第十九話 逃げ場はない
四時限目は刑法の授業だ。今回は今田が号令を担当する。
「私は警察学校の教頭、石渡理一郎です。経歴はですね、交番勤務五年、機動隊三年、留置管理二年、警備十二年。そのあとはいろいろな課の課長を六年務めまして、昨年から警察学校の教頭をしています」
石渡教頭は学生たちの顔をゆっくりと見回した。
「さて、授業を始めようかと思ったんですが……初日ですし、少しゆっくり進めましょうか。私も交番勤務を五年ほど経験したんですが、当時は将来どの課に行くか決めてなくて、このまま交番でもいいかなあ、なんて思ってたんですよ。でもね、みなさん。警察学校には今後も何度か戻る必要があるんです。何年も行ってないと長期未入校ってことで、半ば強制的に入校させられるんですよ。」
学生たちが静かに頷く。
「でですね。公安とかなんかよくわかんないけどかっこいいなとか思っちゃって、公安は警備課ですから、警備で入れるところを探したら、災害警備専科しかなくて、入ったんですね。それが運の尽き。次の年に機動隊に異動になったんですよ。あそこはですねぇ。午前中は訓練、午後も訓練、夜は酒盛り。しかも一芸って言って、新入りは一発芸をやらされるんですよ。それを考えるのが面倒でねぇ。つまらなかったら先輩に怒られるし、こっちは芸人じゃないのにね」
教室に小さな笑いが起きる。
「まあでも、二年目三年目になると、命令する立場になるから楽になります。それでまた次にどこへ入校しようか考えて……あまり人気がなかった留置管理専科に入ったんです。留置管理課っていうのは、逮捕された被疑者を留置場で監視する部署で、体力的には楽だけど、気が抜けない。別の意味で大変でしたね」
刑法の授業中、結局ほとんどが石渡教頭の雑談で終わった。警察官のリアルな生活を知る貴重な話ではあったが、授業をしなくて大丈夫なのか少し心配になった。
五時限目、本日最後は入校式訓練だ。演台には中鉢教官が立ち、学生たちに指示を飛ばす。ここからは、起立の号令に一糸乱れず揃うまで、繰り返し訓練をするという。
最初はバラバラだったが、訓練を重ねるうちに徐々に揃ってきた。前回に比べると、揃うまでの時間は確実に短くなっている。
続いて、校歌の訓練に移る。前回の訓練で「次回までに歌詞を覚えるように」と言われていたが、平沢はまだ完全には覚えきれていなかった。土日に歌詞カードをみていたものの、暗記は苦手だった。
学生たちは後ろを向かされ、講堂の壁に掲げられた歌詞が見えないようにされた。今日の訓練では、声の大きさよりも、歌詞をきちんと覚えているかをチェックされる。学生は十人くらいずつまとめて歌わされる。
覚えていないと判断された者は再び歌うことになる。それでもできない者は残された。
平沢は、完全には覚えていない。しょうがない。覚悟を決めて歌ったが、やはり不合格となった。他の学生の多くは覚えているようだ。状況はまずいかもしれない。
最終的に、覚えていないと判断されたのは四名。五十人以上いる中で四人というのは、努力不足と思われても仕方ないだろう。
「残った四名。一人ずつ歌いなさい。最初は青森県警、浜中巡査」
「はい!」
浜中と呼ばれた学生は、なんとか歌いきった。
「浜中巡査、戻ってよし。次、宮城県警、平沢巡査」
平沢はもともと覚えきれずにこの場に来ている。奇跡を願ったが、そんなものは起こらなかった。
「平沢巡査。ここに残れ」
「はい!」
「次」
残る二人は歌い切り、平沢だけが残された。
「平沢巡査。演台に登りなさい。学生全員、前に向き直ってください」
「はい!」
平沢は階段を登り、講堂の演台中央へ進んだ。
「平沢巡査。そこで歌いなさい」
「はい!」
講堂中の視線が自分に突き刺さる。学生時代、演劇をしていたとは言え、稽古もなく、仲間もいない舞台に立つのは初めてだった。
前奏が流れる。逃げ場はない。膝の震えを止めることができない。声にも力が入らない。自信を持って歌えない。声が震える。歌詞も浮かんでこない。
「平沢巡査」
「——はい!」
「次の訓練までに覚えるように。戻りなさい」
校歌について言えば。平沢は間違いなく、二十二期生の中で最下位の成績だと痛感した。
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