第51話
「ああ、起きたか。レイア」
ジルが真上から私を見下ろした。
冷たい手で私の額を触り、体温を確かめているようだった。
隣を向くと、シャルネはまだ眠っていた。きっと倒れて、あのままなのだろう。だが、顔色は戻っているように見えた。
「熱は無い、と。大変だったな。具合はどうだ」
「ええ、大丈夫……ありがとう、ジル」
お礼を言いながら体を起こしていく。なんだか体がとても重い。変な夢を見ていた気もするが、思い出せない。
私は溜息混じりに目線を上げて、そして肩を強張らせる。
リオン、レッドベリル、オズ。
三人が焚き火を囲むように、いや、あえて焚き火を挟んで最大限に距離を取り、座っていた。
当然、和やかに雑談が交わされているはずもない。暖かなはずの夜風が冷たく感じるほど、異常なほどに凍り付いた空気だった。
リオンとベリルがなんとも言えない緊張感を漂わせているが、オズに頭まで下げさせた手前、冷戦状態……といったところだろうか。
ジルを見上げると苦く笑っていた。
この空気から逃れるために私とシャルネの看病に徹してくれていたのだろう。
「ありがとう、ジル……」
「いや、いいさ」
気苦労を察して、思わず二度目の感謝が溢れる。
不意に、リオンと目が合ったがすぐに逸らされてしまった。
(あれ……)
てっきりいつものように声を掛けてくれると思ったのだが。
(目はほとんど見えていないって言ってたし、たまたまかな……)
そう、自分の中で誤魔化してみる。次に、ベリルと目が合った。
瞳が宿した禍々しさは消え、今は宝石のように澄んで輝くばかりだ。
「起きたか」
「はい、ご迷惑をお掛けしました……」
いつまでも横になっているわけにもいかず、立ち上がって焚き火の方へと向かう。とりあえず人と人との間を取って、一番無難な位置へと腰を下ろした。
「この二人は同行することになった」
「え? ……え!?」
焚き火へと視線を注ぎながらオズは言った。先程の戦闘をこの目で見た手前、二人が共に旅に加わるイメージが上手く出来ない。
視線を迷わせていると、またリオンと目が合った。今度は、その口元に見慣れた笑みが浮かぶ。
「一緒にいる間は大人しくしておくよ。……旅が終わった後に戦うと、そう決まったからね」
(一体、何をどうしたらそんな結論に行き着くんだろう……)
何となく、オズだろうなと思った。
そんな強引にこの二人を纏め上げられるのは他にいない。
それきり、また沈黙が落ちた。
しばらく焚き火を眺めていたけれど、重い空気に耐え兼ねて、気紛れに立ち上がり少しだけ歩いてみる。
神殿から少しだけ離れたこの場所は崖沿いだった。遥か下には僅かに街の明かりが見える。
ふと背後に視線を感じ、振り返るとそこには私を追ってきたリオンの姿があった。だが、すぐに逸らされてしまう。
(……まただ)
何かを言いにくそうにしている。
やがてリオンの指が私の方へと伸びた。近付く距離を測り損ねて一歩下がるが、真後ろの木に踵が当たった。そしてまた、真上にリオンを見上げる形になる。
(相変わらず近い。けど、リオンがこの距離に来る時は、真面目な話がある時だから……)
初めは東の国の宿で。オズの秘密を守るため、私を引き留めようとしていた。
あの時は訳も分からず突き放してしまった記憶がある。
(だって説明も無くこの距離は、さすがに)
誰にともなく言い訳をする。
その間も言葉を探すようにしていたリオンは、やがて私へと視線を定めた。
ほとんど見えていないと言ったその瞳に私を映し、懸命に表情を伺おうとしている。
「さっきは、ごめんね。聖女様」
(……やっぱり、その話だよね)
彼は私を殺そうとしていた。魔王を攻撃するのに、邪魔な場所にいたから。それだけの理由で。
あんなに明確な殺意を向けられるのは、首を落とされた時以来だった。思い出せば身震いしそうになる。
「あの時は、本当に殺しちゃってもいいかなって思ったんだ。すごい邪魔だったし」
(怖っ……)
「でも、今考えるとね。聖女様を殺していたら、今頃は後悔していた気がする」
リオンが目を伏せて、薄く笑う。
「俺はいつもそう。仲間の命と引き換えにしてでも魔王を倒すと誓ったのに、首を落とされる瞬間まで、ずっと後悔していた」
(……彼は仲間も、そして恋人も失ったと聞いた。そうまでした倒した魔王をまた前にして、一体どんな気分だったんだろう)
私には想像が付かなかった。
もしかすると記憶を失う前には、仲間を亡くしたこともあったのかもしれないが、幸か不幸か、覚えていない。
そして掛ける言葉も見付からないままでいると、リオンの瞳が静かに振り返った。
私もそれを追い掛ける。その先にはオズの姿があった。
(またかーって顔してる……)
さっとリオンから一歩離れ、オズへと向き直った。
「えっと、どうしたの? オズ」
「お前ではない。……明日進む道を決める。来い」
「はいはい」
視線でリオンだけを誘って、オズは踵を返す。
けれど、私はオズの背中を呼び止める。
「あっ……ま、待って。オズ」
オズは無言で振り返る。
「その、ちょっと……話したいことがあるの」
そう言えば、彼の足は止まった。
「じゃ、俺は先に行ってるよ」
振り向くことなくリオンはまた焚き火の方へと歩いていった。
私は残ってくれたオズに向けて口を開き、しかし何も言えないままその唇を閉ざしていた。
(ナギさん、どう伝えればいいというの)
あなたの親しかった人は、ずっと寂しい世界に閉じ込められていました。なんて、言えるはずがない。
だがその存在の説明をしないことには、話が切り出せない。
やけに喉が乾く。何度目かの呼吸の後、私は視線を眼下の街へと逸らしながら、再び唇を開けた。
「その……私、古の精霊師に会ったの。夢の中で……かもしれないけど」
返事は無く、沈黙が落ちる。
質の悪い嘘か冗談の類だと思われているかもしれないが、何となく気まずくて向き直ることも出来ず、表情は伺えない。
「オズ、あなたに伝えて欲しいと頼まれたの。……約束を果たせず、すまなかった……と」
またしても返事は無い。それも当然に思えた。
彼が返事をすべき人物は、ここにはいない。
夜も深くなっていき、街の明かりが一つまた一つと消えていくのを、私は眺めていた。
「……奴は、笑っていたか?」
少しの間の後、そんな問いが聞こえた。
私はすぐに答えられなかった。汗ばむ指先を絡ませて、曖昧に微笑む。
「あ……ごめん、分からない。とても暗い場所だったから」
そう嘘をついた。
オズは前にこう言っていた。精霊師はいつだって笑っていた、と。
私の前に現れた姿に、その面影はどこにも無かった。百年という時がそうさせたのかもしれない。
「そうか」
と、短く声が返った。
(……言えないよ……)
もし私があの人の立場なら、笑っている私だけを覚えておいてほしいと。そう願う気がしたから。
慣れない嘘をついて、また乾いた喉が酷く苦しかった。
「私、水飲んでくる。聞いてくれてありがとう、オズ」
オズの脇を抜けて仲間の下に戻る。オズの顔は最後まで見ることが出来なかった。
―第5章 完―
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