第53話
あの日以降、私はあまりオズの目を見られずにいた。
理由ははっきりしている。自分のついた嘘が、ずっと棘となって心に刺さっているからだ。
(どうして嘘なんか吐いたんだろう)
全て話す方が誠実だったはずだ。けれど、あの時は嘘で誤魔化さなくてはいけないと思った。
その理由を考えて、すぐに思い至る。
(……オズが悲しんでしまうと思ったから)
いや、彼の悲しむ顔を見たくないと思った、自分の心を守るためだ。
あまりに利己的な嘘に、自分で嫌気が差しているのだ。そう自覚してまた心が重くなる。
「まるで集中出来ていないな」
呆れるような声が聞こえた。はっとして顔を上げると、声の通りに呆れた表情がそこにあった。
私は慌てて小さく手を振る。
「だ、大丈夫! もう考え事をしながら魔法は使わないから!」
「当然だ。二度目は無い」
うっかりぼーっとしたまま魔法を使おうとして大精霊を召喚してしまった事故は、まだはっきり覚えている。
曖昧に笑って場の空気を誤魔化し、けれどすぐに落ちる沈黙に耐え難くなる。
出来るだけ表情を自然に保ち、仲間が居る小さな拠点へと足を向ける。
「あ、と。私……先にみんなのところ戻ってるね」
「待て」
しかし、短い制止と共に腕が掴まれる。彼と擦れ違って去ろうとした時のことだった。
それ以上足は前に進まないが、あまりに後ろ暗くて顔を上げられない。
「何を隠している」
いつもの飾らない言葉での問いが頭上から降る。
私は返すべき言葉を必死に考えるが、どれもが場を誤魔化すための嘘ばかりだ。
本当のことは言えない。
「大精霊に何か言われたか」
黙って首を横に振る。少しばかり腕に力を入れてはみるが、掴まれた腕は振り解けない。
すぐ側から、オズの困惑が伝わってくる。困らせたいわけではないのに、いつもこうなってしまう。
「顔を上げろ」
「ま、待って……今、目にゴミが」
我ながら苦しい言い訳だった。声に笑い声を混ぜながら、それでも向き直れないでいるとオズの小さな溜息が聞こえた。
腕を掴む手が僅かに緩む。
「レイア」
試すように、私の名前が呼ばれた。ゆっくりと腕を掴む手が離れても、足が動かない。
そっと顔を上げると、見たことの無い表情と目が合った。困惑とも、呆れとも少し違う。
「……何故、泣くんだ」
そう言われて、自分の頬へと指を当て、そこが濡れていることを初めて自覚する。
手で目元を擦ってもすぐに次の涙が溢れた。
(どうして。こんな所で泣きたいわけじゃないのに……)
でも、心を重く刺し続ける痛みに耐えるのも、もう嫌だった。大事な仲間に嘘を吐き続けることも。
何度か目元を強く拭って、深呼吸を挟んだあと、ゆっくりと口を開く。
「……ナギさんに、会ったの」
「ああ」
それは以前も話したことだ。当然、短い返事が返ってくる。
嘘を明かすことを覚悟して、心臓が冷えていく感覚があった。
「ナギさんは、その場所を世界の狭間だと言っていた。世界を越えた時に精霊の力も失ってしまって、どこにも行けないって」
そう告げると、オズの表情が怪訝に歪む。
「奴は、元の世界に帰ったのでは——」
「違う。誰かに追われていて……不完全に力が発動したから、元の世界にも戻れなかったって……そう、言ってた」
僅かに、けれどはっきりと、オズが傷心を滲ませたのが分かった。
静かに息を詰め、指先を握り込む。それだけの動作ではあるが、彼にしては珍しいほど大きな動揺だ。
思わず視線を下げる。
それからどれくらいの時間が経ったのかも分からない中で、その指先が開かれた。
「そうか」
そう、いつもと変わらない返事を残して、彼は去っていった。
私はすぐに足を動かす気にはなれなかった。
隠した事実を明かせば気分が軽くなると思ったのに、心は重くなる一方だった。
(……見たことのない表情。あんな顔、するんだな)
小さく息を吐く。
(百年前に突然失って、傷付いてしまう程に親しかった人。その人がずっと、どこにも帰れていないと知ったら、悲しいよね。私でもきっと、そう思う)
誰に向けるともなく、心の中で言い訳を繰り返すように。
「なんか……最低だなぁ」
そう呟いて見上げた空は、分厚い雲に覆われていて、星も、月さえも見えなかった。
胸の奥が、ひどく重かった。
◇◇◇
翌日はまた皆で連れ立って歩いていく。
魔王城に近付くと瘴気が濃くなり敵の強さも増していくので、魔王城を避けて迂回するようなルートを取っている。
「どう? 精霊さん。なんかビビッときたりはしない?」
「うーん……」
精霊は私の周りをちらちらと飛びながら曖昧な返事をする。
風の精霊の気配をもし感じるのならば、それを追い掛けていけば神殿に辿り着くのではと思ったのだが、甘かったようだ。
「まだ遠いのかもしれませんね」
「記録に無いってことは、少なくとも過去にこの地を踏んだ奴らも見てないってことだろ? かなり辺境の地にある可能性が高いよな」
「そうだね。俺も旅をした時、神殿を見掛けた覚えはない。——もっとも、この辺を歩いた時にはもう、空腹で朦朧としてたから確かな記憶じゃないけど」
シャルネとジル、リオンがそんな話をしながら歩いている。
ベリルは視線を鋭く周囲に向けている。まだ魔王として君臨するには体が成熟しきっていないせいか、魔王と気付かずに襲いかかってくる魔物も多い。もっとも、ベリルの炎ですぐに焼き尽くされてしまうため、そこまでの脅威ではなかった。
ひたすらに荒廃した地面と湿っぽい空気が満ちるだけの空間に、ふと聞き慣れない音が響いた。
それは楽器の弦がか細く鳴るような音だった。音の方向を辿れば、砂埃で霞んだ先に人影が見えた。
「あっ……吟遊詩人さん!」
思わず声を上げる。
それは東の国に渡る時、船の上で歌を聞かせてくれた吟遊詩人の姿だった。
先端の尖った帽子を被り、小さな竪琴を片手に歩んでいる。真っ白な髪が、風になびく。十分に表情が見える距離で立ち止まった彼は、以前と同じように微笑んでいた。
「やあ、旅人達」
「こんにちは。吟遊詩人ってこんな場所まで旅をするんですか?」
軽く挨拶をし、そう問いかければ彼の笑みは深まった。
そして細い指先を竪琴の弦に触れさせ、また音を奏でる。
『北の果てに風は眠る 誰も知らぬ空の庭に
地図はそこへ辿り着けず 足跡さえも残らない
されど風は歌を覚えている 古き契約を求める者の名を』
思わず拍手を送りたくなるほど、美しい歌だった。現に隣でシャルネは小さく手を叩いている。
何度でも聞き入りたくなるような、落ち着いた声で吟遊詩人は私に告げる。
「聴いてくれてありがとう。歌を愛する風は、きっと君を歓迎するだろう」
(相変わらず、変わった挨拶をする人だな……)
前もそう思った記憶がある。吟遊詩人とは挨拶ですら詩に変えるものなのかもしれない。
と思った直後、背後からオズの声が響いた。
「茶番はよせ。……来ると思っていた、シルフェイン」
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