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第31話


 必死に手を伸ばして這い上がった先は薄暗く大きな部屋だった。どうやら神殿内に人工的に作られた泉のような場所から上がってきたようだ。足元を見下ろすと水の底は真っ暗で、何も見えない。

 そんな空間でコツコツと足音が響く。それは聞き慣れた人物のものだった。


「戻ったか」

 

「精霊も、さすがに精霊師を殺したりはしないか。はい、どうぞ」

 

「オズ!リオンさん!」


 リオンは手を伸ばし、私を泉から引き上げてくれる。体に纏っていた水が派手に床を濡らしはするものの、私の体は濡れてはいなかった。


(……夢ではないんだ)


 水の精霊の加護。それを得た。元の世界に帰れると言ってくれた。

 思い出すだけで安堵で熱くなる胸が涙を誘う。水の中とは違いそれは重力のままに零れ落ちてしまう。それを見てリオンは目を丸くし、オズは僅かに息を詰めた。


「……すまなかった」

 

「え?」


 突然の謝罪。何に対してなのか分からず、呆けて彼を見上げる。

 オズは僅かに困ったような、どうすれば良いのか迷っているような、そんな顔だった。冷たい指先が頬を伝う涙を拭い、驚きに私は身を固める。


「精霊共が度を越した悪戯を好むと、知っていたんだ。だが言いそびれた。……何をされた?」

 

「……ううん、何も」


 それは明確な心配だった。私を案じてくれたのだ。胸がまた暖かくなり、首を横に振る。

 確かに一度は死ぬかと思ったけれど、今落ちる涙は希望そのもの。嬉し涙だ。

 そう伝えようとした矢先。


「せいれいども、じゃないもん」

 

「どもじゃないもん!」

 

「せいれいさまだもん!」


 そんな声が聞こえた。

 

「えっ精霊さん?」

 

「……連れてきたのか」


 耳元で鈴を転がすような声が聞こえる。見回してもどこにも姿は見えないが、声は確かにそこにあるのだ。しかもオズまで反応したものだから涙を零していたことも忘れて私は驚いた。

 

「オズにも聞こえるんですか!?」

 

「いや。だが、精霊が近いと気配だけは感じられる。常にではないが」


 オズはそういって傍らの大きな石像を見上げる。それは先程出会った水の精霊王によく似ていた。ほとんど光の無いこの空間でも分かるほど圧倒的な存在感だった。


「ここは精霊王の間。精霊に拐われたのなら此処に出てくるだろうと思っていた」


 そうか、彼らは私が戻ってくるのを待ってくれていたのか。さっきみたいに、心配しながら。

 思わず笑みが溢れる。そして涙の跡を拭いながら冗談を言ってみる。


「助けに来てはくれなかったんですか?」

 

「……馬鹿を言うな。人の身で精霊の領域に干渉など出来るものか。あれは魔法の域を遥かに越えている」


 そういうものなのかと。冗談ではあったけど学びを得る。

 足元すら暗くてよく見えない空間を照らすため、私は手のひらに光の玉を浮かべて見せる。この空間ごと明るくとは言えないが、ランタン程度には周囲を照らしてくれる。


「魔力が安定しているな」

 

「そういえば……」


 指摘されてみれば、今まで出した光は不安定に大きくなったり小さくなったりを繰り返していた。

 連日の訓練のおかげで安定し始めてはいたが、それでもこんなに落ち着いた輝きを続けてはいられなかったのに。

 死を覚悟しながら光を灯したあの時、今までより大きな光が溢れた気がした。何か関係があるのだろうか。そんなことを思いながら精霊王の間を出ると。


「わぁあ!?こ、これは――」


 崩壊した石像の数々。壁に大きく空いた穴。

 私が消える前は、ここは石像の並ぶ静かな通路だったはずだ。壁だってこんなに壊れてはいなかった。


「え?ここって、こんなでしたっけ……?」

 

「はは、寝ぼけてるの?聖女様。最初からこんなだったよ」


 何も起こっていないとでも言いたげなリオンに笑われてしまう。

 そこまではっきり言われてしまうと、私の記憶違いなのかと思い始める。


(突然床が抜けて驚いたから、よく見てなかったのかも……)


 首を傾げながら神殿を抜ける。

 最後に何かを目に焼き付けるように神像を振り返るオズを待ち、共に水の神殿を後にするのだった。

 



 来た道とは違う方向に、今度は山を降りていく。

 

 道中、水の加護の力を得たことに対し、早々にありがたみを感じていた。

 一つ、足を滑らせて川に落ちてしまっても、流されず濡れもせずに戻って来られたこと。

 一つ、汗を流したい時にどこからでも水を出せること。

 一つ、いつでも新鮮な水が飲めること。


(……いいのかな?こんな使い方で)


 なんだか少し罰当たりですらあるが、オズは「力も魔法も便利に使うためにある」とだけ言った。確かに火の魔法一つ取ったって、攻撃魔法としてだけではなく照明にしたり調理に使ったりしている。

 精霊の力も、自分を助けるために使って良いのだろう。実際、精霊たちは喜んでいた。


「あめだ!」

 

「みずを、ふらせるー!」


 と言ってシャワーのような滝を出してくれるのだ。ちょっと勢いは強いけどこの辺の微調整は難しいようだ。


(私がもっと力を使えるようになれば自分で微調節も出来るんだろうな)


 川の無い場所でも水に困らないのはありがたい。旅をする上で、シャワーはともかく安全な飲み水は必須だ。

 リオンが取ってきてくれるという川魚の到着を待つ。

 味付けを考えながら夕食の準備をする。また枝を集めて火を起こそうとオズを振り返る……が。


「………………」

 

「オズ……」


 オズは、眠っていた。真っ直ぐな木を背もたれにして座っていたのを見たのが最後だったが、その姿勢のまま瞼を閉じ、静かな呼吸を繰り返していた。

 咄嗟に口を噤む。彼を起こさないように。


(睡眠も要らなくなる――彼はそう言ったけれど、きっと副作用で眠ることが出来なくなっただけだ。そんな不死の魔法が解けかけている)


 それは自ら理を外れた彼を、人の営みの中に戻す過程で。

 出来るだけ音を立てないように近付く。今までずっと起き続けていたオズは、近付く私に気付かなかったことなど無いのだが、今日だけはその瞼が開かれることはない。


(このまま、毎日眠って、毎日美味しいご飯を食べる。そんな生活をしてくれればいいな。オズはそれを望まないかもしれないけれど……)


 でも貴方もかつてはきっとそういう暮らしをしていたんだと、思い出してほしい。その中で、忘れたくないほど楽しい思い出も、嬉しい思い出も、きっとあったはずだから。


お読みいただきありがとうございます。

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