第40話
「あはは! あんな小さい魔獣一匹を相手に、精霊王の召喚だって!」
少しの後、リオンは肩を揺らして笑っていた。隣でオズはびしょびしょに濡れてしまった髪を掻き上げながら呆れたような……いや、いっそドン引きしたような表情をしていた。
すぐに魔法で髪や服から水分を飛ばしている。
「わ、私にも何が何だか……ごめんなさい、ご迷惑を……」
決して意図したものではない。が、起きてしまった以上、謝るしか出来ない。
もしあの水流に仲間が巻き込まれていたら、無事で済んでいた保証はどこにもないのだ。
今更ながらに肝が冷える。
「気になさらないでください。それより体調はいかがですか?」
「……大丈夫、ありがとう。シャルネ」
あの一撃で全ての魔力を使い果たし、膝に力が入らなくなってしまった私を案じるようにシャルネが顔を覗き込む。
今は木陰で寝かせてもらっているところだ。
「大方、集中を欠いたまま魔法を扱おうとしたんだろう。集中しろと、最初に教えたはずだが」
「ちょっと、水の神殿が懐かしいななんて思っちゃって……」
「あー、それで水の精霊が精霊王を連想したのか」
『よくあること』みたいな言い方でリオンは呟く。
一方オズは僅かに眉根を寄せていた。
「不発に終わったから良いものの、召喚に成功していたら消費する魔力はその比ではない。顕現させていたら命は危うかっただろうな。迂闊に使うようなものではない」
「あの威力で不発ですか?」
「当然だ。精霊王の力があの程度であるものか」
目を丸くするシャルネに、オズは小さな溜息混じりに答える。やっぱり呆れられているのかもしれない。
確かに私の魔力が尽きた時、水が集まる勢いが止まった気がした。すぐ側に存在を感じた精霊王が、そうしてくれたのかもしれない。
(普通に死ぬところだったのか……ありがとうございます、精霊王様……)
心の中で祈ったところで、届くかは分からない。
水の精霊たちはよほど楽しかったのか、今も泉の上できゃっきゃと遊んでいる声が聞こえる。
私が歩けるくらいに回復したのはそれから少ししてのことだった。
軽い貧血のような感覚は残っているが、そんなことで足を止めているわけにはいかない。地の神殿を目指す必要があるのだ。
シャルネの持っていた、魔力を回復する薬――ポーションと呼ばれる液体を流し込むと、いくらか体は楽になった。
一方で味はお世辞にも美味しいとは言えず、何度も水で口をすすぐ必要があったけれど。
「ポーションを美味しく出来たら、すごい売れそうなのにな……」
腰の高さほどの小さな崖をよじ登りながら呟く。大弓を背負いながら身軽に崖を越えたシャルネも笑う。
「世界中の学者が挑戦してはいるようなのですが、効能を落とさずに味を変えるのは難しいようです。お菓子のように甘かったらいいのにと、私も何度思ったことか」
「オズはそういうのしないの?」
問えば、怪訝そうな眼差しが振り返った。
不機嫌なわけではない。問われている意味が分からないという表情だ。
「絶対お金持ちになれると思う」
「必要無い。飲んで死ぬわけでもあるまい」
(……激マズ試験紙を突っ込んできた時も同じこと言ってたな)
分かってはいたが、どこまでも効率優先な人だ。
食事を楽しめないとか、そういう話とはまた別に思える。きっと今の体になる前から彼はそういう性格だったのだろう。いわゆる「死ななきゃOK理論」の人だ。
(絶対、美味しい方がいいのにな……)
恐らくどう言葉を尽くしても伝わらないであろう本音を、私はもう一度心の中でだけそう零したのだった。
それから幾度もの戦闘と、二度の野宿を越えて、私たちは地の神殿の前に立っていた。
振り返っても、あんなに大きかった街はどこにも見えない。雲が全て遮ってしまっている。
この地では聖域とされる、雲の上。そこに地の神殿はあった。
(なんだろう……胸騒ぎがする)
神殿に近付くにつれ、妙に胸が重くなっていくような、そんな感覚があった。
だが上手く言葉には出来ない。
そんな中、オズが振り返らずに口を開く。
「水の神殿でそうだったように、地の精霊から接触があるだろう。だが、奴らに人間の礼儀は通用しない。油断はするな」
水の神殿で、前触れなく水中へと引きずり込まれたことを思い出す。
正直死ぬかと思ったが、あれは決して悪意ではないのだ。
ただ精霊達はどうしたら人間が死ぬのか、苦しむのか。それを全く理解していない、赤子のような無邪気さゆえのものだった。
「い、岩に押し潰されたりはしないですよね……?」
「分からない」
「………………」
命の保証はどこにもないと言うことか。
もちろん危険は承知で旅をしている。精霊との契約という目的も、易々と果たせるとは思っていなかったが。
(こ、怖すぎない……?)
神殿へと歩む足が震えそうになる。
「怖い? 聖女様」
ふと、側に来たリオンに声を掛けられる。
見上げた先の表情は、何も気負っていなかった。かつて世界を救う旅をしてきた彼は、こんな危険を幾度も乗り越えてきたのだろう。
穏やかな笑みさえ浮かべて私の顔を覗き込む。
「大丈夫。死なせたりしないよ。その為に俺達がいる」
何の根拠もないが、不思議と大丈夫だと思えた。
小さく頷いて、震え出しそうな指先を握り込み前へ進む。
神殿の内部は薄暗かった。
壁には窓の役割を果たす穴が幾つも空き、緻密な彫刻がその窓を囲っている。そこから差し込む明かりだけが、神殿の中を照らしていた。
ばくばくと心臓が音を立てている。
神殿に近付いた時からずっと胸にある違和感が、警鐘を鳴らしているかのように、強く色濃いものとなっていく。
(どうして……?)
初めて見る神殿。そのはずだったが、柱の一本を取っても、まるでこの目で見たことがあるような既視感を覚える。
苔の生えた床も、植物の蔦が絡む天井さえも。こうして見上げた記憶があるのだ。
(私は、ここに……来たことがある?)
そんなはずはない。だが、この先に起こる『事故』さえも、確かに記憶にあるのだと脳が叫んでいる。
首筋に汗が伝った感覚がして、視線を正面に戻す。
その先には戦闘に備え、前を歩くリオンの背中があった。
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