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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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不可抗力

 最近、セリアは敵と私の間に入り込もうとする。

 一度は言った。射線が塞がる、と。返ってきたのは「体が動いた。それだけ」で、話はそこで終わった。

 魔族に襲われた時は、私が魔力切れで動けなかった。あれは必要だった。でも、それからも、攻撃がこちらへ向くたびに前へ出る。連携の配置を崩してまで。

 このまま続けば、いつかセリアまで怪我をする。もう、様子を見る段階じゃない。



 ……今日は、もう一度言おう。



 依頼の帰り道。

 街道に出る手前の一本道を歩いている。木立の間を風が抜けて、木漏れ日が足元で揺れていた。人通りはない。梢の音と、二人分の足音だけ。

 セリアは私の先を歩きながら、こちらに速度を合わせている。

 白金の髪が風に揺れるたび、尖った耳の先が見え隠れする。

 依頼を重ねるうち、セリアの間合いや呼吸は、言葉がなくても読めるようになった。



「報酬の配分、前回と同じでいい?」


「……任せる」


「前回の、セリアの取り分少なかったよね。前衛の方が装備の消耗激しいし、六対四くらいにしないと——」


「……いらない」


「いらないって。実際セリアの剣の方が——」



 セリアは取り合わない。報酬の話になると、いつもこうだ。——まあいい。後でこっそり上乗せしておけば済む。



「ていうかさ……今日の最後の一匹、また私の前に出たでしょ。前にも言ったけど、あれ、やめてよ。セリアまで危ないから」



 セリアの歩調が、わずかに落ちた。



「……間に合った」


「何が」


「私が前に出た方が、早かった」


「そういう問題じゃないでしょ。あれくらい避けられたって。セリアが前に出なくても、ちゃんと対処できたよ」


「……避けられなかったら?」


「その時は、ちょっと怪我するくらいでしょ」


「……怪我?」



 ちょっと怪我する、の一言にまで食いついた。最近のセリアは心配性が進行している。でも、かすり傷まで数に入れるのは、さすがに行きすぎじゃないか。



 軽く笑って、肩をすくめた。



「……笑いごとじゃない」


「笑ってないって」


「……笑ってる」


「だって、ちょっとの怪我くらいで心配しすぎでしょ」



 セリアは何も言わない。歩調だけが、また少し落ちた。まだ納得していないらしい。



「次は、守ってもらわなくてもいいよ。庇われないと戦えないなら、セリアのバディにはふさわしくないし。——まあ、私一人くらい消えても、セリアなら——」



 セリアの足が、止まった。

 私は勢いのまま、二歩ぶん先へ出た。



「——え? どうした——」



 振り返った瞬間、襟元を掴まれた。

 ぐいと引き寄せられ、顔が上を向く。セリアが、すぐ目の前にいた。



 ——近っ。

 口を開きかけた——その瞬間、セリアが身を屈めた。

 唇に、セリアの唇が触れた。



 思考が止まった。



 最初に届いたのは、匂いだった。

 前を歩くセリアから、いつも微かに流れてくるやつ。何の匂いかは分からない。それでも、嗅げば一発でセリアだと分かる匂い。——九層で抱き寄せられた時より、ずっと近い。

 白金の髪が、視界に流れ込んできた。さらりと頬にかかる。木漏れ日を透かして、一本一本が薄い金に光っていた。

 目を閉じている。長い睫毛の先が、微かに震えていた。

 唇は——柔らかくて、薄くて、少しだけ冷たかった。

 襟を掴んだ指が、布越しに小さく揺れていた。

 息の仕方を、忘れていた。



 三秒。



 唇が離れた。

 セリアが、互いの顔が見えるところまで身を引いた。

 赤い目が開いた。こちらを見ている。——壁がない。いつもの冷たさが、どこにもない。

 一秒。二秒。

 ——壁が戻ってきた。ゆっくりと。瞳に氷が張るように。



 ……脳が追いついていない。

 唇にはまだ感触が残っているのに、目の前のセリアは、もう何食わぬ顔を作り始めている。

 二人とも、森の一本道に立ち止まったままだった。梢の音だけが降ってくる。



「……は? 何しちゃってんの」



 我ながら声が平坦だった。人間、驚きのメーターが振り切ると逆に棒読みになるらしい。

 セリアは答えなかった。目を逸らして、一歩だけ横にずれた。道の端に寄るように。耳の先が赤い。



「……不可抗力」



 ……不可抗力。地震、台風、落雷、隕石。そういう時に使う言葉だ。

 「森で振り返ったらバディにキスされました」は、どう頑張っても天災の仲間には入らない。



「不可抗力でキスする人いる?」


「……いた」



 いたって言われた。

 ……それ自分のことだろ。



「いないでしょ」


「……バディなら普通」



 言い訳が変わった。不可抗力から、バディの慣習へ。説明するたびに原因が変わるやつは、大抵、本人が一番事態を分かっていない。

 セリアの目が、ほんの一瞬だけ泳いだ。

 唇へのキスは、普通、恋愛対象にするものだ。少なくとも地球では。

 ——「普通は、数十年かけて相手を見極める」

 ——「だから人間とは合わない」

 前に、セリア自身がそう言っていた。

 数十年かけて見極めるはずのセリアが、その何十分の一も一緒に過ごしていない人間に。

 ……なんでキスした。



「……バディなら普通なの? 本当?」


「……普通」



 セリアの声が、ほんの少しだけ上ずった。

 耳が赤い。さっきより赤い。

 ……「普通」のことを話している人の耳は、普通、赤くならない。



「……ふうん」



 喉まで出かかった言葉を、そのまま飲み込んだ。

 セリアが二歩進んだところで、足を止めた。振り返らない。



「……前に、言った」


「何を」


「死なずに帰ってきたら、褒めてあげる、と」



 平坦な声だった。



「……それ、ずいぶん前の話だよね」


「……今、褒めた」



 死なずに帰ってきたことを、今? キスで?

 ——「私一人くらい消えても」なんて言った私に、死ぬな、と。……そういうこと?



 それだけ言って、セリアが歩き出した。何事もなかったように先を行く。

 ……切り替えが早い。私は二秒遅れて、その背中を追った。

 今さら、しかもこのタイミングで、あんな古い約束を引っ張り出してくる。言い訳として、ど下手だ。下手すぎて——逆に、嘘には聞こえなかった。

 ……いや、ここは異世界だ。エルフには、バディにキスする文化が本当にあるのかもしれない。私が知らないだけで。

 ——異文化。

 そう片付けたのに、上ずった声が、何度も頭に浮かんだ。

 足元の小石を蹴った。乾いた音を立てて、道の端へ転がっていった。



 しばらく無言で歩いた。これ以上、さっきの話を続ける気にはなれなかった。

 ふと気づくと、セリアが隣を歩いていた。肩が、時々触れる。

 いつの間に並んだんだ。触れるたび、肩の布越しに微かな感触が通る。意識が勝手にそこに引っ張られて、落ち着かない。



「……肩、当たってるんだけど」


「……そう」


「そう、じゃなくて」


「…………」



 離れない。理由も言わない。

 不意に、セリアの手が伸びてきた。私の前髪を、そっと耳にかける。指先が額を掠めた。

 指が離れた。目が合った。セリアが、先に逸らした。



「……何」


「……邪魔だったから」



 髪のことか? 前髪は目にもかかっていなかった。

 ……何が邪魔だったんだよ。どういう心境?

 セリアの指の冷たさだけが、額にまだ残っていた。



「あの……この距離のまま、歩くの?」


「……だめ?」



 問い返す声が、いつもより弱かった。



「いや。確認しただけ」



 東門をくぐると、人通りが一気に増えた。セリアはすっと先へ出て、耳の赤みも消えた。

 ギルドの扉を押す。剣を帯びた冒険者、掲示板の人だかり、革鎧の匂い——見慣れたロビーだ。

 セリアが壁際に収まった。腕を組んで、壁にもたれる。

 何気なく、その横顔を見た。目が、唇で止まった。

 薄い唇が、静かに閉じている。

 ……あれが、さっき、私の唇に触れてたんだよな。

 ……何を反芻してるんだ、私は。

 セリアの赤い目が、こちらを向いた。目を引き剥がす。



 カウンターで報告を済ませ、ロビーへ戻ると、ミルシェが壁際のベンチにいた。セリアから三歩も離れていない。

 依頼書を広げていたが、目がこっちを向いている。……絶対、待ち構えてただろ。



「ユズリハちゃん、おかえり♡」


「おっす……なんか久しぶりな感じする。いつからいたの」


「ちょっと前から♡」


「フィルとリコは? 最近、見ないけど」


「二人なら依頼♡ 私は今日、お留守番♡」


「そっか。元気ならいいや」


「フィルがユズリハちゃんのこと羨ましがってたよ♡」


「……なんで?」


「Aランクの依頼を受けたいんだって♡ もっと刺激が欲しいって。……ほんと、死に急いでるよね♡」



 ——「代わってほしいくらいだよ」。前に、そう言われたことがある。

 刺激欲しさに危険へ寄っていくフィル。かすり傷の可能性だけで私の前へ出るセリア。二人の危機感を足して二で割れば、ちょうどいいのに。

 ミルシェの視線が私を通り越した。壁際のセリアを、じっと見ている。



「ねえ、セリアンディエル様♡ 耳、赤いよ。何かあった?♡」



 名前を呼ばれ、セリアが壁にもたれたまま、顔だけをこちらへ向けた。

 確かに、耳の先が赤い。門をくぐった時には消えていたはずなのに。

 問いかけられたのはセリアなのに、心臓が一つ跳ねた。

 セリアの顎が、少し上がった。



「……何もない」


「ふうん♡」



 ミルシェの目が、こちらへ戻った。

 ……こっちを見るな。キスされたなんて言えるわけがない。私は掲示板へ視線を逃がした。

 ミルシェは何も言わず、またセリアへ視線を戻した。

 ふと気づくと、指が自分の唇に触れていた。いつから当てていたのか、覚えがない。

 慌てて下ろした。ミルシェはまだセリアを見ていた。……セーフだと思いたい。



 ミルシェが手招きした。屈むと、潜めた声が耳にかかった。



「ユズリハちゃん、なんかセリアンディエル様の匂いする♡」



 肩を触れ合わせて歩いた。髪にも触られた。でも、移るほどだったか?

 考えるより先に、頬にかかった髪と、震えていた睫毛が浮かんだ。

 ……一日一緒にいたんだから、当たり前だろ。そう返すつもりだった。

 口が動かなかった。

 代わりに、壁際から低い声が飛んできた。



「……凍らされたいの」



 ……囁いたのに、聞こえたのか。

 ミルシェは笑顔を崩さない。声だけ、もう少し落とした。



「ミルシェもユズリハちゃんとバディ組みたかったな♡」



 ……ミルシェって、自分のこと名前呼びだったっけ。

 思わず、まじまじと見た。



「……ミルシェは誰かとバディ組まないの?」


「パーティはあるけど♡ 組むならユズリハちゃんじゃなきゃ嫌だもん♡」



 一拍遅れて、ミルシェが首を傾げた。



「……なんてね♡」



 ミルシェは笑顔を崩さないまま、こちらを見上げていた。

 いつもと同じ笑顔のはずなのに、なぜか冗談には聞こえなかった。



 ギルドを出た。

 夕暮れの通りを歩く。露店が片付けを始めている。オレンジ色の光が石畳を染めて、人の影が長く伸びていた。

 セリアが、私の先を歩いていた。

 ……人の匂いって、そんなに移るものなのか。

 襟元に鼻を寄せた。ほんのり甘い。——って、通りのど真ん中で何をやってるんだ。慌てて顔を戻した。

 ……いい匂いだ。



 唇の感触は、もう消えていた。

 代わりに、あの匂いだけが、まだ離れない。



 前を歩くセリアの背中を見ている。白金の髪が夕日に透けて、縁だけが金色に光っていた。

 耳の先は、もう元の色に戻っている。



 次に会う時も、入口脇の定位置で、腕を組んで待っているんだろう。

 何事もなかった顔で、いつも通りに。

 ……でも私はもう、それをいつも通りには見られない気がした。

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