合流
朝、五時。
王都の東側、城壁沿いの空き地は、まだ薄い霧に包まれていた。地面は夜露に湿り、膝下には白い霧が漂っている。早朝に出てきているのは、私だけだ。
息を吐くと、白く残って、霧に混ざって消えた。
……前職なら、この時間はまだ夢の中だった。始業五分前に飛び起きていた人間が、今は誰にも言われずに起きて、霧の中に立っている。意識が高い。高すぎて自分で引く。
今朝も、同じ練習だ。蟲の群を二つに分けて、別々の的に当てる。それだけ。
アルミ玉を握る。右の指先に一群、左にもう一群。
右の群れを十メートル先の杭へ。左の群れを、反対側の立木へ。
右が杭に取りついた。そのまま左の群れを枝へ飛ばした瞬間——杭にいた群れがほどけ、左手側へ吸い寄せられた。二群が一つに戻る。
——またくっついた。
右と左に分かれてほしいだけなのに、隙あらば合流する。そんなに仲良しじゃなくていいんだが。
私より協調性がある。そこは見習いたくない。
この技を思いついたのは、ミルシェたちと薬草を摘みに行った日だ。蟲は群ごと、ひとつの的にしか向かわない。二体目が横から来たら、それで終わる。十匹で試して、だめだった。あれから何度か練習したが、進歩はなかった。
でも、今までは、できなくても困らなかった。手こずったのは、ミルシェと二人でCランクの狼三匹を相手にした時くらいだ。
バディを組んでからは前に出るのが全部セリアで、私は一群を一箇所に置けば足りた。……甘えていたな。
ソロンの話では、あの迷宮は内部の形が変わる。空間が安定していない。通路も壁も、当てにならない。魔物がどこから現れてもおかしくない。誰と行こうと、一人で全方向は抱えきれない。
……守ってもらわなくていい、と言ったのは私だ。
セリアから、同行の返事はまだない。断られることも、ある。
その時は、金を積んで護衛を雇うか、別のAランクに頭を下げるかだ。
いずれにしても、足りないのは、私の方だ。
私は私で、できることをやるしかない。……その結果が、朝五時から両手で蟲を振り分けてる社会人だ。どう見ても不審者だな。
——ふいに、昨日の光景が割り込んできた。
セリアの、硬い背中。その正面で、穏やかに笑っていたキリヤ。
気づけば自分の手が止まっていた。
頭を振って、アルミ玉を握り直した。
……集中しろ。右と左、同時展開——また、一方が引っ張られた。
今日も、うまくいかない。
自分の呼吸のほかに、音がない。……そろそろ時間だ。
——魔導書が、今もあるとは限らない。先生は最初から、そう言っていた。
行って、なければ、ない。……その時は絶望するんだろうか。それとも……。いやいや。振り払う。
アルミ玉をポケットに戻して、歩き出した。
ギルドに着くと、朝の食堂はもう人で賑わっていた。
カウンター奥の壁に、セリアがもたれて腕を組んでいた。
——昨日、あの裏手で何を言われたのか。
……聞けない。聞いた時点で、見ていたことがバレる。
——あの小石の音に気づかれていた場合は、その限りじゃないけど。
一角に、フィルとリコ、ミルシェもいた。フィルは報告書、リコは地図、ミルシェは朝食の串焼き。バラバラのことをしているのに、三人が同じテーブルにいる。変わってない。
——肩から、力が少し抜けた。
ミルシェが私に気づいて、ぶんぶんと手を振った。
「ねえねえユズリハちゃん♡ ちょっと来て来て♡」
近づくと、ミルシェが椅子を引いて隣を空けた。座った瞬間、ぴったり腕を絡めてくる。
「ユズリハちゃん♡ 会いたかったよ〜♡」
「昨日会ったばっかでしょ」
「昨日は逃げられたもん♡」
——相変わらず、距離が近い。ミルシェの視線が、壁際を一度だけ掠めて、すぐに戻った。
「ねぇねぇ、みんなで依頼受けよ♡ ユズリハちゃんも一緒に♡」
「……みんなで?」
見回すと、リコが頷いた。フィルが報告書から顔を上げる。
「ちょうど話してたところだ。——ミルシェをBランクの昇格候補に上げたいって話が来ててな」
「え、そうなの?」
ミルシェの方を見る。
「昨日、ユズリハちゃんが帰った後にね。受付の人に声かけられて♡ そろそろ昇格候補に、って♡ ……でも、正式に試験を受けるには、実績があと一つ足りないんだって♡」
語尾が、いつもより下がっていた。
フィルが続けた。
「——格の高い依頼なら、なお確実だ」
フィルが、一拍おいて、少し目を逸らした。壁際とは、逆の方へ。
「……ユズリハ。お前、その……セリアンディエル様とAランクの任務、回してるんだろう。俺たちも今回は混ぜてくれないか。これはミルシェのためでもあるんだ」
「……ミルシェのため、ね」
「…………」
リコが、地図から顔を上げた。
「Aランクの任務、フィル様ご自身もやってみたかったんですね」
「……ミルシェのためだ」
「フィル様は、前から依頼票のAランクの欄ばかり見ていました」
「リコ」
「掲示板の前で立ち止まるのも、これが初めてではありません」
「リコ」
リコは地図に視線を戻した。
——ミルシェから聞いてる。「フィルはもっと刺激が欲しい」って。
フィルが、視線を戻さないまま続けた。
「……悪いか。俺たちも、少しは成長してるんだ。特に、ミルシェは」
ミルシェが、絡めた腕の中で、少しだけ胸を張った。
フィルが、リコの広げていた地図の上に依頼書を置いた。
「候補はこれだ。王都北の森から、王都の外縁まで下りてきている魔物の群れ。それを複数、討伐する。推奨人数は五人」
五人。依頼書には、群れの数も個体数も不明とある。単体の大物より、広い範囲で何度も戦うことになりそうだ。
「俺たち三人だけでは手が足りない。だが、二人が加われば、戦い方は組める。——具体的な動きは、セリアンディエル様にも伺ってからだ」
「とは言いつつ……頭の中では、もうできてそうだよね」
「誘う前に何も考えていない方が失礼だろう」
正論だった。
私はいい。むしろ、やってみたい。
ただ、私が頷いたところで話は動かない。Aランクの依頼には、Aランクが一人要る。
ミルシェはまだ私の腕に絡みついたまま、依頼書を覗き込んでいる。
「ユズリハちゃんと一緒なら、私頑張れるよ♡」
「私がいなくても頑張って欲しいところだけど……昇格かかってるんでしょ?」
「一緒なら、もっと頑張れるの♡」
都合のいい加算方式だな。
壁際のセリアを振り向いた。目が合う。——こっち、来てもらっていい? 目で合図した。
セリアは無言で壁から背中を離し、ゆっくりテーブルに歩いてきた。ミルシェが反対側の椅子を引いたが、セリアは座らず、椅子の背に片手をかけて立ったままだった。
フィルが、背筋を伸ばした。
「あの……セリアンディエル様」
フィルが、一呼吸おいてから切り出した。
「Aランクの任務を、受けたいんです。——我々と合同で。ご同行いただけないでしょうか」
セリアは黙って、テーブルを囲む四人を順に見た。いつもの無表情だ。一人ずつ、間があった。
フィルが、セリアの沈黙に耐えかねたのか、付け足した。
「……もちろん、報酬の配分は、等分でとは申しません」
何秒か、沈黙。
——フィル、それは効かない。
取り分を増やす提案なら、私が前にやっている。「いらない」の四文字で終わった。
セリアの視線が、フィルから私へ移った。
「……あなたは」
「私は行きたい。ミルシェの昇格、手伝いたいし。それに久しぶりに皆で依頼受けてみたいなって」
セリアは私を見たまま、わずかに目を細めた。それから、まだ私の腕に絡んでいるミルシェへ視線を落とす。
ミルシェが、なぜか腕に込める力を強くした。
……ミルシェ。それ、今はやめてくれ。セリアの視線が痛い。
「……別に、いいけど」
セリアが、テーブルの上の依頼書に目を落とした。指が、椅子の背を一度だけ叩く。
「……全員、私の見える位置に。ユズリハは、私の隣。離れないで」
フィルが、一拍遅れて「……承知しました」と返した。
ユズリハ、か。
アオイ、とは呼ばれなかった。……いや、さすがに人前では呼ばないか。
——離れないで。
……そういえば、酔ったセリアは言っていた。「私がいたとしても、全員守り切れる保証なんてない」。だからAランクは受けないんだと。
私の意見を聞いた上で、全員を守れる形にしようとしてるのか。
なら、私がやれるのは、隣で足を引っ張らないことだけだ。
「では、依頼の詳細をご説明します」
フィルが地図をこちらへ向け直した。
「対象は群れです。ミルシェが前で引きつけ、俺が氷で動きを制限します。リコは全体の補助。セリアンディエル様とユズリハの動きについては、お二人の連携を把握していないため、ご判断を仰ぎたい」
「……ユズリハは、私の隣と言ったはず」
「それは承知しています。戦闘上の役割を伺っているのですが」
「……ユズリハが離れなければ、それでいい。バディが離れるなんて、ありえない」
「…………」
フィルがリコを見た。
リコがミルシェを見た。
ミルシェは私の腕に絡んだまま、首を傾げた。
「じゃあ私も、ユズリハちゃんの隣がいいな♡」
セリアが、間を置かずに言った。
「……あなたは前でしょ」
「ユズリハちゃんも前に来れば、一緒にいられるよ♡」
「いや、私、そもそも前衛じゃないんだけど」
セリアがミルシェを見た。
「……危ないから、駄目」
「じゃあ私が後ろに行く♡」
「ミルシェ、お前が前に出なくてどうする」
フィルがすかさず止めた。
「そっかぁ。配置って難しいね♡」
難しくしてるのはお前だ。
ミルシェは笑っている。
セリアは笑っていない。
フィルとリコが、今度は揃って私を見た。
やめてくれ。私を挟んで目だけで会話しないでほしい。
「えっと。これ、魔物を倒しに行く話だよね?」
「……そのはずだ」
フィルの返事に、妙な疲れが混じっていた。
リコが、ほんの少し笑った。視線の先には、地図に指を戻しかけているフィルがいる。
ミルシェの目が、すっとリコへ動いた。
「リコちゃんも、フィルの隣がいいって言えばいいのに♡」
「……何の話ですか」
リコがすぐに地図へ目を落とした。
「配置の話♡」
「……なぜ俺が出てくる」
「フィルには関係ないよ♡」
「俺の名前を出しただろう」
結局、私とセリアの具体的な役割だけは決まらないまま、話はまとまった。
「セリアンディエル様、ありがとうございます〜♡」
ミルシェがやっと腕を離して、両手を上げた。
フィルが依頼書を持って立ち上がる。リコが、広げていた地図をたたんだ。
「受注してくる。出発日は追って知らせる」
「あ、私も♡ 試験のこと、受付に聞いてくる♡」
ミルシェがフィルの後を追い、リコも、たたんだ地図を抱えて続いた。
テーブルには、私とセリアだけが残った。
ポケットの中で、アルミ玉を握っていた。
迷宮の返事も、昨日の裏手のことも、喉の手前で止まっている。
目が合った。
「……何」
「……何でもない」
セリアは、最後まで椅子に座らなかった。
カウンターの方で、ミルシェの声が跳ねた。フィルが短く返している。
推奨人数、五人。……今回は、ちょうどだ。




