第13話
出来れば分かってほしかった。が、なんとなく。こういうデリカシーを要する話を彼が苦手とするんじゃないかな、とも思っていた。
チラリとオズの表情を伺うと「分からない」としっかり書いてある。が、彼なりに頑張って考えてくれたのかもしれない。数秒の後に一枚の細長い紙を差し出してきた。
「ではこれを唾液で濡らすだけで構わない。それにより色が変わり、魔力の質の判別をするものだ」
(あ。なるほど、リトマス紙みたいなやつだ)
見られながら小瓶に唾液を垂らすよりもだいぶやりやすいやつがきた。
私は大人しくそれを受け取る。相変わらずオズの視線は真っ直ぐ注がれてはいるけれど、出来るだけ気にしないようにして私は紙を口に含む。そして濡らすために舌を触れさせて――。
「ンッ……ぐ……!?」
思わず籠った声を漏らしながら吐き出すように、ほとんど濡れてもいない試験紙を引き抜く。
ビリビリと、舌の先が痺れている。呼吸を乱しながら数秒かけて理解するにそれは「とてつもなく苦い」のだった。
(び、ビックリした!毒でも飲んだのかと思った!!)
明らかに口に入れてはいけない味を浄化しようと口内に唾液が溢れ出す。が、反射でゴクリとそれを飲み込んでしまう。たった紙一枚を濡らすだけの作業を失敗し、窺うようにオズを見る。
目の前でオズが何とも微妙な表情で息を吐いていた。呆れているようにも見える。
「何をしている?」
「い、いやだってこれすごくマズくて……!」
「だから何だ。死ぬわけでもあるまい」
「でも……!」
(すっごいビリビリするんだよ!)
彼からするとすごくワガママを言っているのは分かっている。全て彼に丸投げにして、一方では「何でも言って」とまで言っておきながら唾液は出せない、試験紙もまともに舐められないのではため息も吐かれて当然だ。
けれどもこれは、と言いかけて、オズが立ち上がる。それを視線で追いかける間に、彼の手が私の指から試験紙を奪う。そして、反対の手が私の顎を鷲掴みにした。無理矢理に上を向かされる。
「――!?」
驚いて声も出ない。力強く両頬を指で押され、勝手に口が開く。咄嗟に口を閉めようとするが奥歯に何かが挟まりそれすら阻まれる。
(オズの……親指が…!)
彼の親指が、私の口を閉じさせまいとこじ開けてくる。同時に例の紙が口の中に押し込まれ、先程の強烈な苦みへの恐怖にも近い反射で彼の腕を掴む。が、小さな丸椅子に座った姿勢のまま、それだけでは腕を押し返すことは出来なかった。
「暴れるな。さっさと舌を出せ」
「んんっ……う…!」
(指が…!…いや、舌がヤバい……そっちのがヤバい!)
彼の指を傷付けてしまうことを心配すればいいのか、またあの味が襲うことを拒めばいいのか、それすら分からずに首を横に振ろうとするが掴まれた顎のせいで上手く出来ない。
間近には整ったオズの顔が迫る。その視線は試験管の中の変化を眺めていた時のような、興味の無さだけが映っていた。到底他人の心配などしていない。いや、もはや人ではなく物を相手にしているかのような、そんな冷ややかさ。
それを振り払うため暴れれば丸椅子から落ちてしまいそうで上手くもがけない。舌が紙に触れた瞬間、それはほんの一瞬なのに喉奥まで痺れるような強烈な苦みが襲う。反射で体中が強張り、そんなことも気にする余裕さえ無くなり、強く床を蹴る。
その後ろで、扉の開く音がした。
直後、私の体が強く後ろに引っ張られる。勢いで倒れた丸椅子が転がる音が響き、そこに噎せ返る私の咳が重なる。思わずふらつく足に頼らずとも体を支えてくれているのはジルの腕だった。
「……お前、これはさすがに度が過ぎてるぞ」
呟くようなその声は怒りに満ちていた。喉奥から抉るような苦みがまだ残り、彼の名を呼ぶことも出来ない。あまりの息苦しさに涙も滲む。ぼやけた視界の先でオズを見れば全く心当たりが無いと言わんばかりの顔で椅子に座り直していた。ジルが真っ直ぐにオズを指差す。
「何かを調べるために、血を取るってのは分かる。……だが接吻は無いだろ、接吻は!完全に私欲じゃねえか!」
「ちっ違……ジル…っ、かは……!」
「ほら見ろ!こんなに咳き込んでて可哀想に」
「……接吻…?」
咳の合間に違うと首を振るものの上手く伝わらない。一方でオズは怪訝の表情をはっきりと浮かべて復唱する。本当に彼からしたら、全く心当たりの一つも無いだろう。だが否定もしない。これは彼の悪癖だ。オズはあまり興味の無いことに関しては、返事をしない。肯定も否定もしないことが多かった。
これは私が頑張って否定しなくては――!
……数分の後。
試しにと勢いよく試験紙を口に含み、吐きそうになっているジルの横で、私は二人に背を向けて試験管に口を添えていた。そこに唾液を落としていく。
(最初から、こうしておけばよかった……!)
後悔は今更で。他人に見られながらこれを行うのは恥ずかしいだろうと、事情を全て聞いたジルがオズに伝えてくれても、オズは疑問符を頭上に浮かべたままだった。
しかしこうして背を向けることを許可してもらったのは幸いだった。約束通りなら背中の向こうではオズも――最初から何も気にしていないとしても――こちらを見てはいないはずで、好奇心によって自ら試験紙を舐めにいったジルもそれは同様のはずだった。彼は今床にうずくまって暴力的な苦みが残す後味に耐えている。見る限り、結構しっかり舐めにいってしまっていた。それどころではないはずだ。
「終わりました」
唾液を垂らした試験管を手渡すことさえなんだか気まずい。とはいえこんなにも他人に興味が無い人なのだから、さっさとこうしてしまうのが正解だったのだろう。
ふと何も言わずそれを受け取ったオズの手に、伝う赤色が見えた。それは丁度さっき私が力の限り噛んでしまった場所で。
「――!オズ、その傷は!」
立ち上がって手を伸ばし、魔力を注ぎ込む。傷は大きくは無い、一瞬で塞がる。
「ごめんなさい、さっきは。その、驚いたとはいえ噛んでしまって」
理由が理由だったとはいえ傷付けてしまった事実は変わらない。が、オズはと言えば思わずこちらが目を見張るほど珍しく、上機嫌な薄い笑みを浮かべて傷のあった場所を眺めていた。まるで貴重な実験材料でも手に入れたような顔だ。
「――いや、良いものを見た」
「お前もゴメンナサイが先だろうがよ……」
口元を拭いながら、ようやくジルが起き上がってくる。彼を苦しめていた試験紙は握り締められすぎてくしゃくしゃだ。
「たかだかそんな検査のために、女の子にあんな不埒な――」
「や、やめてジル!もういいの!」
私のために怒ってくれているとはいえ、話を戻されるのはあまりに恥ずかしすぎる。もちろん接吻…つまりキスをしたわけでないのだけれど、その睫毛に触れてしまうのではと思うくらい間近で見た、昏い無機質な瞳を思い出す。
とはいえ当の本人はこの態度だ。私ばかり恥ずかしくなってしまう。
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