第49話
「ど、どうしてですか……?」
「壊れるからだ」
そうしたことがある、とでも言うような短い返答だった。
聞きたいことは幾つもあった。けれど、きっと教えてはもらえない。
それでも、この話を振った理由があるはずだ。私は出来るだけ冷静に思考を巡らせる。
「私の死に戻りの記憶が失われた理由を……ご存知ですか」
そう問えば、少しの沈黙が落ちた。
「その力は無限に使えるものではない。その力は、既に尽きかけている」
思わず息が止まった。
私は幾度この旅を繰り返してきたのだろう。
そして、例えまた失敗したとして……この力が、また私を過去に戻す保証はない。きっと、そういう忠告だ。
(また死んで戻ってしまうとしても、せめて、この記憶を持ったままもう一度戻れたら……!)
家族の顔が脳裏を過ぎる。もう、あまりはっきりとは思い出せないけれど、どうしても帰りたい場所があったことだけは覚えている。
(そうだ、迷っていられない。世界を越える力が必要なの)
背筋を伸ばし直し、もう一度精霊王に対して祈りの形を取る。
「どうか、精霊王様。私に力を貸していただけませんか」
「元の世界に戻りたいのか」
「はい」
短い問答だった。
目の前の炎は大きく揺らいで形を崩し、私の体を包んだ。
熱くはない。心地良いほどだ。自分の中に、また一つの属性が宿ったのが分かる。
(今度こそ、失敗しない――!)
そう誓って、私は歩き出す。
出口は分かりやすかった。炎で作られた扉が広い空間にぽつんと浮いている。
それを押し開き、そして、その先の暗闇で私は立ち尽くした。
「……あれ?」
今までは人間の世界、つまり神殿へと戻っていたはずだが、ここは床も見えない暗闇だ。
手を伸ばすと、自分の指先はくっきりと見えた。光が無いわけではない。
ふと、真後ろに気配を感じて振り返る。
そこには黒い髪に黒い瞳を持った、少年とも少女とも付かない人影が佇んでいた。
その瞳は私を見ているようで、その先の遥か遠くを見据えているようだった。
「……あなたは?」
「古の精霊師だ」
無感情な声が紡がれる。
その瞬間、理解した。その人物こそ、オズが繰り返し存在を口にしたその人だと。
「……ナギ……さん?」
一度だけリオンが口にした名前、オズは徹底して呼ばなかった、その名前を呼んでみる。
その人物は小さく頷いた。
(どうしてこんな場所に……?)
その精霊師は自分の世界に帰った。そのはずだ。
だが、ここは光の一つ、音の一つも無いような異様な空間だった。
「来てはいけないと、言ったのに……」
そんな小さな呟きが聞こえた。
「どういう意味、ですか……?」
「精霊の力を狙う者がいる。私はそれに追われ、追い詰められた。そして、逃れるために世界を越えようとした。だが――」
目の前の人物はゆるやかに周囲を見渡す。だが目に留まる物は何一つ無い。立っている場所さえ、真っ黒だ。床があるのかも分からない。
「その力は不完全に発動した。それから、ずっとここに居る。ここは世界と世界の狭間だ。私は精霊の力も失った。もうどこへも行けず、どこへも帰れない」
呼吸をすることさえ忘れていた。
私が追い掛けてきた背中は、こんな寂しい場所で、一人取り残されていたというのか。百年もの間。
ナギは足音も無く歩み寄り、力無く私の肩を掴んだ。
「精霊の力を揃えてはいけない。私と同じ道を辿りたくないのなら」
表情を見せないままそう告げ、そして最後に僅かな迷いだけ滲ませて、視線を逸らす。
「オズウェルに伝えてくれ。約束を果たせず、すまなかったと――」
そして、私の肩が押された。
床が抜けたように、暗闇の中に落ちていく。その人影は一瞬で見えなくなった。
◇◇◇
気が付けば、私は一人で座り込んでいた。
(神殿の、通路だ)
記憶に新しい。一度は炎に埋め尽くされていたが、今は何事も無かったかのように静かだった。
「夢……ではない」
自分の頬に触れる。
幻でも見た気分だったが、指先から伝わる体温が現実に引き戻す。緊張のあまり、指先は冷え切っていた。
しばらく呆けていたが、仲間の顔を思い出して、ゆっくり立ち上がる。
(とりあえず、みんなのところに行かなきゃ……)
混乱しきっていて、思考が上手く回らない。だが歩くことは出来る。
いつもの通りなら、神殿の最深部で私が帰るのを待っているはずだ。
そこまでの距離はそう長くなかった。
その部屋に入ってすぐ、仲間の姿が目に入った。
一番近くにいたベリルと目が合い、ようやく安堵の息を漏らす。
歩み寄りながらその名を呼ぼうとした直後。
「退いて、聖女様」
そう声が聞こえた。反射的に振り向くと、見慣れた姿が頭上で大剣を振り下ろしていた。
その剣が迫るのが、スローモーションのように見えた。
私ごとベリルを斬ろうとしていると気付いたのは、少し後のことだ。だが指の一本さえ動かせずに、私は立ち尽くしていた。
一瞬にして、地面からせり上がった岩壁が視界を埋め尽くす。
大剣を翳した姿はその向こうに消え、次の瞬間岩壁を砕くような音がした。
私を切り裂くはずの剣が、岩に刺さったのだろう。
「レイアさん……!」
後ろからシャルネの悲鳴のような声が聞こえた。駆け寄ってくる足音も。
強張った体のまま振り返ると、近付くシャルネとジルの姿の向こうで、オズの足元で魔法陣の輝きが消えたのが見えた。
(オズの、魔法だったんだ……今の壁は……)
ふと見下ろしたベリルの瞳は、紅く発光していた。瞬きもせずに、崩れた岩壁の向こうに立つ姿を見据えている。
身の丈ほどある大剣を担ぎ直すのは、かつて魔王を倒した勇者のものだった。
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