第十五話 一思いにやってくれ
警察学校に入校してから五日目の朝を迎えた。早朝に起き、走り、掃除をしてから朝食を摂るという流れにも、少しずつ慣れてきた気がする。朝食を終え、「いただきました!」の声が揃うと、階段から当直教官ではない河松教官が上がってきた。
「皆さんに連絡があります。先ほど、寮室点検を実施しました」
空気が、ざわり、と音を立てたような錯覚を覚えるほどに張りつめる。
「新入生のみなさん。全員不合格です。最初に説明しましたね。布団の角は揃えてたたむこと。教科書は整然と、高さを合わせて収納すること。制服は種別ごとにハンガーにかけること。程度の差はあれ、完璧にできている者はいません。指示に従う気がないのなら辞めてください。いつでも受け付けています。
なかでも、とくに酷かった者——一〇五号室、阿部巡査!」
「はい!」
「座ってんじゃねぇ、立てぇ!」
「はい!」
慌てて阿部巡査と呼ばれた学生が立ち上がる。
「おまえ、何だアレ。片付ける気あんのか!?」
「はい!」
「『はい』じゃねぇ!布団は畳んでもいねぇし、机に教科書置きっぱなしだ!ふざけてんのか!」
「申し訳ありません!」
「一〇五号室、再度寮室点検するのできちんと片付けておくように。それと、今日の食堂の清掃は一〇五号室で行うこと。以上」
そう告げると、河松教官は階段を降りていった。
一〇一号室の面々は不安を抱えたまま、足早に寮室へ戻る。寮室のドアには鍵があり、部屋に誰もいないときは必ず施錠しなければならない。
今朝は広野が鍵を持っていた。広野がドアを開けるとともに、当惑した声を上げる。
「え、なにこれ。どういうこと?」
「ん?うぉ!え?」
驚きの声を口々に漏らす。寮室のドアの隙間から、床に落ちたA4の紙が見えた。紙には「馬鹿たれ」とマジックで書かれている。中に入ると、全員の個室のドアが開いていた。個室の鍵も、無人のときは必ず施錠する決まりだ。鍵はそれぞれ自分で持ち歩いている。
平沢が自室を確認すると、目に飛び込んできたのは床に投げ出された教科書と布団だった。「布団の折り目がずれている」「教科書の高さがバラバラ」と書かれたA4の紙が、その上に落ちている。
きちんとしていた”つもり”だったのだが。意識がまだまだ低いということなのだろう。
「まじかこれ。ふざけんなよ、あいつら」
綿貫が不平を漏らしつつ片付けを始める。不満を口にしながらも切り替えが早くなっていることにこの環境への順応を感じる。片付けをしているうちに、日直の放送が始まった。
「ちょっと待って。全然片付いてねぇよぉ」
西島が慌てている。放送を確認すると、今日もまた入校式の訓練や点検教練があるらしいが、「保険の説明」というのも混じっていた。
午前中、入校式の訓練でいつものように罵倒され、昼食を終えたあとに教官の一人が食堂に残った。
「一〇一号室、西島巡査!」
「はい!」
西島が素早く起立する。
「いつまでその髪型でいる気だ!」
「はい、今日切ります!」
「対応が遅い!今日の食堂の清掃は一〇一号室、以上!」
教官が立ち去ってから、一〇一号室の面々は食堂の清掃を始める。椅子はすでに、各自がテーブルの上へ上げてくれている。
「みんな、ごめん」
西島が申し訳なさそうに謝る。
「え、なんか言われてたの?」
広野が尋ねる。
「入校前の校門で髪長いって言われた」
「お前、土日に時間あったろ」
綿貫の指摘はもっともだ。
「いや、なんか休んでたらめんどくさくなって」
「言ってくれりゃよかったのに。俺、バリカン持ってるぞ」
ニヤリと笑った古謝に綿貫が驚く。
「なんでそんなの持ってんだよ」
「どうせ坊主なら床屋行くのもったいねぇじゃん。俺、中学の野球部も坊主だったから家にあったの持ってきた」
「え、まじで?T字カミソリで剃ろうと思ってた。助かる」
「じゃ、掃除終わったらやるか。断髪式」
古謝の提案に平沢も笑いながら続ける。
「よし。とっとと終わらせよう」
ちょっと面白くなってきた。
清掃を終えた一〇一号室の面々は寮室へ戻る。ゴミ捨て場で見つけた新聞紙を個人ロッカーの前に敷き、その上に西島が四つん這いになる。
「いいぞ。一思いにやってくれぃ」
「いい覚悟だ。行くぞ」
持ち主の古謝がバリカンを振るう。頭部の中心線をきれいに刈り上げる。モヒカンの部分だけ、逆に髪を剃った状態だ。
「よし。終わったぞ」
「待ってよ。ちゃんと全部やってよ!」
「だめか?しょうがないな」
再び古謝がバリカンを振るう。
「ルイ・ヴィ○ン」
ルイ・ヴィ○ンだった。一〇一の面々は周りで爆笑している。
「くそっ、今スマホがあれば……!」
綿貫が悔しがる。
「ちょっと!いま俺、どういう状態?」
西島で遊びながら断髪式は無事(?)に終了した。
午後の授業と夕食を終え、日夕点呼後。平沢は寮の個室で保険の契約書を眺めていた。
保険の説明では、民間の大手保険会社が数社、医療保険や傷害保険について宣伝を行った。教官たちも加入を前提としているような空気を醸し出していた。
本来、保険の仕組みと効果を理解していれば、民間の医療保険や傷害保険は必ずしも必要ではないことがわかる。民間の保険会社はわざわざ説明しないが、公的保険で補償が足りていることがほとんどだからだ。しかし、加入しないことで教官たちから詮索や叱責を受けるのも面倒だ。最低限の口数だけ契約し、卒業後にすぐ解約するのが最も無難な選択かもしれない。
今田と約束していた教場当番の打ち合わせを思い出し、一〇二号室へ今田を迎えに行く。その足で他県警の寮室を回った。
他県警との合同授業がある場合の号令の順番などを決めてから寮室へ戻る途中のことだった。活動服の上に耐刃防護衣を着け、無線を持って歩いている二十一期の学生とすれ違う。
「そういえば、あれ何やってんの?」
平沢が隣を歩く今田に尋ねる。
「あれは、乙当番っていうらしいよ」
「乙当番?」
「二時間交代で校舎内の警戒して、定時報告とか、無線で当直教官と連絡取り合ってるらしいよ」
「へぇ、俺らもやるんだよね、当然」
「入校式終わったら始まるらしい」
「今田は情報通だな」
「榎木がね、普通に二十一期生の寮室行って、いろいろ聞いてくるんだよ」
「すげーな」
「他にも、甲当番っていうのもあるんだって」
「なにそれ」
「ジョギングのときに通る、模擬交番あるじゃん」
「ああ、あそこか」
「あそこに詰めて、校舎外の警戒するらしい。外に何箇所かチェックポイントがあるんだって」
「チェックポイント?」
「置いてある紙に警戒に来た証拠として時間と名前書くらしい」
「へぇ〜。それも二時間交代?」
「そう」
「あれ?ってことは、夜中起きてるってこと?」
「午後十時から零時、零時から二時、二時から四時、四時から六時っていう四交代らしいよ」
「えぇ?次の日絶対居眠りするじゃん。絶対怒られる」
「がんばるしかないよな」
「慣れんのかなぁ……」
若干の不安に包まれながら、平沢の警察学校五日目が終わった。
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