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第1話


 かつて大賢者と呼ばれ、知恵者と称えられ、百年の時を生きたというその青年。オズ。

 その彼を前にして、私は縮こまるように、木製の丸椅子に腰掛けていた。緊張で手汗が滲む手のひらを握り込んで、膝上に置く。

 オズは独り言を呟くように、静かに零す。


「死に戻り――か」


 今度は唾を飲み込む音さえ響いてしまいそうな静寂を掻き消すように、側の壁に背を預けていた金髪の青年が口を開く。


「そんな魔法が本当に存在するってのか?」


 彼は私をここ――オズの隠れ家まで連れてきてくれた、自称情報屋の青年だ。

 寡黙なオズと正反対によく笑い、よく喋る、にぎやかな青年だった。そんな彼が怪訝を浮かべながら問うと、オズは小さく息を吐きながら瞼を伏せる。


「さあな。未知の魔法か、あるいは別の能力か。それとも気の触れた女の妄想か」


 どうなんだ、とでも言わんばかりに向けられる視線に、思わず噛みつくように反論する。


「う、嘘じゃないです……!」


 もちろん今ここで証明して見せろと言われたら、それは出来ない。が、何としても信じて貰うしかないのだ。私はもう退けないのだから。


「そりゃ疑いたいワケじゃないけどさ」


 ジルが呟く。オズはしばしの思案の後、もう一度私へと視線を向ける。

 それは私を信じているわけでも、かといって疑って掛かっているわけでもない。ただ正当に判断しようとしている。そんな眼差しだった。


「もう一度最初から説明しろ。細かな事も全て省くな」


 端的な、命令口調。

 それでも嘘だと突っ返されないだけで十分だった。

 私は頷いて肯定を示し、そして瞼を伏せる。記憶を辿っていく。世界が始まる、一番初めまで。


 

-----------------------------------------



 それはもう桜が咲き始める頃だった。

 

 私、森乃莉愛(もりのれいあ)は誕生日を迎え18歳となり、あと数週間後には、三年を過ごした高校を卒業しようというところだった。

 

 今は、友人たちとつい話が盛り上がってしまい、少しだけ帰りの遅くなった夜のことだ。

 この時間ならもう父は帰っているかもしれない。

 母はきっと私の帰りを待っているし、歳の離れた弟もきっとそうだ。ふわふわの、可愛い愛犬だって。

 

 帰る足は浮き立つ。

 丁度今日は新しいゲームの発売日で、手違いが無ければ家に配達されているはずだ。私はゲームやマンガや小説が大好きだった。

 

 その中でもファンタジーの世界をベースにした作品が、特別に。

 ここではない、どこか他の世界にまるで自分が入ってしまったように感じるからだ。

 ページを捲るだけで、ボタンを押すだけで、星の数ほどある異世界をいくらでも旅することが出来る。そんな世界に生まれた幸運を噛み締める。


(楽しみだ……!)


 この交差点は長い信号を待つよりも陸橋を渡ってしまった方が早い。急な階段を上るのは体力を使うけれど、私は運動部だ。体力には自信がある。

 勢いのまま階段を上りきり、今度は下りの階段へ一歩足を踏み込む。が。


(――え?)


 ぐにゃりと、階段が黒く歪む。まるで暗い水面に水滴を垂らしたような、そんな歪みだ。

 突然下りるべき足場を失い慌てて足を引くが、重心はもう前へ出てしまっている。

 

(お、落ちる!)


 咄嗟に手を伸ばしても手すりには届かない。

 中途半端な姿勢のまま、頭から階段を転がり落ちる数秒先の未来が見えた。思わず衝撃に備えて、きつく目を瞑る。しかし。


「痛っ」


 私を襲ったのはもっと小さな痛みだった。

 例えば寝転がりながら見ていたスマホをうっかり顔に落としてしまったような、そんな程度の痛みだ。どうやら頬をぶつけたらしい。

 

 古い木と埃の臭いがした。体の感覚を信じるのなら、どうやら私は横たわっているようだ。

 恐る恐る目を開ける。陸橋の一番上から落ちたのだ。自分の体がどんな風に怪我を負っているか、あまり直視はしたくない。

 が、目を開けて一番に思ったのは。


(えっ、暗い……)


 夜とはいえ、街頭も、車のヘッドライトも無い。

 黒一色の暗闇だ。

 僅かな明かりで、足元が古い木製の床であることは分かった。ゆっくりと、どこかに痛みが襲わないかを確認しつつ体を起こす。


「ヒッ……」


 声を引きつらせる音が聞こえ、慌てて振り返る。

 割れた天井から注ぐ月明かりが、視線の先を照らす。

 

 真っ黒なローブに身を包んだ、数人の人影。フードでしっかり顔を隠してしまっているせいで、表情も分からない。

 背筋がゾッと凍った。こんな廃墟のような場所で、明らかに怪しい人物に囲まれ、目を覚ましてしまったのだ。


(ら、拉致……された……!?)


 頭の中では今朝見たニュースが流れていく。いつだってテレビは物騒なニュースばかりを流し、母はそれを見ながら「気を付けなさいね」と念を押していた。

 

 喉の奥で呼吸が震え出す。叫んだら、殺されるかもしれない。

 そんな恐怖のせいで息も上手く出来ない。頭が、全く回らない。……けれど。


「――様、いかがいたしましょう……」

 

「――族かも知れませぬ、近付いてはなりません……!」


 動揺。と表現するのが正しいのだろう。

 私と同じように、私を拉致した彼らもまた動揺していたのだ。その声に恐怖の色すら映して。


(な、なんで……?)


 まるで未知の生命体が転がり込んできたような反応だ。

 そっと視線を巡らせる。

 人影の奥には女神のような女性を象った像が見えた。神聖な翼にはすっかり埃が積もってしまっており変色してしまっている。


(教会、みたいだ)


 実は、私は教会と呼ばれる場所に行ったことはない。二次元世界の、つまるところゲームやマンガの中でのみ、見たことのある風景だ。

 それ以上に得られる情報も無く、私は意を決して口を開く。


「あ、あの。貴方たちは……?」


 ピタリと、全ての音が止む。私についてヒソヒソと話し合っていた声も全て。

 

 数秒を置いて、その内の一人がゆっくりとした足取りで歩み寄る。慌てて側の一人が制止を掛けるものの『言葉が通じるのなら、問題はありません』と、凛とした女性の声が返す。

 

 そしてその人物はフードを外した。そこから覗いたのはそれこそゲームの中でしか見たことが無いような。

 背中越しに見える女神像なんかよりも、よほど美しい女性だった。


 

お読みいただきありがとうございます。

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