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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
百年越しの一歩

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深追いはしない

「『激戦の末、バディの高度な連携により、辛くも討伐に成功』って報告書に書こうかな」



 ——我ながら名文だ。



「三十秒だったけど」



 セリアは剣についた血を拭い、鞘へ収めながら淡々と言った。



「体感では激戦だった」


「…………」



 セリアはもう歩き出していた。

 ——反論する価値もないらしい。まあいい、今のは草案だ。

 ——いっそ「もっと難しいのを回してください」と書いてやろうか。迷宮に潜るまでに、やれることはやっておきたい。



 迷宮といえば……同行依頼の返事は、まだない。

 今朝ギルドで会った時も、迷宮の話は出なかった。私も出さなかった。

 連携だけが、順調だ。



 足元には、動かなくなった獣が横たわっている。

 ——斬られる前、アルミ玉越しに見えていた。自前の層に重ねられた、「殺意」の命令。鹿と、配線まで同じだった。継ぎ目が噛み合っていなくて、体が異物として拒んでいる。

 苦しがっていた。外せる、と思った。同時に、無理だ、とも思った。触れないと外せない。飛びかかってくる相手に、手を当てに行けるわけがない。

 セリアの剣が、先に入った。



 ——また、協会への報告に一行増える。



「……後付けの術式、最近やたら多い気がする」



 セリアの背中に向けて、独り言のように言った。



「しかも、刻んだ奴の癖が、鹿の時と同じ」



 セリアの足が、止まった。

 いや——止まったのは、一瞬だった。剣の鞘に手を添え直して、すぐにまた歩き出す。

 ——キリヤの言う通りなら、これは足跡だ。ギルドも、全ランクで単独受注を一時停止している。最近、明らかに物騒だ。

 手下が動いてるな。——深淵の牙か、別口か。

 足を速めて、横に並んだ。



「……考えても、斬るしかない」



 セリアの横顔が、いつもより硬い。目が、こちらを見ない。



 ふと、セリアの髪に木の葉が引っかかっているのが見えた。

 薄い金の髪に、枯れかけの緑が一枚。戦闘の時に飛んできたんだろう。

 ——取った方がいいな。無言で腕を上げた。

 セリアが、歩調を緩めた。

 指先がセリアの髪に触れる。——思ったより、細くて、冷たかった。

 葉を引き抜くと、髪が指の間を滑っていった。



「……何」


「葉っぱ」



 取った葉をひらひらと見せた。セリアが一瞬だけ固まる。

 唇が、きゅっと結ばれた。

 すぐに前を向く。



 ……なんでもないことなのに。このエルフ、葉っぱ一枚で固まるな。さっきまで魔物の血を平然と拭ってたくせに。

 分かっているから、反応をいちいち拾ってしまう自分が、前より、ちょっとだけ面倒くさい。

 指先に残った髪の感触を、意識の外へ追い出せなかった。



 街道に出てからも、昨日と同じように肩を並べて歩いている。

 空が広い。雲が高いところを流れていて、畑の上に影を落としている。風がぬるい。遠くで荷馬車の車輪が石を噛む音がした。



 ——はっきり「好き」と言われたわけじゃない。返事を求められてもいない。

 なら、こっちから動く必要はない。

 ……数十年で死ぬ相手のことを、なんでわざわざ好きになるんだろう。

 それに、もう一つ。

 「……あなたの、力」。昨日、言いかけて、「なんでもない」で切られた。兄の話の、すぐ後だった。あれは一体なんだったんだ。

 分からないことが多すぎる。

 歩くたび、懐に入れた薄い板が胸に当たる。今朝、二人で署名して受け取ったバディ登録証だ。一人一枚。裏は白紙。

 ……バディの証にしては、ずいぶん味気ない。



 王都の門を抜けた。



「……先に、用がある」



 セリアが短く言って、脇の路地へ折れていった。

 ……珍しいな。でも深追いはしない。お互いに必要以上のことは聞かないのが暗黙のルールだ。

 私は一人でギルドへ向かった。



 報告書を受付に渡した。討伐数、一。所要時間、三十秒。特記事項、なし。——後付け術式の件は、魔法協会案件としてキリヤへの定期報告に回す。

 日が落ちる前のギルドは、人がまばらだった。窓際の席が空いていたので、そこでエールを頼んだ。

 一口飲んだところで、正面の椅子が引かれた。



「ユズリハちゃん、おつかれ♡ 一人?」



 ミルシェだった。串焼きを二本持っている。

 奥のテーブルに、フィルとリコもいた。リコがこちらに気づいて、小さく手を振る。

 ミルシェだけが席を移してきて、返事をする前に正面に座った。串焼きを一本、こちらへ差し出してくる。

 一口だけもらって、返した。

 ……悔しいが、腹に染みる。



「ねえユズリハちゃん、今日の下着何色?♡」



 ——なんなんだよ、いきなり。



「答えない」


「じゃあ当てる♡ 白♡」


「……」


「無視した♡ ねえ当たった?♡」



 目を逸らした先のテーブルで、女の冒険者が三人、固まって喋っていた。



「キリヤンサス様、見ちゃった」


「え、魔法協会の? どこで?」


「裏手。すぐそこで。……なんか思いつめた顔しててさ。あれはあれでカッコ良かったぁ」



 顔の話はどうでもいいが。……キリヤ?

 協会の副支部長が、ギルドの裏手に。なぜ。

 まあ、ちょうどいい。協会に出す定期報告に書くつもりだった一行がある。口で言えば済む。



 ミルシェが串焼きを咥えたまま、顔を寄せてきた。



「ユズリハちゃん、私の下着はね——」



 最後まで聞かずに席を立った。ミルシェと反対の方へ歩いて、気がついたら裏口の前だった。



 裏口の戸を押した途端、足が止まった。

 ——キリヤと、セリアがいた。

 セリア……?

 反射的に、壁の陰に身を寄せた。心臓が一拍跳ねる。

 ……さっきの「先に用がある」は、これか。二人で何の話だ。

 胃のあたりが、少し重い。……エールが効いたらしい。

 建物の陰になった場所で、二人が向かい合っている。距離がある。

 セリアの背中が硬い。肩の位置が、ほんの少しだけ上がっている。

 風に揺れる髪の隙間から、セリアの横顔が一瞬だけ見えた。唇が、薄く結ばれている。

 ——ただの知人同士が出す空気じゃない。

 戻った方がいいか。邪魔をしないよう、来た道を戻ろうとした時だった。



 風向きが変わった一瞬、キリヤの声の断片だけが届いた。



「——ユズリハ君の力を——」



 踏み出しかけた足が止まった。

 ……私の話をしている。



「——殺さずに——」


「——協力——」



 セリアの声までは届かない。風に溶けてしまう。

 それでも、反応は見えた。キリヤの言葉が続く間、セリアは一度も動かなかった。

 やがて、セリアが一歩、後ろへ下がった。首を、横に振る。

 キリヤが何か言葉を足した。セリアの背中が、一瞬だけ揺れた。

 それから、もう一度、首を振った。さっきより、短く。

 分かるのは、キリヤが何かを持ちかけていて、セリアがそれを受け入れていない、ということだけだ。



 キリヤは、束ねた黒髪を風に遊ばせたまま、穏やかに微笑んでいる。断られた人間の顔には見えなかった。

 ——ぞっとした。



 ここにいるべきではない。下がろうとした足が、小石を蹴った。

 乾いた音が、建物の壁と壁の間で跳ねる。

 二人の声が、途切れた。

 考えるより先に身体が動いた。裏口から廊下へ滑り込む。

 ——見られたか。

 心臓が、耳の奥で鳴っていた。廊下の先の明かりだけを見て、歩いた。



 席に戻ると、ミルシェがまだいた。串焼きの串が、二本とも空になっている。



「おかえり♡」


「……ただいま。悪い、協会の報告があるから帰る」


「私の下着は黒だよ♡」



 聞いてないんだわ。

 勘定を置いて、今度は表から出た。エールは半分残した。

 ——口で済ませるつもりが、結局書くことになった。キリヤ宛の定期報告に、一行増える。「後付けの個体を確認。刻みの癖に一致あり」。

 夕暮れの大通り。石畳に、自分の靴音だけが妙に大きく響く。商人たちは店じまいを始め、人影もまばらだった。



 ——深追いはしない。さっき、自分でそう言った。

 なのに、頭が勝手に動いている。

 ……職業病だ。情報が目の前に並んだら、整理しないと気が済まない。前職の後遺症。



 靴が石畳を踏むたび、聞こえた言葉が勝手に並ぶ。

 「ユズリハ君の力」。「殺さずに」。「協力」。

 ——昨日の、「……あなたの、力」が頭に浮かんだ。

 私の力を使って、相手を殺さずに止める。前にキリヤ本人から、ほとんど同じことを言われている——「無力化、できるはずなんだ」。あの時は、相手に名前が付いていた。

 「殺さずに」……。

 ……トールにやったことを、もう一度やれとでも言うのか。



 分からないのは、なぜそれをセリアに持ちかけたのか、だ。私に言えば済む。現に、一度言われている。

 石畳を踏む音がひとつ、やけに大きく響いた。

 私を動かす前に、バディのセリアへ筋を通そうとしただけなら、話は分かる。ただ、段取りの相談を、あんなに長く黙って聞くだろうか。聞いた上で、二度も首を振るだろうか。

 セリアは兄を止めたいと言った。Sランクにこだわるのも、兄のためだと昨日認めた。先生は、Sランクになれば、魔族の出所や記録ごと消えた依頼の理由——その先にある情報の一部も、見られるようになると言っていた。

 じゃあ、セリアの兄は——

 そこまで考えて、いったん脇へ置いた。……確証はない。



 それより、引っかかることがある。

 キリヤが私の力を使う話を持ちかけて、セリアは結局それを拒んだ。

 ……「あの人の親切には、値札がついてる」。そう言っていた人だ。相手がキリヤだから断った、という線もある。

 でも、相手で断るなら、最後まで聞く必要はない。セリアは聞いた。聞いた上で、首を振った。

 なら、引っかかったのは話の中身だ。——その中には、私がいた。

 あの人は、私を使う話に、頷かなかった。

 ……理由は、分からない。分からないのに、胸の奥が、少しだけ熱くなった。

 嬉しいと思ってしまったことに気づいて、慌てて押し込んだ。

 セリアの事情へ深く踏み込めば、押し込みきれなくなる。

 ……迷宮の返事は、まだ来ていない。

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