第17話
「道中、しばらくは必要だろう」
幾度目かの会話の後で、ジルにそう言われ手渡されたのは両手で包むほどの革袋。その中身を確認すると、それはたくさんの硬貨だった。この世界におけるお金。
とてもじゃないが「ありがとう」と受け取るだけには出来ないと、私は首を横に振る。
「えっ……ダメよ、こんなに!」
「ダメじゃないよ。君がいてくれたことで俺は情報屋として貴重な情報を得て、しかもこの死の森から生きて帰れる。その報酬だと思ってほしい。報酬としては少ないくらいだ」
でも今は手持ちがそれしか無いから、と。本当はもっと差し出したいと言わんばかりの顔でジルは言う。
私からしてみれば報酬は貰うどころか、出せるならば私が支払いたいくらいだった。だって、ジルが最初に私を助けてくれなければ、今頃どうなっていたことか。
大人しく報酬を受け取るかを悩む私の背を押すように、ジルは笑う。
「それに金も持たずにオズなんかと旅をしてみろ。あちこちから食材をパクって、しまいには魔法で硬貨の偽造まで始めるぞ。聖女サマはそれでいいのかな?」
「…………ありがたく、いただきます」
非常に想像のしやすい光景だった。食材はもちろん宿代のためにオズがありとあらゆるものをその場で作り上げてしまうのは。
現実問題、私達の旅にはお金が必要だと再認識させられ、悩みは消え去った。ありがたく、革袋をバッグの中に収めさせてもらう。いつかその恩を返そうと、固く誓って。
「本当にありがとうジル。また会えるよね」
「もちろんさ。定期的に報告をするよ。まぁ、顔を合わせるより手紙が多くなるだろうけど――」
そんな会話を始めた直後。
お腹の底を揺らすような大きな爆発音と共に空気が震え、思わず体勢が崩れる。転ばないように隠れ家を振り返れば、そこは一瞬で真っ赤な炎に包まれていた。
まだ扉から出てこないオズを残して。
「…っオズ……そんな、オズ!」
「ダメだ、レイア……今は近付くな!」
一瞬にして重い霧が漂う空気を、焦がすような熱が侵食していく。炎が巻き起こす風さえ頬を焼くようで、炎の中のオズを探しに行きたくても足が前に出ない。ジルが私の腹部に腕を回して、熱源から距離を取らせるように引きずる。
焼けるように熱い目を、それでも見開いて燃え上がる大木を凝視する。――その先から。
「何をしている、そんな所で」
まるで街中で偶然出会ったかのような気軽さで、炎の奥から歩いてくる人影。その身だけは何かに守られているかのように一切の炎を寄せ付けず、むしろ炎の方が彼を避けているようだった。
「そういうのは先に言えよ!ビックリしただろ!心臓出るかと思ったわ!」
「……僕は先に行けと、言わなかったか?」
「先に家の外に出ていろという意味だと思ったんです……」
炎に背を向けて歩きしばらくすると、霧がまた全てを覆い隠してしまい静寂が訪れた。
永遠に人を迷わせる霧の魔法はまだ作用しているが、それを破る人間がいつ現れるとも限らない。その時にあの場所が見付かることのないように。何気ないことのように、オズはそう言った。
百年の年月を過ごしたあの場所に何の未練も無いかのように。
たった三日しか過ごしていない私ですら若干の名残惜しさがあるというのに、淡々としたものだ。
オズの導きのおかげで、あんなにも迷い歩いた森はすぐに抜けられた。昼前に出発し、何度かの休憩を挟みつつ夕方になる頃には人の行き交う街道にも出ることができた。運良くすぐに通りかかった馬車に揺られて、最寄りの街に辿り着いたところだった。
もう日は暮れている。
ジルと共に行くのはここまでだった。
「じゃあまた。……オズ、本当に頼むぞ。レイアのこと」
「分かっている」
「本当に分かってんのかなぁ……」
そんな会話が交わされる横で、私は何も言えなかった。笑顔でまたねと言う予定だったのに、言葉が喉奥で詰まる。寂しさで。
ジルとはそんなに長く共にいたわけではなかったというのに、自分でも気が付かないうちにすっかり心の拠り所にしてしまっていたのだった。
無防備に信じていた世界に裏切られ、飛び出すように逃げ出した先で救ってくれた優しい人。きっとまた会えると思いながらも視界は滲みかける。それが零れ落ちる前に私はジルを見上げる。いつだって彼がそうしてくれていたように笑顔で。
「またね、ジル!」
「ああ、レイア。元気で。君の旅が良いものであるよう、祈っているよ」
くしゃりと私の髪を撫でてジルは背を向けた。一度も振り返ることなく人の波に消えたその背中を見送ってから私はオズを連れて宿へと向かう。どうあれ、もうすぐそこに迫る夜を越す準備が必要だった。
この世界では一般的なのか一階に酒場、二階に宿がある建物に入り、カウンターでお金を支払い一室を借りる。……二部屋を借りなかったのは、部屋を分けた方がいいかとオズに問いかけた際にいつも通り「どうでもいい」の返事が返ってきたからだった。それ以外の返答が返るとも思っていなかったが。
今は街に居るから良いものの、旅先では野宿も増えるだろう。その時に悠長なことは言っていられない。さっさと慣れてしまうべきだと思ったのだ。
当然、ジルから貰ったお金を節約する意味も兼ねて。
(寝言には気を付けないと……!)
オズは眠る必要がない。転がるような寝相の悪さを見せたり、寝言を言ったりしたらすぐに気付かれてしまうはずだ。
気を引き締めながら二階に上がる後ろをオズが静かについてくる。
渡された鍵の番号と一致する数字の刻まれた部屋の扉を開くと、シングルサイズのベッドが左右の壁に沿って二つ、間に小さな丸テーブルとそれ用の椅子が二つ置いてあるだけのシンプルな部屋だった。
扉一つを隔ててシャワーとトイレのある個室がついている。
「じゃあ私はこっちのベッドを使いますね。後で酒場に降りてご飯にしましょう!」
「ああ」
短い返事。それにも慣れていかなくてはいけない。
ジルばかりを恋しく思うわけではないが、やはり会話が出来る相手がいるのは気が紛れていたのだと実感する。突然違う世界に飛ばされ、笑い合った人達を愛しく想い、そして裏切られ。その果てでまた救われて。
(色んなことがあったな)
そしてそれはまだ続く。明日も、その先も。その道の先には何が待つのか分からないけれど、追うべき背中は見付けた。異世界からやってきた可能性のある、古の精霊師。
ふと、ジルの言葉を思い出す。
『酒で酔い潰してみたら?――案外、ああいうのはコロッと潰れて寝ながらペラペラ喋ってくれるものさ』
(――うん、よし)
私は覚悟を決めた。
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