打ち上げ
「ユズリハちゃん!!♡」
翌日の昼。試験が終わる頃を見計らってギルドに顔を出したら、声の方が先に飛んできた。
ミルシェが受付の前でぴょんぴょん跳ねている。駆け寄ってきて、両手を握ってきた。
視界の隅、ギルドの奥にセリアの姿。
「Bランク試験、合格したー!!♡」
もう結果まで出たのか。ミルシェの勢いに、返事が一拍遅れた。
「……お、おめでと。昨日の『できるわけない〜♡』は?」
「一晩寝たら吹っ切れたの♡」
「……切り替え早いな」
カウンターの受付スタッフが苦笑しながら、新しいプレートを差し出した。
「昨日の合同依頼での働きも、高く評価されています」
「やった〜♡ Bランクだ〜♡」
ミルシェの手の中で、真新しい「B」が光っていた。私のポケットにも、同じ刻印がある。
あっちは試験を受けて取ったやつで、こっちは面接で判子をもらったやつだ。
フィルがこちらへ歩み寄ってきた。
「無事に通ったか。当然の結果だ」
ミルシェが全力で頷いた。そして、また私を見る。
「ユズリハちゃんのおかげだよ♡」
「え? いやいや、ミルシェの実力でしょ」
「ううん、ユズリハちゃんの力♡ 手術してくれたからだよ♡」
「……私が外したのは、ミルシェの中で邪魔してたものだけ。昨日の動きは、ミルシェが積んだ力だよ」
ミルシェが一度だけ瞬いた。いつもの笑顔が、少しだけ柔らかくなる。
「……それでも、ありがとう♡」
「どういたしまして。改めて、おめでとう」
ミルシェが、にっこり笑った。次の瞬間、また飛び跳ねて受付スタッフに「お静かに」と諭されていた。
「……おめでとう」
今度は、奥からセリアの声がした。
ミルシェが振り返り、両手で口を覆った。足も止まっている。
私もセリアを見た。自分から人を祝うところなんて、初めてだ。
「……ありがとうございます♡」
さっきまでとは違う、小さな声だった。
セリアが頷くと、ミルシェはプレートを胸に押し当てた。
夜。
ギルド二階の小部屋に、お祝いの料理が並んでいた。今夜はこの部屋を貸し切って打ち上げをするそうだ。
木のテーブルに、肉料理、パン、スープ、デザート。ミルシェが腕まくりして「お祝い料理、作るから♡」と宣言した結果、半分くらいは自作。残りは酒場から頼んだらしい。
……祝われる側が厨房に立つな。
テーブルを囲んだのは五人。私とセリア、フィルとリコ、それからミルシェ。
全員のグラスに飲み物が注がれた。フィルがグラスを掲げる。
「ミルシェのBランク昇格を、心から祝す。お前の今日までの努力、セリアンディエル様との合同依頼で発揮した実力、そして本日の試験での成果——」
「フィル、長い」
「……」
「続きは私が伺いますので、先に乾杯を」
リコが真顔で引き取った。
「……乾杯」
「やっと飲める〜♡」
控えめな乾杯の音。ミルシェだけが満面の笑みでグラスをぶつけてくる。
それから、ミルシェが小皿を私の前に置いた。
「はい、ユズリハちゃん♡ 頑張って作ったの♡」
焼き目のついた肉から、スパイスの香りが立っていた。一口食べて、もう一度皿を見た。
「……うま」
噛むと肉汁が出て、後から香りが鼻に抜ける。もう一切れ取ってから、ミルシェを見た。
「レシピ教えて、自分でも作りたい」
そう言うと、ミルシェががっくりと肩を落とした。
「そこは『また作って』って言うとこ!!」
「え? 自分で作れた方が効率よくない?」
「効率の話してない!!」
レシピの話は後らしい。せめて材料だけでも教えてほしいんだけど。
「じゃあ、また作って……」
「うん♡ いつがいい? 明日?♡」
早い。
ミルシェは私の皿にもう一切れ乗せてから、自分の分にも手をつけた。
ふと気がつくと、セリアが黙って、二皿目の肉料理を取っていた。
……え。——セリア、野営の時は一口で「足りてる」って言うやつだぞ。それが、二皿目。胃袋バグったか?
ミルシェが、目を見開いた。
「セリアンディエル様、二皿目!?♡」
「……」
「美味しい!?♡」
「……故郷で、よく食べた。光雉の肉……」
ぽつり、と落ちた呟きだった。
故郷か。集落を焼かれたとは聞いた。でも、そこで何を食べ、どう暮らしていたのかは、何も知らない。
ミルシェが肉の皿を見て、それからセリアへ笑いかけた。
「えー♡ うちの故郷でも、お祝いの日によく出てたよ〜♡」
セリアが、ミルシェを見た。表情は変わらない。でも、視線がいつもより、長く留まっている。
「もう一皿、食べる?♡」
「……少し」
ミルシェが嬉しそうに調理台へ向かい、セリアの空いた皿へ、さっきより多く盛って戻ってきた。
リコがボウルに何かを混ぜている。
「リコちゃん、何作ってるの〜♡」
「デザート用のクリームです。ほぼ完成しました」
「味見してい〜?♡」
ミルシェが指でひと舐めして、動きが、止まった。
「……リコちゃん。これ、砂糖じゃなくて塩じゃない?」
「……あ。では、肉料理の方に」
「失敗を私のお皿に引っ越さないで!?♡」
ミルシェがボウルを引き取り、リコは持ってきた包みを開いた。小皿に並べていくのは、黒い塊だった。
……あ。
アスタル村へ向かう道中、リコにもらった保存食に紛れていたやつだ。一口かじって、舌の処理能力が追いつかなかった。
——同じ系譜だ。
「ユズリハさん、味見してもらえますか。故郷のお菓子です」
さっきから故郷、故郷。……私の番が回ってきたらどうするんだ。
「お菓子なの? これ」
「私の故郷では、魔除けとしても使われています」
魔除け。……私、魔じゃないんだけど。
食べるのか、これを。嫌な予感しかしない。
「あ……ごめん。さっきの肉でお腹いっぱいかも」
リコからもらった皿を、すっとセリアの方へ押し出した。バディ、後はよろしく。
セリアが、視線を上げた。フォークが止まっている。
——咄嗟に目を逸らした。
セリアは皿を引き寄せて、ゆっくり食べ始めた。
食べた……。
一口。二口。三口。
——表情、変わらず。美味いのか、まずいのか、舌が麻痺したのか。エルフの無表情、本当に読めない。
ミルシェが、息を呑んで私を見ている。
「……ユズリハちゃん、セリアンディエル様に何させてるの!?♡」
言い方。……というか、その慌てよう。ミルシェも食べたことあるな、あれ。
「……なんかセリア、今日お腹空いてそうだったから」
言い訳にしてはお粗末だ。我ながら。
——セリアが、私を見た。皿に残った最後のひとかけらをフォークで掬って、私の口元に運んできた。
……仕返しのつもりか。
「……」
顔を引くと、フォークも同じだけ追ってきた。
戦闘中より間合いの管理が厳しい。
観念して口を開けると、それが舌に乗った。苦い。甘い。遅れて何かが鼻の奥に残って、何を食べているのか分からなくなる。
「ユズリハさん、いかがですか」
リコは真顔で感想を待ち、セリアはフォークを持ったまま私の顔を覗き込んでいる。
二人の間あたりに視線を置いて、笑顔を作った。
「……うん。忘れられない味になりそう」
リコが満足そうに頷いた。セリアの視線は、まだこっちにある。
——今のは、使える。次にリコの料理が回ってきた時の、定型文にしよう。
壁際の席で、フィルが自分のグラスへ目を落とした。
このまま座っていると、今度は何を食べさせられるか分からない。
席を立って、向かい側に腰を下ろした。
「そういえばフィル、初Aランク任務、どうだった?」
フィルの手が、止まった。
「良い経験ができた。冒険者としての糧になった」
ミルシェが食いつく。
「楽しかったって言えばいいのに♡」
フィルがグラスを置いた。
「……リコ。そんな風に見えたか?」
「フィル様の向上心は、素敵だと思います」
フィルの肩から、わずかに力が抜けた。
「……その向上心で左腕を吊って帰ってきたのは、お忘れのようですが」
フィルが酒へ逃げようとすると、リコが黒い塊の乗った小皿を、その前に置いた。
「食事も召し上がってください。エルフだからと食事を抜いて、飲んでばかりでは、体に障ります」
ミルシェが私を見て、声を出さずに笑った。フィルは何も言わず、死んだ目で皿に手を伸ばした。
しばらくして、ミルシェがグラスを片手に私の腕へもたれかかってきた。何杯目なのか、頬がほんのり赤い。
「ユズリハちゃ〜ん♡」
「なに……?」
「おっぱい揉む?♡」
ミルシェにはハラスメント研修を受けさせるべきかもしれない。それも、定期開催の方で。
「間に合ってます」
「セリアンディエル様ので間に合ってるの?♡」
「は、違うわ!」
……言ってから、反射的に奥を見た。
セリアと、目が合った。
アルコールの匂いが鼻先まで来る。ミルシェの髪が、私の肩にかかった。
セリアが、立ち上がった。無言で私の反対側へ回り、椅子を引き寄せて座った。肩が触れる。
「ふふふ、セリアンディエル様、ユズリハちゃん独占したい派〜?♡」
「……違う」
「じゃあ何で〜?♡」
「……椅子が、空いてた」
「いやいや、椅子なんていっぱい空いてるのに、そこなんだ〜?♡」
「……」
ミルシェは笑いながら、私の腕に回した手を離さなかった。
セリアも椅子を戻さない。
昨日の馬車と、同じ並びだ。両側を塞がれたまま、しばらく飲んだ。
宴がだいぶ進んだ頃、ミルシェが「外で焚き火したい〜♡」と言い出した。目はもう半分閉じかけている。料理も酒も存分に楽しんで、限界が近いらしい。
ギルドの裏庭に、小さな焚き火台がある。普段は誰も使わないが、今夜は特別に使用許可を取った。
薪に火が入った。
ミルシェは酒を持ったまま焚き火のそばに座り込んで、いつの間にか寝息を立て始めた。
——言い出しっぺが最初に落ちた。
「お疲れだな、これは」
フィルが苦笑しながら、自分の上着を脱いでミルシェにかけた。
リコが真顔で言った。
「……フィル様、優しい」
「いや、寒そうだったからだ」
「……やっぱり優しい」
「…………」
フィルは黙ってグラスを傾けた。
焚き火を挟んでミルシェたちの反対側、薪が積んである方に腰を下ろした。
火の粉が、夜空に向かって細く立ち上る。薪が乾いた音を立てて弾け、火が一段大きくなった。木の樹脂と煤の匂いが、風に混ざる。
ジョッキを傾ける。任務中の焚き火なら、酒には口をつけない。今夜は、飲んでいい。
……セリアが、無言で私の隣に座った。二人の間に、指二本分くらいの隙間がある。
——周りを見る。フィルとリコは少し離れた場所で、ちびちびと飲みながら何か話している。ミルシェはフィルの上着にくるまれて、寝息を立てている。
薪がはぜる合間に、リコの小さな笑い声が聞こえた。
昨日は合同依頼。今日はミルシェのお祝い。次の約束は、まだない。
それなのに、また何か理由をつければ集まれる気がしている。
——迷宮で魔導書が見つかったら、私はもうここにいないのに。
ジョッキを脇へ置いた。無意識にセリアの肩に自分の肩を預けていた。
触れたところが、こわばるのが分かった。やば。
離れようとすると、セリアの腕が背に回り、引き戻された。けれど、その腕はすぐに離れた。
小さく息を吸う音がした。
「……寒いの?」
声が、耳のすぐ横で聞こえた。セリアの肩は、動かないままだ。
「……ううん。ただ、なんか火、いいなって」
二人の間に置いていた手に、長い指が触れた。指先が指の間を探るように入ってくる。手をわずかに開くと、そのまま深く絡められた。
冷たい。顔を上げたが、セリアは焚き火を見ていた。
セリアが、ぽつりと呟いた。
「……あったかい」
冷たい手だと思っていた。向こうからは、温かい手に触られているらしい。
「……こんな日が来るとは、思っていなかった」
横顔を見た。火が揺れるたび、睫毛の影が頬の上で動く。
何か返そうとしているうちに、セリアの指に力がこもった。私も手を引かず、もう一度火へ目を向けた。
やがて、焚き火の向こうで寝言が聞こえた。
「……ユズリハちゃん……♡」
……ミルシェの方に目を向ける。
「……ユズリハちゃんのえっち〜……♡」
……夢の中の私が何をしたかは知らないが、現実の私は無罪だ。
焚き火の薪が一本崩れ、火が小さくなった。
セリアが、私の後ろの薪の山へ目をやった。
「……薪、足す?」
繋いだ手へ目を落とす。
その指が、ほどけようとする。
——反射的に、握り込んだ。
「……もう少し、このままで」
答えてから、顔を上げられなくなった。火を見たまま肩を預け直すと、セリアの髪が頬に触れた。
隣で息を吐く音がした。
「……うん」
指は絡んだまま、二人の膝の間に収まっていた。




