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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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規格外

 この世界で、私を下の名前で呼ぶ人は少ない。

 ソロンは「アオイ」、姉は「蒼」、義兄のエイランさんは「アオイさん」。それだけだった。

 ——昨日、そこに一人、増えた。

 セリアの「アオイ」。

 ……いや、数に入れなくていい。あれは気まぐれだ。三体目が来て、とっさに、短い方の名前が口をついて出ただけ。

 なのに、その一回で、なぜか姉の顔が浮かんだ。

 だから、なのかもしれない。翌朝、用もないのに、ギルドへ行く前に足が姉の家へ向いていた。

 昨日のことは話さない。魔族三体と戦いましたなんて言ったら、姉は三日寝込む。

 門をくぐると、庭木がきれいに整えられていた。相変わらず、私の宿の部屋が丸ごと入りそうな玄関だ。

 水やりをしていたメイドさんが顔を上げて、私を見るなり目を丸くした。



「まあ……! お久しぶりです。今、お呼びしてきますね」



 じょうろを置いて、小走りで奥へ入っていく。

 玄関先に一人残された。

 ……居候していた頃は、勝手に上がって勝手に皿を洗っていたんだけどな。取り次いでもらう側になるのは、どうにも落ち着かない。

 しばらくして、姉が出てきた。



「蒼! 久しぶりだねぇ、たまには顔見せてよ。心配してたんだから」



 言いながら近づいてくる姉の腹が、大きくふくらんでいた。

 思わず、足が止まった。

 ……いつの間に。

 遅れて、書斎の方からエイランさんが出てきた。



「あ……えっと、これは……おめでとう、ございます……?」


「久しぶりだね。……ああ、順調だよ。もう少ししたら生まれるかな」



 エイランさんが嬉しそうに言う。姉は照れくさそうに、お腹をさすっている。



「女の子ならミミ。男の子ならセンにしようと思うの」


「へえ。どっちもいい名前じゃん」



 ——……ちょっと待て。

 ミミ。セン。耳栓じゃねえか。

 姉に「妊活中なの」と耳栓を渡された、あの夜が脳裏に蘇った。

 これ、狙ったわけじゃないだろうな? ……絶対狙ってるだろ。ネーミングセンスを疑う。姉の笑顔を凝視した。

 どっちが生まれても、耳栓の片割れとして人生を始めることになる。

 将来、「どうしてこの名前にしたの?」と聞かれたら、何と答えるつもりだ。

 ——あなたを作る夜、叔母さんに渡したものから取りました。

 言えるわけないだろ。墓まで持っていけ、その由来。



 ——ともあれ、私はもうすぐ叔母になるらしい。

 実感は、まだ湧かない。この世界で生まれてくる子だ。私は今も帰るつもりなのに、姉の家族は、この世界で増えていく。

 気づけば、生まれたら知らせてよ、と言っていた。

 立ち話もなんだからと居間へ通され、茶を一杯飲んで帰ろうとしたところで、エイランさんが「そうだ、紹介したい人がいる」と書斎へ声をかけた。

 もう一人、出てきた。

 白髪交じりの髪を緩く流し、銀縁眼鏡の奥で淡い色の瞳を柔らかく細めている。茶でも勧めてきそうな、穏やかな笑みだった。

 ……誰だ、この人の良さそうなおじさん。



「この方はアシルさんだ。騎士団から資料を届けに来てくださってね」


「お久しぶりですね、ユズリハさん」



 お久しぶり、と言われて。眼鏡の奥の目を見て、一秒遅れて記憶と一致した。

 ——ああ。あの時の、クソ野郎だ。

 窓のない石牢に、白銀の刺繍が入った黒いロングコートで現れた男。二人の衛兵を従え、革手袋の手で私の顎を掴み、羊皮紙を突きつけた尋問官……。

 あの時は、硝子みたいに無機質な目で私を眺めていた。それが今は、同じ眼鏡の奥に柔らかい皺まで寄せている。

 ——騎士団の黒いコートには、表情筋を封印する呪いでもかかっているのか。



 エイランさんによると、アシルさんは尋問官を続けながら、学術院へエルフに関する古い文献を提供しているらしい。二人は、その仕事で繋がっている。

 言い分は分かる。当時の私は素性の知れない闖入者(ちんにゅうしゃ)で、あれが仕事だったんだろう。頭では分かる。

 でも、あの牢での惨めな夜は、まだ一つも忘れていない。

 姉の夫の仕事相手に恨み言をぶつけるわけにもいかず、笑顔で茶を飲んだ。

 聞けば、この茶葉はアシルさんの手土産だという。……道理で、いい茶だ。

 遠慮なく、おかわりした。しょうもない復讐なのは分かってる。それでも、三杯飲んだ。



 姉の家を出て、昨日の報酬を受け取りにギルドへ向かった。露店の親父が声を張り上げ、荷馬車が石畳を軋ませる。剣を腰に帯びた冒険者とすれ違う。見慣れた朝の道なのに、今日は少しだけ足取りが軽い気がした。

 ギルドに着くと、セリアが入口脇の定位置で、腕を組んで壁にもたれていた。



 その姿を見た瞬間、声が蘇った。

 ——アオイ。

 セリアは視線を合わせないまま、先に扉を押した。



 中は朝から混み合っていた。武装した冒険者が依頼ボードの前に群がっている。革鎧の匂い。干し肉を齧る音。窓際のテーブルでは三人組が地図を広げて何か揉めている。

 三人組。——そういえば、最近会ってないな。ミルシェ、フィル、リコ。みんな、どうしてるんだろう。

 セリアが私のすぐ隣についた。次の依頼を探すのは私の役目。こだわりがないのか、任せた方が早いと思ってるのか。

 受付に向かうと、メリルが営業スマイルで迎えた。



「ユズリハさん、おはようございます。昨日の報酬が確定しております。それと、次もAランク依頼をお考えですか?」


「えっと、今日は見るだけで……」



 高難度の依頼を連日受ければ、身体を壊す。ほどほどに休んでほどほどに働く。給料換算すれば前職よりも倍は稼いでいる。セリアのおかげだけど。悪くない労働環境だ。魔法協会からの空気の読めない着信さえなければ。



「承知しました。……あ、それと」



 メリルが掲示板の隅を指した。新しい告知が貼ってある。

 「全ランクにおける単独での依頼受注の一時停止」。



「D・Eランクにも拡大されました。低ランク帯でも魔物の出現数が増加しているとのことで」


「今まではCランク以上だったのに……」


「はい。初心者エリアの安全も確保できなくなったと……」



 初心者エリアまで?

 そこすら安全じゃないなら、駆け出しの新人はどうするんだ。

 ……けど、セリアとバディの私には実害がない。依頼書に目を通した。



「……ユズリハさん。余計なことかもしれませんが」



 メリルが声を落とした。営業スマイルが、一瞬だけ外れた。



「このところ、Aランクばかりですね。……どうか、お気をつけて」


「大丈夫です。セリアがいるし」


「……そう言って、戻らなかった人を何人も見ました。ランクは、飾りではありません」



 メリルはそこで口を閉じ、営業スマイルを戻した。

 候補にした依頼書をメリルに返し、代わりに報酬の入った革袋を受け取った。

 中身を確かめたところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。



「ユズリハさん。……少し、よろしいですか」



 セリアガチ勢のヴィーナだった。前に会った時とは違い、今日は神妙な顔だった。そのまま、頭を下げる。



「あの時の非礼を、お詫びします。……セリアンディエル様に選ばれただけの、運のいい人だと思っていました」



 ヴィーナが顔を上げた。まっすぐこちらを見ている。唇が、固く結ばれていた。



「あの後、あの方に直接お願いしました。解消して、私と組んでくださいと。……断られました」



 知らぬ間に頼んでたのかよ。



「ソロ規制の穴埋めなら、誰でもよかったはずです。あの方は人間と組まない。組まざるを得なくなって、たまたま隣にいたのがあなただった。……そう思っていました」


「うん。私も、そう思ってる」


「バディは、片方が望めば解消できます。あの方は、していません。私を断ってまで」



 ヴィーナが、一度だけ息を吸った。



「Bランクのまま、Aランク依頼をいくつも。守られているだけでは、そうはなりません。……あの方が隣に置き続けている理由が、やっと分かりました。規格外なのは、あなたの方だったんですね」



 ……褒められてる。セリアガチ勢の厳正な審査に、ようやく通ったらしい。

 でも、昨日の魔族三体だって、私が倒したのは一体だけだ。最初の一体と、全力を使い切った私を狙ってきた三体目を仕留めたのはセリア。——二人で出した結果だ。

 魔族は人間より強い。魔法も使うし、こっちの狙いまで読んでくる。そんなのを三体。昨日、受付の手が止まるわけだ。

 ——まあ、私が倒した一体は、頭を使うより自分語りに忙しい男だったけど。



「……これからは、応援させてください。それで、あの、セリアンディエル様は普段——」


「……行こう」



 セリアが私の手を掴んだ。そのまま出口へ引かれる。



「ちょ、セリア」


「セリアンディエル様が……ユズリハさんの手をっ……!」



 振り返ると、ヴィーナがその場に膝をついていた。

 謝罪から崇拝への戻りが早い。人の手を引いただけで、崩れ落ちないでほしい。



 手を引かれたまま、出口へ向かう。その途中で、掲示板の前に不自然な空間があるのに気づいた。

 人が一人分、ぽっかり空いている。その周りだけ、人の足が避けていく。

 中心に、少年が立っていた。

 頭に布を巻いている。側頭部が、そこだけ不自然に盛り上がっていた。赤い目。依頼書を見上げ、手を伸ばしかけては引っ込めている。

 冒険者の一人が、連れの肩を掴んで小声で囁いた。



「……おい、角。あれ魔族だろ。なんで——」


「特例だとよ。元は人間で、もう人は襲わないとか何とか。……手ぇ出すな、処分食らう」


「……あの目ぇ見て信じろってのかよ」



 ——知ってる。あの角も、あの背丈も。

 トールだ。

 心臓が、一つ跳ねた。

 ……冒険者が当たり前にいる場所に、角を持った少年が一人で立っている。

 立ち止まった。引かれていた手が、するりと抜ける。

 ——次の瞬間には、トールの方向へ足が出ていた。考えるより先に。

 ロビーを横切る。さっきの囁きが止まり、周囲の視線が一斉に集まった。全部まとめて無視した。

 ——知り合いに声をかけるだけだ。



「トール」



 少年が振り返った。

 赤い目が見開かれる。



「ユズリハ……さん?」



 声が震えていた。

 あの日と同じ赤い目だった。でも、今は——ちゃんと、人間の目でこちらを見ている。



「元気?」



 自分でも驚くくらい、普通の声が出た。

 トールの肩から力が抜けた。ほんの少しだけ。

 手を見た。指先が汚れている。爪の間に土が詰まっている。——まだ、細い手だ。



「は、はい。冒険者見習いを、始めました」


「見習い?」


「……この体になってから、魔力だけは、強くなったので」



 喉の奥が、詰まった。

 魔法を覚えたいと言っていた子だ。小石が五ミリ浮いただけで、ユーゴが才能あるって騒いでいた。願いは、最悪の形で叶った。



「ユーゴさんが……なりたかったものに、なろうと思って」



 ——ユーゴ先生。あの広場で、そう呼ばれるたびに照れて笑っていた。

 ——聞こえたか、ユーゴ。



「……そっか」



 それしか言えなかった。

 トールが、深く頭を下げた。



「あの時は……ありがとう、ございました」



 声が、揺れていた。

 あの日、トールの口から出たのは謝罪だけだった。礼を言ったのは、母親だった。

 あの選択が正しかったのか、ずっと分からなかった。ユーゴは死んだ。トールの体は戻せなかった。何も完璧じゃなかった。でもこうして本人からのお礼を聞くと——

 鼻の奥が痛い。



「……元気でやんなよ」



 声が掠れた。



「にしても、よく登録が通ったね」


「キリヤさんが、推薦状を書いてくれました。特例登録、だと」


「そうなんだ」


「はい。……あの後、協会本部から人が来たんです。村の結界を調べたり、俺の体を診たりして。殺意が戻っていないか、何度も確認されて。その記録もあったから、認められたみたいです」



 ——本部が動く話になる。あの日、キリヤはそう言っていた。推薦状を書き、その記録で道を通す。……あの人らしい。



「まだ低ランクですけど……あの、組んでくれる人を、探してて。少しずつ、やっていきます」


「うん。無理しないでね。あ、受付のメリルって人、ランクで態度変わるから。何か言われても、気にしなくていい」



 言いたいことは他にもあった。でもここで長く話しても、トールに余計な視線が集まるだけだ。

 トールが小さく頷いた。布の下で、角が揺れた。

 背を向けて、離れた。振り返らなかった。



 少し離れた場所で、セリアが腕を組み、私とトールを交互に見ていた。

 視線が合うと、耳が小さく動き、すっと目を逸らした。

 その隣まで戻った。



「……知り合い?」


「うん。前に助けた子。……魔族になった体は、元に戻せなかったけど」



 セリアの視線が、掲示板の方へ向いた。



「……感謝してた」


「……そうなんだよね」



 口にしたら、もう少しだけ漏れた。



「助けるだけなら良いのに、私の力が魔の始祖への対抗手段になるかもしれないって、キリヤさんに言われちゃってさ」



 セリアの赤い目が、わずかに見開かれた。



「後から刻まれたものを外せるなら、魔の始祖も無力化できるかもしれないって」



 セリアの指が、剣の鞘を握った。



「……まあ、理屈の上では、だって。こっちはそんな大役、引き受けた覚えないんだけどね」



 笑ったつもりだった。でも、声は思ったより軽くならなかった。



「……怖いの?」


「そりゃ怖いよ。魔族がいるかもしれないってだけで遺書を置いてきたのに、その大元なんて考えたくもない」


「……一人で行かないで」


「まだ行くとも決めてないけど」


「……決めても、私に言って」



 ——まただ。

 バディが危険なら心配する。それ自体は分かる。私だって、セリアが危なければ心配する。

 最初は私を戦闘に参加させようとしていた。それが今は、危ない相手ほど後ろに置こうとする。

 昨日だって、戦いが終わってから、片腕で抱き寄せたまま、すぐには離さなかった。そして今は、「一人で行かないで」。

 一つだけなら、バディだからで済む。でも、ここまで続けば、傾向として扱うべきだ。

 ——セリアの心配性が、進行しすぎている。



 返事はできなかった。セリアも、それ以上は言わなかった。



 ギルドを出ると、昼前の通りは人が増えていた。セリアが先を歩いている。

 食堂の窓から湯気が上がっている。どこかの子供が走り回って、母親に叱られている。日常だ。

 パン屋の前を通った。焼きたての匂いが風に乗ってくる。昼は少しいい方を買おう。

 ——初心者エリアすら安全じゃなくなった、と貼り紙にはあった。この匂いの立つ通りが、いつまで、こうしてあってくれるのか。



 トールの「ありがとう」と、セリアの「一人で行かないで」が、どちらも耳の奥に残っていた。

 ——守りたいものがあるやつは強くなれる。

 畑の柵の前で、ユーゴがトールに言った言葉をふと思い出した。

 守る、か。……柄でもない言葉だ。そう思うのに、なぜかすぐには、手放せなかった。


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― 新着の感想 ―
ミミセンってwww 寝る前に読むべきではなかった、爆笑して目が覚めましたわw 魔族に襲われそうだった件と遺書という言葉を聞いて、これからセリアの過保護は更にエスカレートしそうですねぇ 執着深いだけ…
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