第3話
「世界を渡る魔法は、無い……!?」
紅茶の入ったカップを思わず落としかける。
面会時間に教皇エスティラに誘われ、彼女の私室で共にお茶を飲んでいる時だった。
エスティラは長い睫毛を申し訳なさそうに伏せ、それでも、きっと私のために言葉を濁さずに言う。
「ええ。そんな魔法は、存在しないの。お伽噺や小説には世界を越えて旅をする冒険者の話もいくつか有るけれど……どれも具体的な史実に基づくものではないわ。魔法を扱う私達からしても、それこそ魔法のような話よ。あの時、何故――他の世界の住人である貴女を、あの召喚式によって召喚出来てしまったのか、私にも分からないの。ごめんなさい」
エスティラを責めるつもりはない。が、すぐに帰れるだろうと信じていた私の心は、酷く重くなる。
(じゃあお父さんやお母さんは……?私を探しているんじゃないの?もしかしたら、泣かせてしまっているかも……)
指先が冷えていくのが分かる。
エスティラは何度目かの謝罪を口にした後に、言葉を選ぶように告げる。
「貴女には、聖女の魔力があるの。聖女というのはね、数百年に一度現れる、奇跡の存在。その魔力がきっと、あの召喚魔法に反応してしまったのね。その力は他者を癒し、光を与える唯一の力。聖女が、私と共にアレクシア教を導いてくれれば、と願ってしまったのよ。結果はこんなに、罪深いことになってしまったけれど……」
聖女の力。彼女はそう言った。つい先日までゲームだのマンガだのと言っていた私に、そんな力があるのだろうか?
思わず手のひらを見下ろすが、そこには変わらず見慣れた五本指があるだけだ。
エスティラは続ける。
「私も方法を探してみるわ。出来るだけ早く、貴女が元の世界に帰れるように。それまでは今の部屋を使って。大聖堂にある大きな図書館――それを使う許可も出しておくわ。もしかしたら、何か手掛かりがあるかもしれないもの」
「エスティラ様……」
「レイア。どうかエスティラと呼んで。遠くない未来に、貴女の世界に帰ってしまうとしても、貴女とは良い友人でいたいの」
そうして、私たちは友人と呼ぶ間柄になった。
それからの毎日は、単調ながらも興味深いものだった。
朝起きて、魔法の訓練を行う。
昼にはエスティラがつけてくれた家庭教師から、この世界についての教えを受ける。
それから夜までは図書室に籠って、異世界へと渡るヒントを探す。そんな日々だった。
魔法の訓練に関しては私が願ったのだ。いつ帰るにせよ、使えれば役に立つだろうと思って。
……魔法を使ってみたいという強い憧れが、無かったと言えば嘘になる。
しかし魔法というものがこんなにも扱いにくいものだったとは。
「っ、は……はぁ……っ!!」
私は、訓練場の端で膝をついて倒れかけていた。
自分の体を巡る魔力を集め、練り上げて、放つ。これが魔法の基本的な使い方だ。
が、まず自分の魔力を集めるという感覚を得るのに一週間。練り上げて形にするのにはその倍以上の時間を要した。
聖女の魔法とは二種類ある。光を放つ魔法と、治癒の魔法だ。
前者は、光らせるだけなら比較的早かった。それは蛍の光のような何の役にも立たない光だったが、指先に灯すことは出来た。が、問題は治癒の魔法だ。
こちらは魔力と体力の消耗が尋常ではなく、初めて成功し、自分の指先のささくれ一つを治しただけでこのザマだ。まともに息さえ出来ず、それからもしばらくうずくまっていた。
昼のお茶の時間、そんな話を聞いたエスティラはコロコロと笑う。
「仕方ないわ。生まれてからずっと魔法を使い続けてきた私達と違って、レイアは魔法の存在すら知ったばかりだもの。貴女は頑張っているわ」
「エスティラ……」
単なる慰めなのは分かっているが、それでも頑張りを認めてもらったことで落ち込みかけていた気分が落ち着く。
エスティラは私と違って忙しいので、お茶の時間を取れない日もあったが、それ以外の日はこうして共に紅茶を飲むのが日課になっていた。
今日はミルクティーと、しっとり美味しいクッキーだ。
「貴女の魔法がいつかきちんと使える形になったら。その時は共に民を助けていきましょう。貴女の魔法は女神から愛された証。きっと民も喜んでくれるわ」
「……うん、頑張るわ」
忙しいエスティラの助けになれたら、と思う。
確かに手違いでやってきてしまった世界ではあるが、彼女に感謝しているのは確かだ。
こうして毎日お茶の時間を一緒に過ごしてくれることも、私の心の助けになっている。いつか帰るにしても、その恩は返してからにしたかった。
魔法の訓練を終えた後は座学だ。
ここでは色んなことを学んだ。例えば聖王のこと、教皇のこと。アレクシア教のこと。
本日の授業は魔族や勇者についてだ。
魔族とは、人と獣を混ぜたような異形を指す。北の最果ての地を棲み処とし、魔王と呼ばれる存在を中心とした種族だ。最果ての地には魔王城と呼ばれる古城があり、魔王はそこに棲むという。
魔族と一言に言うが、人語を理解する知能を持ち魔法の力も強い個体を魔族と呼び、知能が低く獣のように振る舞う個体を魔獣と呼ぶ。
(いわゆる、モンスターだ)
趣味だったゲームの予備知識のおかげで、ここはかなり理解しやすい。
魔族や魔獣は倒すと灰となって消える。人と違い、亡骸は残らない。
魔王も倒すと一度は崩れ去るが、約百年の後にまた復活するのだという。
そして魔王が復活すると、その命令によって魔族や魔獣が人里を襲い始める。その被害は壊滅的で、度々大きな街や、酷い時は国ごと壊滅させられる。そのせいで失われた文明や魔法も多く、この世界はあまり文明が進歩しにくいのだと、家庭教師はそう語った。
百年の安寧の後に訪れる、破壊の刻。
遥か昔にはもっと魔法が進歩していた時代があり、それは古の魔法と呼ばれるが、そのほとんどは失われ魔法陣も原理も失われた今の世ではもう使うことが出来ないのだと。
そんな滅びを待つだけの人々を救うべく、旅立つのが勇者だ。
勇者は星が選ぶのだという。勇者は生まれた時に占星術によって見付け出され、ある年齢になると聖王の命令によって旅立たねばならない。それを成し得た後に訪れる平和が、たった百年と決まっていても。そういう運命なのだ。
人々の期待や祈りを一身に背負い魔王を倒す者。もし勇者が旅の途中に死んでしまうと、星がまた新たな勇者を選ぶ……そういう話だった。
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