五人の戦場
——一週間後。
朝のギルドの前に、五人が揃った。
フィルが人数と装備を確認している。リコがその横で荷を数え、ミルシェは早く行こうと私の袖を引いている。セリアは少し離れて立っていた。
……本当に五人で出ることになった。
ミルシェの昇格試験は、実績をあと一本積めば受けられる。その一本が、今日だ。
Aランクの依頼で、Aランクはセリアだけ。誰かが危なくなれば、そのたびにセリアが助けに入る。
後ろで蟲を出しているだけなら、私も、その誰かの一人だ。
二人の時は、私が羽虫の群れで追い立てた先に、セリアが待っていた。
今日は、ミルシェを庇いに走っているかもしれない。
……二群に割れれば、戦い方も広がるのにな。
馬車で一時間かけて王都北の森へ向かった。
乗り込む時、ミルシェが私の隣に滑り込もうとして、一歩早くセリアが座った。ミルシェは反対側へ回り込み、結局、私は両側を塞がれた。
先週あれだけ揉めた配置は、戦場より先に馬車の中で完成した。
左はぴったり絡みついてくる。右は、微動だにしない。
……身動きが取れない。
森の入口で馬車を降りた。ここから先は道が細く、車輪が入らない。
落ち葉を踏んでしばらく進んだところで、ミルシェが足を止めた。
「フィル、前に五つ♡」
——ミルシェの気配察知は、私が蟲を飛ばすより早い。
最初の群れは、Cランクの狼型。五匹。
木々の間からこちらを窺っている。まだ飛びかかってくる距離ではない。
フィルが即座に、自分たちの位置取りを決めた。
「ミルシェ、前だ。俺が氷で援護する、リコは補助」
フィルがセリアの方を見た。
「Cランクの群れに、お二人の手をお借りするほどではありません。……我々の仕事も見ておいてください」
セリアは頷きもしない。剣の柄に手を置いたまま、戦列から一歩下がった。
下がった位置が、私のすぐ隣だった。
——出番、なし。Aランクの依頼に来て、見学。
……給料泥棒だな、これは。
仕方なくアルミ玉だけ握って、セリアの横に立っていた。
リコが後ろで短く詠唱した。フィルの手元と、ミルシェのナイフに、薄い銀色の光がまとわりつく。
「五匹なら、角が五本。牙が計二十本、爪は一匹あたり十八として……」
「リコ、何数えてるの?」
「不思議だと思いませんか。角は一匹に一本なのに、牙は四本、脚も四本、爪は十八本です。前脚と後ろ脚でなぜ爪の数が違うんでしょうか……そもそも人間は、なぜ手が二本で指が十本なんでしょうか」
——知らんがな。これから戦うんだけど。
フィルが前方を警戒したまま、肩越しにリコをちらっと見た。
「リコ。今、考えることか」
「人間やエルフの場合、戦闘後には、指が十本あるとは限りませんよね」
フィルの視線が、一瞬だけ自分の手に落ちた。
やめて。縁起でもない。……この天然、変わってない。
そうこうしているうちに、ミルシェが真っ先に飛び出した。——速い。補助のかかったナイフを閃かせて、先頭の脇腹へ。刃が深く入った。狼が短く鳴いて崩れる。
……こんなに重かったっけ、ミルシェの一撃。
別の一匹が、ミルシェの背後へ回り込む。フィルの手のひらの上に、氷の槍が伸びた。狼の前脚を撃ち抜く。
振り向いたミルシェのナイフが、そのまま喉を通した。
リコが小さく「下がって」と言った。フィルは問い返さずに、もう一歩退いている。狼の爪が、さっきまでフィルが立っていた場所を切り裂いた。
体勢を崩した狼の前脚を、フィルの氷が地面へ縫い止める。ミルシェが、その喉を裂いた。
続く一匹も、フィルが足を止め、ミルシェが仕留めた。動きに無駄がない。
四匹までは、思ったよりあっさり片付いた。
——しかし、最後の一匹だけ様子が違った。首を痙攣させて、吠える前に体を強ばらせる。仲間が倒された後も、他の狼のように殺気で飛びかかってこない。
アルミ玉を通して、もう一度見た。——自前の術式の上に、殺意の命令が乱暴に継ぎ足されている。継ぎ目が、まるで噛み合っていない。
また、後付けだ。——鹿と、同じ手。
そう思っている間に、フィルの氷が眉間を撃ち抜いていた。一撃。崩れる。
術式がふっと消えた。死と同時に、継ぎ接ぎの殺意プログラムも一緒にほどけていく。
「見事!」
思わず拍手した。完全に見学者だった。
「……最後の一匹、妙だっただろう」
フィルが汗を拭いながら、私の隣に来た。
「仲間が全部やられたのに、飛びかかってこなかった。あそこで牙を剥かない狼はいない。——ああいうのが混じってる、って報告が最近増えてるんだ」
「……そうなんだ」
「数もだ。群れが複数、王都の外縁まで下りてきてる。奥地ならともかく、ここまで出るのは普通じゃない。ギルドの単独受注停止も、解ける気配がない」
——やっぱり。
手下が、動いている。規模が、広がっている。
王都のすぐ外までこれなら、次は門の内側かもしれない。そうなったら、ギルドは迷宮どころじゃなくなる。探索申請の受付が止まれば、先生の推薦があっても入れない。
……早く行かないと。帰れなくなるかもしれない。
気づけば、隣のセリアを見ていた。
迷宮へ向かう時も、この人が隣にいるのか。それだけが、まだ決まっていない。
少し離れたところで、フィルとリコが次の群れの位置を確かめていた。
しばらくして、休憩に入った。
切り株に腰を下ろして、水筒から水を飲んだ。腕を上げたとき、左の革の籠手がかたんと鳴った。留め具が歪んでいる。
外そうとしたら、セリアが無言で私の腕を取った。
「……何?」
答えずに、留め具を直し始める。
「……ここ、緩い」
留め具を、指で押さえたまま。
「迷宮で外れたら、腕ごと持っていかれる」
——いやいや。籠手の留め具が外れたくらいで、腕はもげないんだが。
セリアの手が、そのまま反対の腕へ伸びた。
「……こっちも見る。背中も」
「待って、全部?」
「全部」
……いや、待て。
迷宮、と言ったか。今。
……それって、一緒に来るってこと?
セリアは「考える」と言った。こんな言葉尻をつかまえて、答えを急かすのは違う。
出かかった言葉を、飲み込んだ。
セリアが、最後の留め具から手を離した。
指先がほんの少し、私の腕に触れて、離れるのが遅かった。
ふと見ると、ミルシェが倒した狼の毛並みをしゃがんで触っていた。
「この毛皮ふわふわ♡ ユズリハちゃんに巻いてあげたい♡」
「いらない」
「じゃあ尻尾♡」
「もっといらない」
魔物の毛皮を首に巻いて王都を歩くメンタルはない。
ミルシェはそのまま、額の角をナイフで切り取りながら、鼻歌まで歌い始めた。のんきなもんだ。
休憩を終え、さらに森の奥へ進んだ。谷へ降りたところで、次の群れと遭遇した。
七匹。散らばって、正面と左右から来る。——数だけじゃない。どれも最初の群れより一回り大きい。中に、Aランク級が二匹。……これが、Aランク推奨の「本番」か。
フィルが、降りてきた斜面を少し登り返した。
「ミルシェ前衛、リコは補助、俺が中衛で拾う。ユズリハは、崩せるところから頼む。——セリアンディエル様、数も強さも前回の比ではありません。お力添えを」
——さっきの「我々の仕事も見ておいてください」は、どこへ行った。
セリアが、鞘から剣を抜いた。
アルミ玉を強く握る。正面から来る群れの足元へ、油蟲を撒いた。二匹が滑って、互いにぶつかって転がる。
そこへミルシェが飛び込んだ。油の縁を一息に跳び越え、一匹の脇腹を抉る。狼が転がり、そのまま動かなくなった。
——ミルシェの動きに迷いがない。
リコの補助を乗せたフィルのアイスランスが、起き上がりかけたもう一匹の頭を貫く。
残る五匹のうち、三匹が油を避けて大きく回り込む。そのうち二匹が、ミルシェの左右から同時に来る。
Aランク級の二匹だけは、油の手前で足を止めていた。
ミルシェが右を蹴り上げた。骨の鳴る音。その一拍で、左が空く。
左の狼が、その隙間へ跳んだ。
視界の隅で、もう一匹が斜面を回り込んでいた。フィルの後ろへ。
——まずい。
リコが「フィル様——」と声を上げかけた。その前に、手が動いていた。
バグ・スウォームを射出。千の羽虫が、フィルの背後の一匹に殺到する。
同じとき、セリアの剣がミルシェの左へ走った。跳んだ一匹が、届く前に崩れる。
斬撃音が遅れて届いた頃、こちらの一匹がようやく沈んだ。
「……助かった」
短く、フィルが言った。セリアは剣の血を払い、わずかに頷く。私は手を上げて応えた。
顎を蹴り上げられた狼が、よろめきながら起き上がる。ミルシェが身をひねって喉へナイフを通した。
残り二匹。——さっきのAランク級だ。
アルミ玉越しに見る。左は自前。右には、継ぎ接ぎの殺意プログラム。後付けだ。
二匹が、左右へ分かれて走り出した。
——両方、こっちに来る。
バグ・スウォームを射出した。一群では、片方しか止められない。
……指が勝手に群を裂こうとした。朝五時の練習が、いちばん悪い形で身についている。
一瞬だけ、別々に飛んだ。だが右へ向かった群れが緩み、左へ引かれていく。
——まただ。ここで合流する。
蟲は全部、左の狼に集まってしまった。右が、素通しになる。
立て直すより先に、セリアの光弾が右の狼を撃った。横へ弾かれた体が、左の狼のすぐ隣へ転がる。
——二匹が、一箇所にまとまった。
千の羽虫が、一斉に群がる。毛が焦げ、煙が上がる。——それでも、狼は歩みを緩めない。
……毛皮の下まで火が通らない。ただ、目元にまとわりつく羽虫と煙には、わずかに顔を背けた。
殺せないなら、動かすしかない。
合流したままの蟲で背後と左右を塞ぐ。開けておくのは、セリアの側だけ。
——二人で戦う時と、同じ形だ。
そこへ、セリアが踏み込む。
後付けの個体を一閃で斬り伏せた。継ぎ接ぎの術式がほどけていく。
残った一匹が、返す刃をかいくぐってセリアの脇を抜けた。
抜けた先に、ミルシェが立っていた。
「えっ、こっち!?」
驚いた声のまま、ミルシェが腕を突き出した。
走り込んできた勢いのまま、狼の喉に刃が入る。
最後の一匹が崩れた。
「来るなら先に言ってよ〜♡」
魔物に報連相を求めるな。
ミルシェが、ナイフを持ったまま自分の手元を見ている。
リコは、詠唱の途中で口を開けたまま止まっていた。
フィルが、私とセリアを交互に見た。
「……ユズリハ。今の、打ち合わせていたのか」
「今のって?」
「俺の後ろと、ミルシェの横。同時に潰れた。合図も、目配せもなかった。——そのあとも、お前が囲った側に、セリアンディエル様が入った。……示し合わせていたとしか、見えない」
「してないよ」
「……伝わるから」
セリアが平然と言った。
……説明になってない。
ミルシェが、ナイフを鞘に戻しながら「いいなぁ♡」と言った。
その後も、午後のうちに群れを三つ潰した。斜面で四匹、川沿いで六匹、崩れた炭焼き小屋の裏で五匹。
どれも同じ形で終わった。フィルが位置を決め、ミルシェが前に出て、私が足場を奪い、最後をセリアが刈る。戦闘より、ミルシェが角を切っている時間の方が長かった。
継ぎ接ぎの個体は、そのうち二匹に混じっていた。——今日だけで、四匹。
日が傾いた頃、王都に戻った。
今日は悪くなかった。
ギルドの受付で、フィルが報告書を書き終えて差し出した。それを遠巻きに眺めていた。戦闘の疲れが、今頃肩に降りてきている。
——フィル、有能すぎる。位置取りの指示も、戦闘指揮も、報告書も全部やってくれる。
このまま、今後の面倒な段取りも全部フィルに投げたい。
「——あ、ミルシェさん」
受付から声がかかった。
ミルシェが振り返る。受付のスタッフが、少し声を落として言った。
「今日の依頼で、実績の条件が揃いました。Bランクの昇格試験は、明日の午前に行います」
「え、明日? もう?」
ミルシェの肩が、ぴくりと動いた。
受付は「ではお待ちしています」とだけ言って、カウンターの奥に戻った。
ミルシェが、私の袖を引いた。
「ねえねえ、私の都合全無視なのかな? 明日本番ってことだよね……」
「心の準備できてない?」
「できるわけない〜♡」
——朝まであれだけ元気だったのに、夕方には尻込みしている。案外まっとうな反応だ。
「いきなりだもんね。私も協会から前日の夜に『明日の午前、執務室に』って呼び出されたことある」
「ユズリハちゃんも急に呼ばれたの?♡」
「うん。人を呼ぶ側に回ると、相手の予定って概念が消えるらしい」
二人で深く頷いた。
ギルドと協会。組織は違っても、理不尽は共通仕様らしい。
フィルが、ミルシェを見た。ただ一度だけ、短く頷いた。
隣でセリアも、黙ってミルシェの方を見ていた。
……ミルシェ、大丈夫かな。
——いや。一晩寝たら何でもなさそうな顔をしてるかもしれない。ミルシェは、そういう奴だ。




