深追いはしない
「『激戦の末、バディの高度な連携により、辛くも討伐に成功』って報告書に書こうかな」
——我ながら名文だ。
「三十秒だったけど」
セリアは剣についた血を拭い、鞘へ収めながら淡々と言った。
「体感では激戦だった」
「…………」
セリアはもう歩き出していた。
——反論する価値もないらしい。まあいい、今のは草案だ。
——いっそ「もっと難しいのを回してください」と書いてやろうか。迷宮に潜るまでに、やれることはやっておきたい。
迷宮といえば……同行依頼の返事は、まだない。
今朝ギルドで会った時も、迷宮の話は出なかった。私も出さなかった。
連携だけが、順調だ。
足元には、動かなくなった獣が横たわっている。
——斬られる前、アルミ玉越しに見えていた。自前の層に重ねられた、「殺意」の命令。鹿と、配線まで同じだった。継ぎ目が噛み合っていなくて、体が異物として拒んでいる。
苦しがっていた。外せる、と思った。同時に、無理だ、とも思った。触れないと外せない。飛びかかってくる相手に、手を当てに行けるわけがない。
セリアの剣が、先に入った。
——また、協会への報告に一行増える。
「……後付けの術式、最近やたら多い気がする」
セリアの背中に向けて、独り言のように言った。
「しかも、刻んだ奴の癖が、鹿の時と同じ」
セリアの足が、止まった。
いや——止まったのは、一瞬だった。剣の鞘に手を添え直して、すぐにまた歩き出す。
——キリヤの言う通りなら、これは足跡だ。ギルドも、全ランクで単独受注を一時停止している。最近、明らかに物騒だ。
手下が動いてるな。——深淵の牙か、別口か。
足を速めて、横に並んだ。
「……考えても、斬るしかない」
セリアの横顔が、いつもより硬い。目が、こちらを見ない。
ふと、セリアの髪に木の葉が引っかかっているのが見えた。
薄い金の髪に、枯れかけの緑が一枚。戦闘の時に飛んできたんだろう。
——取った方がいいな。無言で腕を上げた。
セリアが、歩調を緩めた。
指先がセリアの髪に触れる。——思ったより、細くて、冷たかった。
葉を引き抜くと、髪が指の間を滑っていった。
「……何」
「葉っぱ」
取った葉をひらひらと見せた。セリアが一瞬だけ固まる。
唇が、きゅっと結ばれた。
すぐに前を向く。
……なんでもないことなのに。このエルフ、葉っぱ一枚で固まるな。さっきまで魔物の血を平然と拭ってたくせに。
分かっているから、反応をいちいち拾ってしまう自分が、前より、ちょっとだけ面倒くさい。
指先に残った髪の感触を、意識の外へ追い出せなかった。
街道に出てからも、昨日と同じように肩を並べて歩いている。
空が広い。雲が高いところを流れていて、畑の上に影を落としている。風がぬるい。遠くで荷馬車の車輪が石を噛む音がした。
——はっきり「好き」と言われたわけじゃない。返事を求められてもいない。
なら、こっちから動く必要はない。
……数十年で死ぬ相手のことを、なんでわざわざ好きになるんだろう。
それに、もう一つ。
「……あなたの、力」。昨日、言いかけて、「なんでもない」で切られた。兄の話の、すぐ後だった。あれは一体なんだったんだ。
分からないことが多すぎる。
歩くたび、懐に入れた薄い板が胸に当たる。今朝、二人で署名して受け取ったバディ登録証だ。一人一枚。裏は白紙。
……バディの証にしては、ずいぶん味気ない。
王都の門を抜けた。
「……先に、用がある」
セリアが短く言って、脇の路地へ折れていった。
……珍しいな。でも深追いはしない。お互いに必要以上のことは聞かないのが暗黙のルールだ。
私は一人でギルドへ向かった。
報告書を受付に渡した。討伐数、一。所要時間、三十秒。特記事項、なし。——後付け術式の件は、魔法協会案件としてキリヤへの定期報告に回す。
日が落ちる前のギルドは、人がまばらだった。窓際の席が空いていたので、そこでエールを頼んだ。
一口飲んだところで、正面の椅子が引かれた。
「ユズリハちゃん、おつかれ♡ 一人?」
ミルシェだった。串焼きを二本持っている。
奥のテーブルに、フィルとリコもいた。リコがこちらに気づいて、小さく手を振る。
ミルシェだけが席を移してきて、返事をする前に正面に座った。串焼きを一本、こちらへ差し出してくる。
一口だけもらって、返した。
……悔しいが、腹に染みる。
「ねえユズリハちゃん、今日の下着何色?♡」
——なんなんだよ、いきなり。
「答えない」
「じゃあ当てる♡ 白♡」
「……」
「無視した♡ ねえ当たった?♡」
目を逸らした先のテーブルで、女の冒険者が三人、固まって喋っていた。
「キリヤンサス様、見ちゃった」
「え、魔法協会の? どこで?」
「裏手。すぐそこで。……なんか思いつめた顔しててさ。あれはあれでカッコ良かったぁ」
顔の話はどうでもいいが。……キリヤ?
協会の副支部長が、ギルドの裏手に。なぜ。
まあ、ちょうどいい。協会に出す定期報告に書くつもりだった一行がある。口で言えば済む。
ミルシェが串焼きを咥えたまま、顔を寄せてきた。
「ユズリハちゃん、私の下着はね——」
最後まで聞かずに席を立った。ミルシェと反対の方へ歩いて、気がついたら裏口の前だった。
裏口の戸を押した途端、足が止まった。
——キリヤと、セリアがいた。
セリア……?
反射的に、壁の陰に身を寄せた。心臓が一拍跳ねる。
……さっきの「先に用がある」は、これか。二人で何の話だ。
胃のあたりが、少し重い。……エールが効いたらしい。
建物の陰になった場所で、二人が向かい合っている。距離がある。
セリアの背中が硬い。肩の位置が、ほんの少しだけ上がっている。
風に揺れる髪の隙間から、セリアの横顔が一瞬だけ見えた。唇が、薄く結ばれている。
——ただの知人同士が出す空気じゃない。
戻った方がいいか。邪魔をしないよう、来た道を戻ろうとした時だった。
風向きが変わった一瞬、キリヤの声の断片だけが届いた。
「——ユズリハ君の力を——」
踏み出しかけた足が止まった。
……私の話をしている。
「——殺さずに——」
「——協力——」
セリアの声までは届かない。風に溶けてしまう。
それでも、反応は見えた。キリヤの言葉が続く間、セリアは一度も動かなかった。
やがて、セリアが一歩、後ろへ下がった。首を、横に振る。
キリヤが何か言葉を足した。セリアの背中が、一瞬だけ揺れた。
それから、もう一度、首を振った。さっきより、短く。
分かるのは、キリヤが何かを持ちかけていて、セリアがそれを受け入れていない、ということだけだ。
キリヤは、束ねた黒髪を風に遊ばせたまま、穏やかに微笑んでいる。断られた人間の顔には見えなかった。
——ぞっとした。
ここにいるべきではない。下がろうとした足が、小石を蹴った。
乾いた音が、建物の壁と壁の間で跳ねる。
二人の声が、途切れた。
考えるより先に身体が動いた。裏口から廊下へ滑り込む。
——見られたか。
心臓が、耳の奥で鳴っていた。廊下の先の明かりだけを見て、歩いた。
席に戻ると、ミルシェがまだいた。串焼きの串が、二本とも空になっている。
「おかえり♡」
「……ただいま。悪い、協会の報告があるから帰る」
「私の下着は黒だよ♡」
聞いてないんだわ。
勘定を置いて、今度は表から出た。エールは半分残した。
——口で済ませるつもりが、結局書くことになった。キリヤ宛の定期報告に、一行増える。「後付けの個体を確認。刻みの癖に一致あり」。
夕暮れの大通り。石畳に、自分の靴音だけが妙に大きく響く。商人たちは店じまいを始め、人影もまばらだった。
——深追いはしない。さっき、自分でそう言った。
なのに、頭が勝手に動いている。
……職業病だ。情報が目の前に並んだら、整理しないと気が済まない。前職の後遺症。
靴が石畳を踏むたび、聞こえた言葉が勝手に並ぶ。
「ユズリハ君の力」。「殺さずに」。「協力」。
——昨日の、「……あなたの、力」が頭に浮かんだ。
私の力を使って、相手を殺さずに止める。前にキリヤ本人から、ほとんど同じことを言われている——「無力化、できるはずなんだ」。あの時は、相手に名前が付いていた。
「殺さずに」……。
……トールにやったことを、もう一度やれとでも言うのか。
分からないのは、なぜそれをセリアに持ちかけたのか、だ。私に言えば済む。現に、一度言われている。
石畳を踏む音がひとつ、やけに大きく響いた。
私を動かす前に、バディのセリアへ筋を通そうとしただけなら、話は分かる。ただ、段取りの相談を、あんなに長く黙って聞くだろうか。聞いた上で、二度も首を振るだろうか。
セリアは兄を止めたいと言った。Sランクにこだわるのも、兄のためだと昨日認めた。先生は、Sランクになれば、魔族の出所や記録ごと消えた依頼の理由——その先にある情報の一部も、見られるようになると言っていた。
じゃあ、セリアの兄は——
そこまで考えて、いったん脇へ置いた。……確証はない。
それより、引っかかることがある。
キリヤが私の力を使う話を持ちかけて、セリアは結局それを拒んだ。
……「あの人の親切には、値札がついてる」。そう言っていた人だ。相手がキリヤだから断った、という線もある。
でも、相手で断るなら、最後まで聞く必要はない。セリアは聞いた。聞いた上で、首を振った。
なら、引っかかったのは話の中身だ。——その中には、私がいた。
あの人は、私を使う話に、頷かなかった。
……理由は、分からない。分からないのに、胸の奥が、少しだけ熱くなった。
嬉しいと思ってしまったことに気づいて、慌てて押し込んだ。
セリアの事情へ深く踏み込めば、押し込みきれなくなる。
……迷宮の返事は、まだ来ていない。




