第10話
私を背に庇うジルが一瞬こちらへ視線を向け、そして再び大賢者――オズと呼ばれたその人物へと視線を戻す。
「大賢者、オズ。ラストネームは記録に残っていない。最年少で十四の大賢者の座に名を刻んだ、天才の魔導師だ。王の命令で十三人の大賢者が処刑される中、一人逃げ出し生き延びたという……」
彼の知りうる情報を共有してくれているが、私は一人ハラハラしていた。
それが事実だとして、オズにとって気持ちの良い話ではないと思ったからだ。そんな天才魔導師の気分を害してしまえば、何が起こるか分からない。そんな心配をよそに、当の本人はありふれた話でも聞くかのようで。他人事のように浅く頷いてみせた。
「そうだ。……次は僕の問いに答えてもらう」
「待て、まだ肝心な質問が残っている。お前の年齢についてだ」
「僕の質問が済めば、それも答えてやろう」
きっとオズは譲歩しないと、そう思った。
ジルもそうだったようで仕方なく口を噤む。それを確認し、オズの瞳がまた私へと向けられる。物珍しい生き物を見付けて観察するような、そんな眼差しだった。
「先程の魔法は何だ?」
端的にオズは疑問を口にする。あまりに予想外の質問に、私は思わず驚いてしまう。
「え?あれは聖女の魔法……光の魔法で」
「……聖女?」
訝しむように眉根を寄せ、問い返される。私は息をするのも忘れていた。
オズの表情が、言葉が。まるで初めて聞いた単語を耳にしたような反応だったからだ。彼を頼ってここまで来たというのに、行くべき道を尋ねる前に梯子を外されてしまったような衝撃に襲われる。
(大賢者なら、世界を越える魔法も知っていると思ったのに……聖女の魔法を、知らない?)
転がり落ちるように重く落ち込んでいく胸を押さえる。オズは顎に片手を添えて何か考え込んでいた。そして。
「そこで待て」
と一言を残すと、返事も待たず狭い廊下の先に続く部屋へと消えてしまった。
「レイア、どうした。顔が真っ青だぞ」
ジルが顔を覗き込む。しかし首を横に振ることで応えるしか出来なかった。自分でもまだ頭の中がまとまらなかったから。
それから。一向に戻ってこないオズを待ち疲れて、私たちは椅子に腰掛けていた。とりあえず椅子の座面を埋め尽くしていた紙は一纏めに片付けさせてもらい、座る場所を確保した。
ジルは散らばる紙を集めては中身に目を通していくものの、そこに綴られる文字は私たちに読めるものではなかった。決して字が汚いわけではない。知らない文字なのだ。
(この世界に来ても普通に言葉は通じたし、文字も読むことが出来た。ということは、この文字はこの世界でも一般的ではないんだ)
恐らく、オズは字が綺麗だ。並ぶ文字の全てが真っ直ぐ横一列に並び、文字の高さも綺麗に合っている。知らない文字とはいえ一文字ごとのバランスも整っているように思えた。
それでも読むことが出来ない。ジルは情報屋としての血が騒ぐのか、見知らぬ文字を一文字ずつ手帳に書き写していた。
(百年前の文字なのかな?百年でこんな全く知らない文字に変わってしまうものなんだろうか?)
そんなことを考えながら。
ジルの持つ懐中時計によると、オズが姿を消してから数時間が経っていた。
「さすがに遅すぎないか?」
「そうね……」
暇潰しにあちらこちらを勝手に物色し終えたジルが呟く。
彼は断りもなく、いろんな扉を手当たり次第に開けていた。ある部屋は壁一面を棚が埋め尽くし、そこにところ狭しと様々な液体の入ったビンが置かれていた。
またある部屋は本棚で埋め尽くされ、そこに入り切らない本が足元にも転がる有様だった。
その隣の部屋はたくさんの植木鉢が並び、色んな植物が緑の葉を伸ばしていた。太陽光も入らないこの環境で、その葉はとても瑞々しかった。
そして。なんと、この家にはキッチンどころか風呂やトイレさえ存在しない。この数時間で分かったのはそんな事実だけだった。
整理整頓が出来ていないことはともかく、それを抜きにしても人が住んでいける環境とは思えない。どう暮らしているのか……そんな答えを、唯一知るオズが消えた扉へと視線を投げる。
「聞きに行ってみる?」
このまま待っていても、オズが戻るのが何時になるか、全く読めない。
ジルも同意して頷き、僅かな距離の廊下を共に進む。オズが入っていった扉を何度かノックするものの、応答は無い。
「まさか寝てるんじゃないだろうな……」
言うが早いか、ジルは勝手に扉を押し開けた。
叱られやしないかと一瞬は慌てたものの、やってしまったことは仕方がない。ジルの背中に続いて部屋へ入っていく。
その部屋は一際薄暗かった。
壁の一部は本棚になっており、そこにたくさんの本が並んでいる。他の棚には薬品が並ぶ。
今まで見てきた部屋の一部を寄せ集めたようなそんな部屋を、たった一つの照明魔道具が照らしていた。その照明の真下には、一つの机と椅子が壁に沿うように置かれており、オズはそこにいた。
辞書のように分厚い本を広げて読んでいる。私たちが入ってきたことに気付いているのかいないのか、その視線は本に向けられたままだ。一ページを読むのには時間を掛けず、何かの単語を探すようにペラペラと捲っていく。
「おいおい、人を待たせておいて読書かよ……」
ジルが呟くものの、オズは何も返さない。視線すら向けないまま、オズは机の側に一つだけ置かれた古い丸椅子を指差した。
「座れ」
と、短い指示が飛ぶ。恐らく言葉を投げた先は私だ。
相談するようにジルを見上げると、彼は小さく頷いた。側の壁を背もたれにして位置を定めたジルから視線を外し、私は促されたままに。椅子に腰掛ける。
机に向かい本を読み耽るオズを、横から見ている形だ。
やがて、オズがようやく本から視線を外し、私へと向き直る。彼は細い指で手元の本を指差しながら言った。
「調べてみたが、やはり百年前には『聖女』という言葉は存在しない。どの書物にも」
「そんな……!」
先程胸を重くした鉛がまた蘇る。私の後ろからジルが口を開く。
「本当かよ。少なくとも俺が生まれた時には、聖女という存在は定着していたぞ。光の魔法で世界の闇を照らすなんてお伽噺を聞いたもんだ」
「民にも定着し、浸透している概念か。意図的に何者かが創造、あるいは捏造し、広めた。そう考えるのが妥当か…?……情報が足りないな」
また考え込むようにオズは口元を覆う。それと同時にふと、私の脳裏に一つの存在が過ぎる。
「教皇……」
「何?」
私の呟きを聞き逃さずオズが問う。
「何故そう思った?」
そして問いを重ねる。私は迷っていた。語るべきか、私の体験してきたことを。
開きかけた口から、震える吐息だけが漏れる。ここで信じてもらえなければ、今度こそ道は閉ざされる。そうしたらどこへ行けば良いのか。
私はただ、帰りたいだけなのに。その未来へ続く道が閉ざされるのは、怖い。
「お前は何処で、何を見た?何を知っている」
私の心境になど興味も無いと言わんばかりに。繰り返される問い掛けを、ジルも止めない。その職業ゆえだろうか、知るために、私が持つ情報を静かに待っている。そんな気配だ。
固く瞼を閉じ、汗の滲む拳を握って、私は声を絞り出すように話し出す。
「……一度死んで、この世界に、また戻る前に……」
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