第十三話 やはり化け物かもしれない
十五時四十分。体力錬成の時間となり、学生たちはグラウンドに集まっていた。そこへ判教官が姿を現す。
「まずね。警察学校にいる間のランニング。ノルマがあります。卒業までの間に千キロ走ってください。グラウンド一周一キロ、学校全体を一周すれば三キロ。走った分については、講堂の階段下の記録ボードに書いてください。入校してから今日まで走った分も、つけていいです」
教官は続ける。
「それでは、今からお前らが今どのくらい体力があるか、テストします。まずは、あそこ。鉄棒があるところに集合」
千キロというと、百八十日で換算して一日五キロ強。走ること自体は苦ではない。なんとかなりそうだと考えながら歩いていくと、グラウンド脇に鉄棒が五本設置されているのが見えた。
五人ずつ懸垂の回数をテストされた。平沢は十二回で限界を迎えた。他の学生に比べて数多くできたようだが、体重が軽いことが要因かもしれない。
背は低いが筋肉の塊のような古謝は疲れを見せる様子もなく、教官から「やめ」と言われるまで延々と続けていた。化け物か何かだろうか。
多くの学生は六〜七回はできていたが、中には大前のように一回もできず叱責されている学生もいた。全員の懸垂が終わると、場所を体育館へ移すよう指示された。
二十メートルシャトルランを行うとのことだった。放送に合わせて二十メートルを往復するのを繰り返していくが、一分ごとにペースが上がっていくため、後半ほどきつくなる。二十代前半男性の平均回数は七十二回とされている。平沢は短距離より長距離走の方が得意だったので、三十歳を過ぎてはいたが、平均は超えられると踏んだ。
五十回あたりまでは余裕だった。軽く流しても体育館の壁に着いてから次に走り出すまで時間があった。七十回近くになると、待ち時間はなくなったが、それでもまだ全力で走る必要はなかった。だが八十回に入ると、体力が削られて余裕が消えた。九十回。気力だけで走っている。もう休んで楽になりたい。九十五回を超える頃には、周回遅れになり始めた。
シャトルランでは二回連続で放送に遅れると失格となる。平沢は意地で百回を目標に決め、到達したところで力尽きた。
息が苦しい。立ち上がれない。数分が経ち、ようやく頭がはっきりしてきたが、まだ走っている猛者がいる。古謝だった。百二十回を超えている。結局彼は百三十二回という記録を叩き出した。やはり化け物かもしれない。自然と拍手が沸き起こり、判教官からも称賛されていた。
シャトルランが終わると、入校前に用意するよう言われていた雑巾の提出が始まった。タオルを縫って五枚用意するよう指示されていたため、平沢もあらかじめ用意していた。寮室から持って戻り、順に教官からチェックを受けていく。
平沢の番になり、雑巾を提出した。
「なんだこれは。適当に縫ってきてんじゃねぇ!」
叱責を受ける。意味がわからなかったので、「は?」と声が漏れる。
「楽してんじゃねぇ、横もきちんと縫え!」
なるほど。タオルを折って長方形にし、長辺の片側だけを縫って雑巾にしていた。短辺は縫わずに輪のままだった。それで雑巾としての機能が落ちるわけではないので平沢家ではその形状で使っていたが、通常の雑巾は四辺すべてを縫い付けているものだということを失念していた。
「はい!」
「明日持って来い!」
「はい!」
余計な仕事が一つ増えた。そういえば、入校前に裁縫セットも持ってくるよう指示を受けていた。
午後五時。ジョギングのためグラウンドへ向かうと、スーツ姿の二十一期生たちとすれ違った。今日は金曜日。帰省するのだろう。二十二期生は一ヶ月間、帰省が禁じられている。
「いいなぁ。俺も帰りてぇ」
西島が羨ましがる。
「え、嘘。まだ二日しか経ってねぇの?一ヶ月長ぇ〜」
綿貫も不平を漏らす。
「ってことは、今日風呂使い放題じゃん」
古謝は前向きに捉えている。
二十一時。夕食、入浴、日夕点呼を済ませ、自由時間となるが、平沢にはやることがあった。雑巾を縫わねばならない。
学校の授業以外で裁縫をしたことがなく、提出した雑巾は母に縫ってもらっていた。個人ロッカーから裁縫セットを取り出し、慣れない手つきで針と糸を手に取る。
母と自分の裁縫技術には天と地ほどの差がある。雑に縫えば、また教官から何か言われそうだ。丁寧に縫う必要がある。雑巾の周囲を縫うだけでなく、イギリスの国旗みたいに内部も縫わなければならないというのが面倒だった。それならそうと、入校前に縫い方の指示もしてほしかった。
素振りの影響で右腕は完全に回復していない。細かい作業をしているとピリピリとした痛みが走る。
個室で裁縫していると、一〇一号室のドアが開いた。
「うぅい。綿貫いる?」
大前と榎木だった。
「お、金返しに来たな」
個室から綿貫がにゅっと顔を出す。
「あ、なんだ覚えてた?」
ぞんざいな大前。
「あたりめぇだよ、さっさと返せこのやろう」
「さんきゅー、綿貫」
愛想よく榎木がお金を返す。
「あー、ありがとありがと」
対して適当な大前。
「おめー、もうちょっと感謝しろよ」
「そうだぞ。そんなだからまともに笛も吹けないんだぞ」
「おっ前、黙っとけよ!」
榎木の暴露に慌てる大前。
「え!?あのぴひょ〜ってやつ、お前だったの?」
まじかまじか、と個室から一〇一号室の面々が顔を出してくる。
「ちげーよ!」
「あきらめろって大前。お前のせいで仁平もちゃんと笛吹けなかったんだぞ」
「ふざけんなよ榎木、それ以上喋んなよ!」
「感謝してるぞ、お前のおかげで笑ってはいけない警察学校始まったからな」
「な。教官の『しっかり吹けー』も、もうギャグにしか聞こえなかったな」
大前をおちょくる古謝と綿貫。
「あ!そうだ榎木、こっち見て笑ってんじゃねーよ、『榎木、アウトー』って言ってやろうかと思ったぞ」
ニヤニヤしながら文句を言う古謝。
「悪い悪い、耐えきれなくてさ」
ひとしきり笑った後、綿貫がぽつりと漏らす。
「でも、三限の泣いてた女子、かわいそうだったな。さすがにやりすぎじゃねぇの、あれ」
三限というのは、十二時四十分から始まる三時限目の授業のことだ。
「あー、あれか。たしかにかわいそうだけど、耐えられないやつを振り落とす目的もあるんだろうな。警察学校って」
戸嶋が真面目な顔で口を開く。
「えー、でもひどすぎない?」
「うーんと。あえてひどいことをしてるってことじゃないかな。警察官になれば、犯罪者とかヤクザとかと本気で張り合うわけじゃん。何年か前にさ、被害者を置いて逃げた警察官がニュースになってたろ。ああいうのを現場に出すわけにいかないんだよ」
「それを言われると、たしかにな⋯⋯。え、待って待って。俺ら、これからずっと教官たちにいびられ続けんの?」
「こいつは絶対に折れないし逃げないって思われるまでは、そうなんじゃない?」
「まじかよ〜⋯⋯」
綿貫と戸嶋のやり取りを聞いて平沢は思う。戸嶋の意見はおそらく正しい。体力も気力も、警察官としてふさわしいだけのものを身につけることが求められている。身につけられないのなら、適正のある者に席を譲れ——そう言われているのだ。
「痛て」
今日は剣道にシャトルラン、夕食前にもジョギングをしている。体力はほとんど残っていない。意識が遠のく中で裁縫を続けていたら、針が指に刺さった。それでも、就寝時間までに五枚の雑巾を縫い終えることができた。
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