ」
「魔王の瞳か。火の媒体としては申し分無いだろうな」
「い、いや! 申し分あります!」
当たり前のように返事をしているオズの横から思わず口を挟む。
魔王の片目を抉り出して媒体にするなど、頷けるはずもない。だがベリルは小さく笑った。
「焦るな。今すぐとはいかない。余も我が子を取り戻してからでなくては、瞳を失えぬ。もし我が子を救えたならば、その褒美としてくれてやろう」
そう言うベリルに不満げな色を示したのはリオンだった。
「目玉失ったら俺との再戦はどうなるんだよ」
「心配するな。すぐに力を失うわけではない。お前が食った余の心臓とは性質が違う」
(相変わらず、すっごいひりつく会話してるな……!)
そんな会話を横目に、オズは言う。
「他の媒体であれば、心当たりがある。僕の住んでいたあの場所。希少な素材の類を隠してある、地下の部屋がある。——だが、盗人が立ち入れぬよう魔法を掛けたせいで、転送魔法が届かない。一度聖都に戻る必要がある」
「ジルとシャルネも聖都に向かっているわけだし、丁度良いんじゃない?」
なし崩し的に次の目的地が決まった。
神殿を出た頃には、既に空は夕陽が沈もうとしている頃だった。
(前も思ったけど、精霊王の領域にいる間は時間の流れが違うんだな……)
体感ではまだ昼頃のはずが、世界はもう夜だ。
昨日まで泊まっていた家に、私だけもう一泊することとなった。
シャルネとジルの居ない今、寝室は人数分ある。私以外の三人は各々割り当てられた部屋に籠り、姿を見せない。
三人ともそんなに馴れ合いを好むタイプではないので、仕方のないことではある。
リビングのテーブルには今日の食事の残りがあった。この里に住むエルフが差し入れてくれたものだ。
白い陶器の器には、グラタンに良く似た料理が盛られている。茸と根菜を白いソースで煮込み、香ばしく焼き目をつけてある。表面は香ばしく、中はとろりとしていて、優しい甘みがある。澄んだ野菜スープも添えてあった。
リオンとベリルは先程顔を合わせずに食事を終えていたが、オズはしばらく姿を見せていない。
私は少し考えて、取り皿に一人分の食事をよそってからオズの部屋へと向かい、扉をノックした。
返事はない。
そっと扉を開くと、明かりの無い部屋に置かれたベッドの一つに、眠るオズの姿があった。本を読んだまま寝ていたのだろう、その傍らには閉じられた本が置かれ、近くにモノクルも転がる。
その体に布団は掛けられていないままだ。
起こしてしまわないように足音を抑えて近付く。
いつものオズなら、扉を開けた時点で気付いていただろう。けれど今の彼は静かに目を閉じたまま、浅い寝息を立てている。
(本当に、眠ってる……)
それが何だか不思議だった。
食事も睡眠も必要ないと言っていた彼は、今はもういない。
不老の魔法が解けかけているのだから当然なのだろうが、それでも目の前の光景はひどく無防備に見えた。
私は皿を近くの小さなテーブルに置き、ベッドの端に掛かっていた布団へ手を伸ばす。
「……今度はオズが、風邪引いちゃうよ」
小さく呟いて、そっと布団を掛けようとした時だった。
不意に手首を掴まれる。
「っ……!」
驚いて息を呑む。掴む力は強くて、咄嗟には振り払えない。
眠っていたはずのオズは薄く目を開き、焦点の合わない瞳でこちらを見ている。
それが警戒の色を宿していることに気付き、私は慌てて反対の手を横に振る。
「わ、私です……! ごめん、勝手に入って……」
「……お前か」
その声でようやく、オズの瞳がゆっくりと焦点を結んだ。
数秒遅れて、彼は自分が私の手首を掴んでいることに気付いたらしい。すぐに手が離れる。
「何の用だ」
「食事、まだだったみたいだから」
そう言って小さなテーブルの皿を示す。
オズは体を起こしながらそちらへ視線を向け、それから自分に掛けられかけていた布団を見た。
「また寝ていたのか」
「うん」
「慣れないな……」
溜息混じりの呟きには、わずかな戸惑いが混じっていた。
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