第48話
(無理無理、怖すぎるさすがに……)
いつまでも文句を言っていても仕方ないので足だけは動かしているが、脳内はパニックだった。
神殿の内部で、精霊はいつだって無邪気に、突然仕掛けてくる。今この瞬間炎に包まれても不思議はないのだ。
「ふむ……」
ベリルの瞳が通路の先を捉える。
そこには溶岩のような高熱の液体を垂らしながら徘徊する魔獣の姿があった。
私たちの姿に気付き、近付いてくる。弓を構えるシャルネの横で、ジルは肩を竦める。
「おいおい、ベリル。魔王がいれば魔獣は襲って来ないんじゃないのかよ」
「あれは余の眷属ではない。精霊の力によって具現化したものだろう」
そう、この西の国での旅は比較的楽だった。
魔獣の襲撃がほとんど無かったのだ。一部、魔王の存在すら分からないほど獣に近くなってしまった個体はいたが、南の国と比べても明らかに戦闘の回数は少なかった。
だが、精霊の領域である神殿内はそうもいかないようだ。
そうして戦闘が始まった。
とはいえ大抵は好戦的なベリルの放つ魔法で何とかなってしまっていたし、シャルネはそれを弓で援護している。
オズは必要が無い限りは傍観しているし、ジルはいつもひたすらにメモを取っていた。魔獣の記録は売れるし、集めているだけで役にも立つのだと、そう言っていた。
私はといえば頑張って精霊の力を集めては放っているが、これといった成長は見られない。残念な話ではあるけれど、練習を繰り返す他ないのだ。
何度目かの戦闘を終えた頃、通路の先に揺らぐ炎が見えた。
精霊への道が開けたのかと期待したが、その炎は見る間にどんどん大きくなり、天井をも焼きながら石造りの床を伝って迫ってくる。
後ろを振り返っても同様の光景が広がっていた。
「な、何が……!」
思わず悲鳴のような声が漏れる。
通路には窓の役割を果たす穴がいくつか空いてはいるが、籠る熱気を逃がすほどの大きさはない。ほんの数秒で呼吸も困難なほどの熱に包まれる。だが、逃げる先は無い。
(どうして……!?)
いつもは精霊師だけが、精霊に呼び出されていた。
だがこの炎は私だけではなく、仲間たちをも呑み込もうと迫ってきている。
「精霊様! 待って、私だけを――!」
そう叫ぶが、熱が喉を焼くようだった。思わず噎せ返る。
舌打ちを零したオズの足元に青い光が魔法陣を描いた、その時。
大量の水が、滝のように床を打つ音がした。周囲の温度が一気に下がる。
咳き込んで伏せていた顔を上げれば、私以外の皆はびしょ濡れだった。
頭上から降り注いだ水が仲間も、そして周囲の床も全て濡らしていた。
くすくすと、小さな笑い声が耳元で響く。
「み、水の精霊さん……!?」
てっきりオズの魔法かと思ったが、違ったようだ。水の精霊が、私の意思とは無関係に水の結界を張っている。
濡れた床には踏み込めないとでも言うように、迫りくる炎の勢いがそこで止まった。
天井まで立ち上るほどの炎の熱も、水の膜の内側には届かない。
更に地の精霊が床を隆起させ、水の結界を補強している。
「すごい、レイアさん……!」
「や、私っていうか……精霊さんが勝手にっていうか……!」
シャルネがびっしょりと濡れた前髪を分けながら言うが、私も驚いている。
私の使える力といえば精々飲み水を生み出すことや攻撃用の矢一本を作り上げる程度だった。こんな大規模な力は使えない。そのはずだった。
「声が枯れるまで歌った甲斐があったな」
びしょびしょの髪を掻き上げ、肩を竦めながらジルが言った。
(そうか、これが精霊に守ってもらうということ……)
状況を分かっているのかいないのか、精霊は相変わらずきゃっきゃと楽しそうだ。姿は見えなくても笑い声が聞こえる。
ジルがオズへと視線を向けながら言う。
「とはいえ、出られなきゃ話にならない。いつかは丸焼きだ。強引に突破出来ないのか?」
「出るだけなら可能だ。だが、これも精霊なりに呼んでいるんだろう」
そう、精霊にとってはこれも歓待のつもりだ。
それを正面から打ち破っては、精霊の招きを断ることになりかねない。
(だからオズはギリギリまで無抵抗だったのか)
そんなことを思いながら、ごくりと喉を鳴らして覚悟を決めた上で、そっと指先を水の結界の外へと差し出す。
火の柱に触れても、先程の熱さは無い。やはり招かれているということだろう。
(……行けるかも)
この水の結界も、いつまで保つかは分からない。私は一度後ろを振り返り、口を開く。
「……行ってきます! 大精霊様のところへ!」
「ああ」
オズが短く答える。
「レイアさん、お気を付けて……!」
シャルネの声に大きく頷き、そして息を止めて、自ら炎の壁の中へと飛び込んだ。
(大丈夫、熱くない……! すっごい怖いけど……!)
結界の一歩外は吹き荒れるような炎の渦だった。熱さは無いが、どうしても目を細めてしまう。
真っ赤な視界の中で必死に手を伸ばして、恐る恐る一歩ずつ進む。
伸ばした指には、何も触れない。
だが、やがて指先に触れる空気が変わる。
大きく一歩進めば炎の壁を抜け、真っ暗な空間に出た。
そこは神殿の一室のようで、先程の通路と同じような床が広がるがその他は何も見えない。
私は以前と同じように手のひらに光を集め、その空間全体を見渡せるように広げていく。
ふと、宙に浮く小さな炎が現れる。
それは揺らぐ度に大きくなり、やがて見上げるほどの火柱となって、巨大な人に似た形を取った。
精霊王を前にした時の、肌をビリビリと刺すような圧が襲う。恐怖ではない。純粋な畏れだ。
私は炎の前に両膝を着いた。
「……火の精霊王様」
「来たな、人の子よ」
燃え盛る炎のような、堂々とした声が響いた。
相変わらず神との対峙に近いこの時間は慣れない。緊張して喉が引きつりそうになる。
「どうか、私と契約をしていただきたいのです。精霊王様」
「――ふふ」
返ってきたのは小さな笑い声一つだった。
どうしてやろうか、と悪戯に迷うような、そんな反応だ。
「以前にも、こうして相見えたのを覚えているか?」
(…………え?)
突然のことに、思考が止まった。
言葉の意味を探るように慌てて見上げても、炎で形作られたその存在の表情は読み取れない。
「お前にこうして炎の力を授けるのは、此度が初めてではない。以前にもお前は我が元で、力を乞うた」
淡々と、精霊王は言葉を紡ぐ。それは声というより、頭の中に直接響く音のようだった。
「だが、お前は死んだ。幾度も、呆気なく。愛した魂が消えるというのは、いつも虚しいものだ」
「わ、私が……死に戻っていることを、ご存知なのですか」
「ああ。全て視ていた」
思わず息が震えた。乾いた唇を開く前に、精霊王が再び音を紡ぐ。
「だが言えぬ。お前の未来を、お前に見せるわけにはいかぬ」
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