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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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異文化

 ——一週間後。

 依頼の現場から王都への帰り道。

 朝に受けた討伐依頼は、予想より魔物の群れが大きかった。セリアが群れを崩し、私の蟲が逃げ道を塞ぐ。互いの死角を潰しながら一体ずつ仕留めて、正味一時間。推奨人数四名のAランク依頼なのに……。



 街道の一本道を歩いている。空は高く、雲の影が麦畑の上を滑っていた。風がぬるい。

 セリアが先を歩いている。



 一週間前のキスは、「異文化」で片付けた。セリアも、あれから一度もその話をしなかった。

 これで終わったはずなのに、セリアの横顔を見ると、柔らかくて少しだけ冷たい唇の感触が勝手に戻ってくる。

 ……やめよう。仕事のことを考えよう。

 討伐時間は、正直に一時間。ただし報告書には、「今回の結果を根拠に推奨人数を減らさないこと」と追記しておこう。私たちの連携を標準仕様にされたら、次に二人で受ける誰かが死ぬ。



 組み始めた頃とは、連携が別物になっている。

 この調子なら虚ろの迷宮も、もう遠い目標ではない。

 ただ、セリアと潜るなら、私が元の世界へ帰るためだと話さなければならない。

 考えかけて、もう一度切った。今じゃない。まだ早い。もう少しだけ。

 そう言い続けて、どれくらい経ったっけ。



 今度こそ、考えなくて済む話題を探した。



「そういえば、姪っ子か甥っ子がもうすこしで生まれるんだって」



 セリアが少しだけ顔をこちらへ向けた。



「……お姉さん、見つかったの」


「あ、こっちに来てすぐ見つかったよ。……ていうか、姉の話、覚えてたんだ」


「……覚えてる」



 話したのは、一度だけだったけど……。



「……生まれたら、会いに行くの」


「そりゃ行くよ。顔くらい見たいし。しばらくは姉ちゃんの家に通うことになるかもね」



 姉とエイランさんの子なら、地球人と異世界人のハーフになるのか。字面だけなら、とんでもなく壮大だ。

 どっちに似るんだろう。ミミかセンかは知らないが、きっと、かわいいんだろうな。

 ただ、ミミの方はかわいそうだ。自分の名前が「耳」から来ているなんて、知ったらどんな顔をするんだ。体の部位じゃねえか。

 ……いや、センは「栓」だ。どっちもかわいそうだった。



 セリアが前を向く。歩調が、ほんの少し緩んだ。



「……そう」



 声は小さかった。会話が途切れ、口の中が乾いている。

 水筒を腰から外して、栓を抜く。一口飲む。ぬるい水が砂っぽい喉の奥に染みる。

 いつの間にか、セリアが私と肩を並べていた。

 栓を閉めようとした瞬間、セリアの手が伸びてきた。

 ひょい、と水筒を抜き取られた。まるで自分の荷物を取り戻すような手つきだった。

 セリアは当たり前みたいな顔で、そのまま口をつけた。細い喉が一度だけ動く。

 ……は?



「……ちょっと、私の水筒」


「何か文句ある?」



 抑揚のない声だった。目だけは、すぐには逸らさなかった。

 何か文句ある、って言われても。他人の水筒を勝手に飲めば、文化を問わず文句くらい出るだろ。

 セリアはもう一口、ゆっくりと飲んでから、水筒を私に返した。



 返された水筒を受け取った。

 セリアの表情は変わらない。白金の髪の間から覗く耳の先だけが、ほんのり赤い。

 視線を落とす。セリアの腰には、自分の水筒がちゃんと下がっていた。



「いやいやいや。自分のあるじゃん。……なんで、わざわざ私のを」


「あなたが砂漠で死にかけてた時に、私のを与えたでしょ」



 ……その話を持ち出されると弱い。あの一杯がなければ、今ここにいない。



「……それは、そうだけど」



 セリアが顔を寄せてきた。声を落とす。



「キスした仲でしょ」



 ……いま、なんて言った。

 一週間、お互いに一度も出さなかった話だ。今日も、思い出しかけては仕事に逃げていた。

 それを、水筒一本の言い訳に持ち出された。



「は? それ今関係ある……?」



 水筒とキスが、頭の中で遅れて繋がった。

 ……まさか。水筒に口をつけるのを、間接キスとして数えてる?

 直接した仲なんだから、このくらい今さら——ってこと?

 セリアの顔を見た。



「……」



 黙るな。

 否定されないと、この推測が正解になってしまう。



「キスした仲って……そっちが勝手にしてきたんじゃん」


「……嫌だった?」


「嫌だったとは言ってない」


「……三秒もあった。跳ねのけなかった」



 数えてたのかよ。こっちは驚いて動けなかっただけだ。

 セリアは顔を背けた。耳は、もう髪の隙間でも隠せないくらい赤い。



 そのままセリアは先へ行く。私は水筒を握ったまま置いていかれ、慌てて追いかけた。

 「キスした仲でしょ」と「三秒もあった」が、頭の中で交互に再生される。

 一度キスした、ではなく——キスした仲。

 セリアは、今の私たちをそう呼んだ。

 胸の奥が、一瞬だけ冷えた。さっき切ったはずの考えが、また浮かびかけた。



 王都へ戻る頃には、日が傾き始めていた。東門を抜け、人通りの多い大通りを歩く。さっきまでの会話は途切れたままだった。

 別れ道で足を止める。



「じゃあ、また」


「……ええ」



 セリアは数歩進んでから、一度だけこちらを見た。視線は、私ではなく、腰の水筒に落ちた。

 さっき自分が飲んだから、栓が閉まっているか気になったんだろう。そう処理して、反対の道へ曲がった。



 夜。

 自室の机に安酒の瓶と干し肉の端っこを並べて、一人で飲んでいる。晩酌は、異世界に来てからも変わらない数少ない楽しみだ。

 先に、今日の依頼報告だけ片付けた。

 討伐時間、一時間。推奨人数、四名のまま。特記事項——今回の討伐速度は、同行者との連携を前提とした結果であり……。

 そこで、ペンが止まった。

 同行者。バディ。キスした仲。

 紙の上で、インクの黒い点がじわじわと育っていく。

 ……危ない。業務報告に何を書こうとしてるんだ、私は。

 慌ててペンを上げ、どうにか最後まで書き切った。



 一口あおって、視線が机の隅にある水筒に引っかかった。

 昼から一度も開けていない。セリアが口をつけてから。別に、避けてるわけじゃない。喉が渇いてないだけだ。

 ……嘘だ。酒のせいで今すごく渇いてる。水筒に手を伸ばした。栓を抜きかけて、止まった。飲み口をまじまじと見ている自分がいる。

 一秒。二秒。三秒。

 ……なんで数えてるんだ、私は。

 栓を戻した。代わりに酒を注いだ。水は明日でいい。



 それにしても、「キスした仲でしょ」って。

 一週間前は「不可抗力」と目を逸らしていた人が、今日はさも当然みたいに言った。

 セリアの方から、そんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかった。

 セリアとキスしたなんて言ったら、ギルドのファン連中は羨ましがるんだろうな。

 王都でも名の知れた冒険者。剣も魔法も桁外れで、黙って立っているだけで人が振り返る。

 そんな人と、キスした。

 異世界に飛ばされた時点で私の人生設計は壊れていたけど、誰がエルフとキスするところまで予想するんだよ。

 しかも、キスしてきたのはセリアの方だ。



 酒を持ち上げた手が、口元で止まった。



 ——異文化でしょ。異文化だから。問題ない。



 ……問題ないはずなのに、水筒が飲めない。



 酒を一口飲んで、ふと思った。

 そもそも、エルフにキスの文化ってあるのか。

 キリヤに相談した場合。

 笑顔は崩れない。崩れないまま「どうしてそれを僕に聞くのかな」と返され、場の空気だけが凍る。

 フィルに相談した場合。

 真顔で「何を言ってるんだ? それより次の任務は——」と返される。終了。

 ……相談先がない。

 かといって、本人に聞いた結果が「バディなら普通」だ。あの回答は、もう信用できない。



 酒を注ぎ足す。

 ……そもそも間接キスとは何か。同じ飲み口に唇が触れること。その定義なら水筒はそうだ。

 でも待て。ギルドの水場では、冒険者が全員、同じ柄杓で水を飲んでいる。

 この定義だと、ギルドの冒険者全員と間接キスしていることにならないか。

 ガルドとも。

 ガルドの顔が浮かんだ。

 酒を一気にあおった。脳を洗浄したい。

 ……定義が悪い。棄却する。間接キスは、この世界に存在しない。



 ……異文化、でしょ。



 瓶に直接口をつけた。もうコップに注ぐのが面倒だ。

 その横に、書き終えた今日の依頼報告の控えがある。Aランク。昼間は考えるのをやめた虚ろの迷宮が、また頭に浮かんだ。

 ……そろそろ、先生に虚ろの迷宮のこと相談しないとな。……ついでに、エルフの文化についても、一応。明日、ソロンのところに行こう。

 机に突っ伏した。硬い板が額に冷たい。



 ——異文化……。

 三回目。もう声にもならなかった。



 机の隅で、水筒がまだ栓をしたまま置いてある。

 そのまま、目を閉じた。


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