第55話
「聖女様が死んだ時、誰と旅をしていたのかは分からない。だけど、精霊の存在を知っていたということは——オズウェル、お前は一緒にいたはずだ」
リオンが思い付いたように口を開く。その瞳は、この場でほとんど口を開いていないオズへと向けられている。
「なのに、聖女様は死んだ。つまり、お前は守り切れずに死なせたってことだよね」
「ま、待って!」
突然オズに責任を問うような言葉が飛び出し、私は慌てて制止を掛ける。
「記憶は無いけど、その時に私がオズと旅をしていたかどうかは分からないし……」
その私の声を遮るようにリオンは小さく肩を竦める。
「あの精霊師の存在がチラついてるのに、オズウェルが一緒に行かないわけないだろ」
「まあ、確かに即決だったな」
当然のようにリオンが言い、その横でジルも頷いていた。
思い返せば、確かに精霊師の話が出てすぐ、オズは共に行くと言った。百年を過ごした場所さえもすぐに手放して。
改めて彼にとっては大事な存在を追い掛ける旅であったことを思い出して私は黙る。
オズも、何も言わなかった。
「その時我らが共にいたのかは分からぬが、大賢者でも止めきれぬ『何か』が出てくる可能性があるということか」
小さな体には大きすぎる椅子に座り、床に届かない足を宙に浮かせたまま、ベリルが言う。
もしそれほどの力を持つ存在に狙われるとなると、話は違ってくる。
しんとした静寂が落ちた。この場の誰もが結論に至れないでいる。
その空気を壊して、ジルが椅子を引いて立ち上がった。
「……あのエルフもすぐに答えは出さなくて良いって言い方だったろ。今は少し休んだ方がいいな」
その声に賛同し、一人また一人と立ち上がっていく。私もやけに重く感じる腰を上げて、席を立った。
少しだけこの家を探索した後、私はリビングのソファへ体を横たえていた。
体だけでなく、瞼も重い。徐々に意識も深く落ちていくようだった。
そして気付けば、私は無音の世界の中を必死で駆けていた。果てなく続くような螺旋階段で何度も躓き、それでも這うように上っていく。自分の足音も聞こえない。
最後に辿り着いたのは最上階の小部屋だった。物置として使われているのか、雑多に物が置かれ、分厚く埃が積もっている。
共にここまで上ってきた仲間が、後ろで力尽き倒れている。振り返っても顔は見えない。真っ黒に塗り潰された人影があるばかりだ。
(何とか……何とか時間を稼がなきゃ……!)
必死に周囲を見回して、部屋の奥にある、小さなバルコニーへ繋がる扉を押し開ける。
ここは、周辺地域の治安を維持するための役割を持った塔の最上階だ。
忙しなく周囲へと視線を向ける。頭上には真円の月が浮かんでいる。
そして塔の下では、松明を持った兵士達が私たちを追い掛けるため、今にも閉ざされた扉を破って中に押し入らんとしているのが見えた。
あの扉を、破らせるわけにはいかない。
縋るようにバルコニーからの落下を防ぐための石造りの柵を登る。震える足で、靴一つ分の幅のある柵の上に立った。
(怖い……怖い……!)
無音の世界で一人叫ぶ。自分の声すら聞こえない、おかしな世界だった。
怖いけれど、もうやるしかないのだ。背後には大切な仲間がいる。
残った力を振り絞り、聖女だけが扱える光の魔法を放つと、遥か足元の人々の視線全てが私に向くのが分かった。
その瞬間を見逃さず、小さな足場を蹴って、冷たい空気の中に飛び込む。その瞬間に、強く肩を揺さぶられる感覚があった。
「おい、レイア!」
反射的に伸ばした腕は、ジルの袖を掴んでいた。
心配そうな表情をしたジルが、私の顔を覗き込んでいる。その向こうには、真っ白な天井が見えた。
エルフの家のソファで、私は眠っていたのだと、数秒後に理解する。
「……大丈夫か? 相当うなされてたぞ」
首に汗が伝う感覚がある。しばらく息をしていなかったかのように息苦しくて、肩を揺らして呼吸を繰り返す。
ジルの背中の向こうに、通りかかったオズの姿が見えた。どうやら家を出ていくところのようだ。
私、それからジルへと順に視線を向けたオズは、すぐに扉へと向き直り薄く口を開いた。
「世話焼きなことだな」
「お前なあ、仲間が具合悪そうな時にそういう——」
苛立ったジルの言葉を最後まで聞かずにオズは扉の向こうへと姿を消した。
溜息混じりに私へと向き直ったジルは、一度目を瞬かせる。
「……っていうか、本当に具合悪そうだな。さっきは顔が真っ青だったけど、今度は真っ赤だぞ」
「……え?」
その後、私は複数ある寝室の一つで寝かされていた。部屋には他に誰もおらず、ただひたすらに静かだった。
自分の手の甲を首に押し当てると、普段よりずっと高い体温が伝わる。
発熱により汗だくになってしまった服をシャルネが着替えさせてくれた。サテンに似たさらりとした生地のローブのような寝衣は、体を締め付けることもせず着ていて楽だった。この寝室のクローゼットに、畳んで入っていたものだ。
汗で肌に張り付いてしまうのは少々気になるものの、旅するための装備のままよりはずっと良い。
傍らのサイドテーブルにはシャルネが置いてくれた水差しとグラスがあった。グラスの中は空だ。さっき喉が渇いて、飲み干したところだった。
今も体は水を欲してはいるが、体を起こして水差しから水を注ぐだけでも酷く億劫だった。それくらい体が重い。
(この熱の感じ、インフルにかかった時に似てるな……風邪をひくと、いつもお母さんが看病してくれた)
額の上にはシャルネが置いてくれた濡れたタオルがある。もう額から熱を吸い取ってすっかり熱くなってしまっている。
昔、母が頻繁にそれを替えてくれたことを思い出し、恋しさで視界が滲む。
(ダメだな、具合悪い時は感傷的になって)
一人、自嘲を零す。
こういう体調の時はろくな思い出が無い。寝ていても見るのは大抵悪夢ばかりだ。
(さっきの夢も最低だったな……)
あんな話をしたばかりだからだろうか。
夜空に身を投げた時の感覚はやけにリアルで、思い出すだけで体が震え出しそうになる。
ぞくぞくとした悪寒が、恐怖なのか発熱のせいなのか、判断がつかない。
体に掛けられた布団を、縋るように抱き締める。濡れたタオルが傍らに落ちるが、構うだけの余裕もない。
そうしているうちに熱く重い瞼はまた閉ざされていった。
お読みいただきありがとうございます。
評価やブックマーク等で応援いただけると、執筆の励みになります!




