第58話
翌朝、エルフの里には薄い朝靄が降りていた。
白い石壁の家々も、青々とした草も、澄んだ川の流れも、霧の向こうで淡く霞んでいる。静かで美しい景色のはずなのに、私の胸の中だけは妙に落ち着かなかった。
昨夜、シャルネと話したことが頭から離れない。
『オズ様のこととなると、レイアさんは少しだけ表情が変わります』
そう言われた時は否定したかった。
けれど、上手く否定出来なかった。
だって今も、気付けば視線が彼を探している。
少し離れた場所で、オズが荷物を確認していた。いつも通り感情の読めない横顔。特別なことは何もしていない。ただそこにいるだけだ。
それなのに、胸の奥が落ち着かなくなる。
「……何だ?」
「えっ」
不意に声を掛けられ、肩が跳ねた。いつの間にかオズがこちらを見ている。
目が合った瞬間、昨夜のシャルネの言葉がまた頭を過って、私は反射的に視線を逸らしてしまった。
「な、何でもないよ。ただ見てただけ」
自分でも不自然に早口になったのが分かった。オズは眉を寄せ怪訝そうな表情を見せる。
「まだ体調が戻っていないのか」
「もう大丈夫。熱も下がったし」
オズは腑に落ちていないような顔をする。
本当に体調が悪いわけじゃない。ただ、どうしていいのか分からないだけだ。
今まで通りに話せばいい。そう思うのに、彼の目を見ると、胸の奥に妙な痛みが走る。
オズには、追い掛けている人がいる。
百年を過ごした場所を離れてでも、行こうと思えるほどの人が。
そう思うと、自分が今抱えている感情がひどく場違いなものに思えてしまう。
明らかに訝しむ視線。
無関心からではないと分かってしまうから、余計に苦しかった。
「本当に何でもないよ。ちょっと、考え事をしてただけ」
「そうか」
オズはそれ以上聞かなかった。
短い返事をして視線を外す。その横顔を見て、少しだけ胸が沈んだ。
聞いてほしいわけではない。聞かれても答えられない。
それなのに、追及されないことに寂しさを覚えるなんて、我ながら面倒くさい。
「レイアさん」
背後から声がして振り返ると、旅支度を終えたシャルネが立っていた。
その隣にはジルもいる。
シャルネは私とオズを一度ずつ見て、それから何も言わずに微笑んだ。
「お体の具合は、いかがですか?」
「うん。もう平気。心配かけてごめんね」
「いいえ。無理だけはなさらないでください」
穏やかな声だった。
けれど、その瞳には昨夜の会話を覚えている色がある。
私は少し居心地が悪くなって、視線を落とした。
「シャルネも、ジルも……本当に気を付けてね」
「もちろんです」
「ま、こっちはこっちで上手くやるさ」
ジルが軽く笑って肩を竦める。
その普段通りの調子に少し安心する一方で、胸の奥の不安は消えなかった。
そんな私に気付いたのか、ジルは笑みを深める。
「心配すんな。シャルネは俺がちゃんと守る」
「ジル様。私も貴方を守るつもりでおりますよ」
「はは……頼もしいことで」
そんなやり取りを交わした後、シャルネは私へと向き直った。
「レイアさんも、どうかお気を付けて」
「うん」
そう返すと、シャルネは一歩近付いてきた。
そして、私にだけ聞こえるくらいの声で言う。
「昨夜のことですが、答えを急ぐ必要はありません」
「えっ」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。シャルネは優しく微笑む。
「ただ、ご自分の気持ちを責めないでくださいませ」
「……うん」
それだけで、何の話か分かってしまう。私は小さく頷いた。
視界の端に、オズの姿が映る。
こちらを見ているわけではない。けれど、そう思っただけでまた意識してしまう自分がいた。
「ありがとう、シャルネ」
「いいえ。友人として、当然のことです」
その言葉は、何度聞いても温かかった。
ジルが荷物を肩に掛け直す。
「じゃ、そろそろ行くか」
軽く告げられた言葉に、胸がきゅっと痛む。
本当にここで別れるのだ。
「ジル、シャルネ」
二人が振り返る。
「絶対、また会おうね」
ジルは少しだけ目を細め、それからいつものように笑った。
「当たり前だろ」
「ええ。必ず」
シャルネもそう答える。
二人の背中が朝靄の中へ遠ざかっていく。
見えなくなるまで見送ってから、私は小さく息を吐いた。
「行くぞ」
隣からオズの声がした。いつも通りの短い言葉。
ただそれだけなのに、すぐに返事が出来なかった。
「うん」
少し遅れて頷く。
「……なんか、面倒なことになってるな」
前を歩いていたリオンが、小さく呟いて肩を竦める。
「ふむ」
ベリルは小さな体で私を一瞥し、どこか面白がるように目を細めた。
その後ろで私は俯きがちに、オズの隣を歩いた。
近すぎると落ち着かない。けれど、離れすぎるとそれはそれで不安になる。
自分の心なのに、まるで扱い方が分からない。
それでも一つだけ、分かってしまったことがある。
私はもう、オズをただの仲間として見ることが出来なくなっていた。
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