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第35話


「びっくりした。いきなり居なくならないでね。……レイアさん」


 言葉とは裏腹に全く驚いていなさそうな声でリオンは笑う。

 突然のことですぐに返事が返せなかった私の意識を引き戻したのは、女性の悲痛な叫びだった。


「エルオット!」


 はっと振り返れば、綺麗な髪の女性が、その髪を地面に引き摺るのも厭わずに少年に縋り付いているところだった。私も思わず駆け寄ろうとして、オズに手を掴まれる。


 「聖女の力は使うな」


私にだけ聞こえるように声を落とし、そう短い言葉を添えて。私は思わず叫ぶように返す。


「どうして!?目の前で子供が倒れているのに、無視しろというの?」

 

「そうだ、捨て置け。死ぬような傷ではない。こんなところで聖女の情報が漏れようものなら、血眼で人間が群がってくるぞ」


 確かに、正論だった。噂が届けば大聖堂にも気付かれ、追われるかもしれない。普段は私を聖女と呼ぶリオンでさえ、わざわざ私の名を呼んでくれたくらいだ、彼もそう思っているのだろう。

 

 だが、ともう一度少年を見遣る。その子は、私が何より大事にしていた弟と同じくらいの年頃の、まだ幼い子供だった。今は額に汗を伝わせて歯を食いしばり、斬られた腕の痛みに耐えている。

 オズの腕を払い、駆け寄る。命に代えたって助けたいと思うほど愛していた弟の姿と、どうしても重なる。見捨てるなど、出来るはずも無かった。


「大丈夫、私に任せて」


 少年の側で、動揺を隠せないでいる女性の側に膝をついて屈む。

 安心するように掛けた声は、少し震えていた。同じように治癒魔法で傷を治そうとして、苦しませ、死なせてしまった男の姿が脳裏を過ぎる。


(大丈夫。練習通りやれば、大丈夫。……大丈夫、だから)


 自分を無理矢理鼓舞するため、呪文のように繰り返す。今だって傷口から血が溢れ出しているのだ。迷っている時間はない。

 少年の傷口に触れないよう、左右の手のひらを重ね、ギリギリまで寄せる。側の女性は、私が何をしようとしているのかが分からず、止めるか迷うような素振りを見せ、しかし結局は黙して任せることを選んだようだった。

 ゆっくり、傷口に魔力を注いでいく。練習は毎晩行ってきたが、他人に使うのはあの夜以来だ。緊張で詰まってしまいそうな呼吸を、強引に深呼吸に塗り替えて繰り返す。

 傷口を覆うように淡い光が集まる。その中には精霊の輝きも見えた。


(精霊さんが、魔力を導いてくれている)


 未熟な私の魔力の乱れを、精霊の力が整えてくれている。まるで穏やかな川の流れのように、棘の無い魔力が少年の体へと伝う。

 痛みに乱れていた呼吸はやがて落ち着いたものになっていき、出血も止まっていく。女性はその表情に驚きを隠さない。


「これは、どういうことなの……?」


 そんな呟きの向こうで、一人溜息を零すオズの姿があった。



「シャルネ様!エルオット様!」


 腰に剣を下げた騎士が二人、路地に飛び込んできたのはそれから一分もしない頃だった。

 二人とも表情にも声にも焦りを滲ませており、床に残る血痕や刃に裂けた少年の服を見るなりその動揺は膨れ上がった。

 そこにシャルネと呼ばれた女性が声を掛ける。


「大丈夫よ、大事には至っていないわ。……今はもう、ね」


 傷の残らない少年の腕へ視線を降ろしながら言う。そして品のある仕草で立ち上がり私とオズ、そしてリオンに向き直ると、深々と頭を下げる。

 

「お三方、本当にありがとうございました。貴方がたが居なければどうなっていたか。……私はシャルネ・ヴェルクロア。こちらは弟のエルオット。助けていただいたお礼をしたいのです。どうか、屋敷まで来てはいただけないでしょうか」

 

「そんな、お礼なんて――」


 と断りかけたが、それより早く。意外なことにオズが先に口を開く。


「ああ」

 

(!!……オズが、招待を受けた……!?)


 すごい勢いでオズを振り返る。が、その視線は交わることが無かった。先程の冷たい眼差しを思い出す。身勝手な私の振る舞いに怒っているのかもしれない、と思った。

 

 思わず重くなる胸を抑えている内に、周りではトントン拍子で話が進んでいる。人の賑わう大通りではなく、出店が並ばない静かな通りに用意された馬車に、勧められるままに乗り込む。シャルネとエルオット、オズとリオンと私。五人を乗せた馬車が走り出す。

 その馬車に乗る直前、リオンは私の耳元でこう囁いた。


「ヴェルクロア家。南の国で一、二の権力を持つ公爵家だ。――これは使えるよ」




 「南の国、ランドールは軍事力に秀でた大国。世界中を巻き込む大戦が起きた時、この国を味方につけた方が勝利するだろうと言われている。国直属の騎士団も存在するが、この国の戦力の大半は各貴族が抱える騎士達だ。その中でも特に秀でた戦力を持つのが――」

 

「このヴェルクロア公爵家、というわけですね」

 

「そう」


 私たちは、そのヴェルクロア家の応接間に通されていた。

 豪奢な馬車で辿り着いたのは、城かと思ってしまうほどに巨大な豪邸だった。素人目からも素晴らしい価値のある建物であることが伺える。

 柱一本にしても緻密な彫刻が彫られているが、そのどれもが上品で美しいものだった。この応接間一つ取ってもそうだ。派手にギラつく色はどこにもなく全て落ち着いた色で統一されているのに、今だって腰掛けているソファの座り心地がその価値を教えてくれている。


 間違っても傷付けたりしないように私はきっちり背を伸ばして浅くソファに腰掛けていた。オズとリオンは我が物顔で深く腰掛け、リラックスしているように見える。

 落ち着かない理由はまだ他にもあった。さっきのオズの、冷たい表情が瞼の裏に残っている。いつもと無関心とは全く違う、失望にも似た色だった。彼の手を煩わせてしまった自覚もある。

 それを謝罪すべく口を開きかけた、その時。


「ようこそヴェルクロア家へ。子供たちを救ってくれたそうだな。まずは礼を言おう、感謝する」


 扉が開かれると共に聞こえた、威厳のある声。そちらへと視線を向けると、当主と思われる男性の後ろに、先程の女性――シャルネと呼ばれた、少女と呼んでも差し支えないような年頃のその子が続いて入ってきた。彼女は私と目が合うなり、にこりと笑った。

 可憐な花が咲いたような、そんな笑顔だった。

 

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