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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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ノイズ

 巡回から戻った翌日、ソロンの家に寄った。

 背嚢の底から、あの魔導書を取り出す。



「先生、これ。街道の道標の裏に隠してあった」



 ソロンが受け取って、頁をめくった。古い術式記法を指でなぞっている。

 こういうものを調べるなら、ソロンの目が要る。



「これ、読めます?」


「読める。——読めるが」



 ソロンの指が止まった。



「……お主、中身は読んだのか」


「読みました。永久体毛除去。部位を選べない全身一括仕様で……髪も眉も睫毛も、まとめて」



 ソロンが黙って魔導書を閉じた。

 私の顔を見た。魔導書を見た。もう一度私の顔を見た。



「……古代の魔導士は偉大だが、時に正気を疑う」


「売れますかね」


「……記法そのものには価値がある。中身に価値があるとは言わん」



 ソロンが再び頁を開いた。装丁をひっくり返し、背表紙を確かめる。眉間の皺が深くなった。



「起動条件の記述がない」


「らしいですね。書いた人、詰めが甘いというか」


「他人事のように言うな。何を引き金に発動するかも分からん術式を、後生大事に持ち歩いておったのか」


「え。まあ……売れたら嬉しいなと」


「条件が分からんということは、いつ引かれるかも分からんということだ。道中で満たしていたら、どうする気だった」


「その時は諦めて、帽子を探します」


「お主はそれでいいだろうが、バディの御方はどうなる! セリアンディエル様だぞ。王都でも名の知れた、あの高貴なお方の髪に万一のことがあってみろ」


「……あれ。私の心配は?」


「『帽子を探す』のだろう」


「抜けても、先生ほどの魔法使いなら、生やしてくれるでしょ」



 ソロンが、一瞬詰まった。



「魔法で育毛など不名誉だ!」


「え、でも、弟子のために努力する姿は美しいと思いますよ」


「育毛にわたしの人生の最後の努力を注がせるな!」



 力いっぱい言い切ってから、ソロンは長い咳払いをした。賢者の威厳が、数秒だけ留守になった。



「これは置いていけ」


「え。要るんですか」


「要らん! ……要らんが、いつ発動するとも知れんものを、お主のように運の悪い者に持たせておく方が危険だ。預かって、起動条件を調べておいてやる」


「じゃあ、調べて売り物になったら、山分けでお願いします」


「こんな危険なもの売り出してたまるか」



 魔導書はソロンの書架に収まった。棚に置く手つきだけは、最後まで汚いものを摘むようだった。

 帰り道、背嚢が軽かった。冊子一冊分より、ずっと。



 ——一週間後。



 セリアが先を歩いている。白金の髪が背中で揺れている。木漏れ日が髪を透かすたびに色が変わる。白、銀、薄い金。

 やっぱり綺麗だな。

 ——ウィッグにしたら、いい値がつくだろうな。あの魔導書より、確実に。

 ……あれを先生に預けて、本当に良かった。この髪が抜けたら、もったいなさすぎる。



 今日の依頼は、王都の東で目撃された大型魔獣の討伐。街道沿いの集落が被害を出し始めたので、早めに叩いてほしいとのことだった。Aランク指定。

 森に入って二時間。会話は必要最低限。セリアは一度も振り返らない。

 歩く速度は私に合わせているのに、並ぶことはなかった。髪も、いつものように下ろしている。



 地図を確認しようとポケットから紙を取り出した。目撃地点は、もう少し先だ。

 顔を上げると、セリアの足が止まっていた。

 こちらを見ている。——いや、見ていない。

 目の焦点が合っていない。私を通り越して、もっと遠くを見ている。

 つられて背後を振り返った。木々と、下生えと、来た道が続いているだけ。魔物の気配もない。

 ——何もない。なのに、見ている。



「セリア」



 名前を呼んだら、視線が戻ってきた。一拍、遅い。



「……何でもない」



 ——まだ何も聞いてないんだけど。



 セリアが歩き出す。私もついていく。



 しばらく歩いたあたりで、気づいた。

 セリアの立ち位置が安定しない。さっきまで先を歩いていたのに、いつの間にか私のすぐ横にいる。腕が触れそうな近さ。かと思えば、急に離れる。また近づく。また離れる。

 ——おかしい。前の巡回とは違う。



「……さっきから、やけに近くない?」


「……風向き」


「それ、前にも聞いた」



 セリアの歩みが、一瞬だけ乱れた。



「……この地域は風が変わりやすい」



 同じ質問に、同じ答え。しかも今日も無風。

 戦闘力はAランク以上なのに、嘘のスキルはFランクかな。

 ——でも、隠しているのは悪意じゃない。悪意なら、もっとうまくやる。

 ——索敵か。

 そういえば、さっきから耳が小さく動いている。右に、左に、落ち着きなく角度を変えている。

 私には聞こえない何かを、あの耳が拾っている。脅威の方向が変わるたびに、位置を調整しているのだろうか。

 ——だったら、言ってくれればいいのに。



 足元に、深く抉れた蹄の痕があった。

 幅は私の手のひらより大きい。太い木の幹が根元からへし折られている。断面がまだ新しい。

 ——でかい。相当でかい。

 セリアの目が変わった。手が剣の柄にかかる。

 さっきまで落ち着かなかった動きが、嘘みたいに消えた。



 茂みが裂けた。

 大型の魔獣だった。体高は私の背丈を超えている。猪に似た体格だが、二本の牙が角のように反り上がり、全身が岩のような甲殻に覆われている。赤い目が薄暗い森の中でぎらぎら光っていた。

 ——Aランク指定は伊達じゃない。こりゃやばい。

 アルミ玉を握った。動く相手の術式を読むのに、余裕はない。全部は見ない。後付けの継ぎ目があるかどうか、そこだけ——ない。生まれつきの個体だ。



 バグ・スウォームを展開しようとして、止まった。

 ——撃てない。セリアが前にいる。

 いつもなら横に開く。蟲で視界を潰して、セリアの間合いへ流す。それが私たちの形だ。

 なのに今、私の正面に立って壁になっている。

 撃てば、セリアごと飲み込む。



「セリア、右に——」



 言いかけた時、魔獣が突進してきた。

 地面が震える。重い。この距離を詰めるのに二秒もかからない。

 セリアの左手から白い光が放たれた。光が弧を描いて魔獣の顔面に突き刺さる。突進の軌道が逸れ、巨体が木に激突した。幹が割れる。

 ——止めた。でもこの配置じゃ、私は何もできてない。

 セリアが踏み込んだ。剣を抜く。光を纏った刃が甲殻を薙ぐ——弾かれた。硬い音がして、刃が滑る。

 ——浅い。セリアの斬撃じゃない。

 いつものセリアなら、回り込んで継ぎ目を突いて、とっくに終わらせてる。なのに今日は、私の前から離れない。半歩も。



 魔獣が体勢を立て直し、こちらへ頭を向けた。

 ——どうする。

 次の瞬間、魔獣が地面を蹴った。セリアの横を抜け、まっすぐ私へ突っ込んでくる。

 バグ・スウォームを顔面へ集中させた。火の蟲が甲殻に次々とぶつかり、赤い火花を散らす。だが表面を焦がすだけで、勢いは落ちない。

 油蟲(バグ・オイル)で足を——近すぎる。間に合わない。

 横へ跳ぼうとした。身体が動くより、魔獣の方が速い。

 その瞬間セリアに手首を掴まれ、強く引かれた。足が地面を離れる。

 直後、巨体が目の前を通り過ぎ、牙がさっきまで私のいた地面を抉った。

 土の匂い。心臓が耳の奥で鳴っている。

 ——生きてる。考えろ。次が来る。

 魔獣が、向こうで反転している。まだ、退がる気はない。

 ——魔獣を斬るより、私を庇う方が先だった。

 殻を破れないんじゃない。私がいるから、破りにいけないんだ。

 魔獣が地面を蹴った。まっすぐ、こっちへ。

 今度は、引きつけた。ぎりぎりまで。

 足元へ油蟲(バグ・オイル)を撒く。突進の勢いのまま、前脚が滑った。巨体が泳ぐ。体勢が、大きく崩れた。

 同時に、私は横へ跳んだ。セリアの正面から、自分でどいた。

 ——これで、庇うものはない。



「セリア!」



 セリアの姿が、消えた。

 次に見えた時にはもう、泳いだ巨体の懐にいた。白い光を纏った刃が、前脚の付け根——甲殻の合わせ目へ、迷いなく滑り込む。

 内側から、巨体が灼き切れた。

 魔獣が崩れ落ちる。地面が揺れた。



 ——終わった。

 息が、まだ整わない。膝に手をついた。

 足音が近づいてきた。セリアが剣を鞘に戻しながら、私の前に立つ。返り血のひとつも浴びていない。

 無言で私の腕を取った。袖を上げて、掴んだ方の手首を(あらた)める。それから、反対の腕。



「大丈夫、掠ってもいない。引っ張ってくれたおかげ。——ありがと」


「……次は、もっと早く避けて」



 叱る声は平坦だった。でも、手首に触れる指が、微かに震えている。

 ……アドレナリンだろうか。戦闘直後は誰でもこうなる。現に私の手も、まだ震えている。



 確認が終わっても、指はそのままだった。

 一拍。二拍。——三拍目で、離れた。

 それでも、手首だけが、まだ指の形を覚えていた。



 報告書には「討伐完了」とだけ書けばいい。



「さっきの戦闘、振り返っていい?」



 障害が出たら原因を特定して、次に備える。仕事の基本だ。



「開幕、なんで私の正面に立ったの。射線が塞がれて、蟲が出せなかった。いつもの形なら、あの突進は最初から捌けてる。……それに、あの角度はセリア自身も危なかったでしょ」


「……別に」


「別にじゃなくて。理由があるなら知りたい。次があるから」



 セリアは黙っていた。いつもより、長い。

 それから、こちらを見た。正面から。今度は焦点が合っている。



「……あなたは分析的すぎる」


「え?」


「……感情に、いちいち理由をつけないで。体が動いた。それだけ」



 ——分析的すぎる。

 ……知ってる。そんなこと、言われなくても知ってる。全部に理由をつけないと気が済まないのは、SEの職業病だ。

 でも、分析の何が悪い。理由が分かれば、次に活かせる。戦い方だって、そうやって組み立ててきた。

 だいたい、今は連携の話だ。感情なんか、関係ない。

 「体が動いた。それだけ」。理由なし。論理なし。私が一番苦手な答えだ。

 言い返そうとした。でも、感情に理屈は通じない。

 ……今は、飲み込んでおく。



 セリアが、小さく息を吐いた。

 視線を外して、剣の柄に手を戻す。いつもの姿勢だ。

 会話は終わった。



 帰路。

 日が傾いて、木漏れ日が橙に変わっていた。

 あの会話から、三十分くらい無言で歩いた。

 ——「分析的すぎる」。

 ……認める。認めるけど。



「……セリアだって」



 言ってから、止まらなくなった。



「いっつも主語ないし、三語で会話終わらせるし、『別に』で全部片付けるし……。分析しないと連携なんてできないよ」


「……伝わってるでしょ」


「伝わってたら、三十分もセリアのことで悩んでない!」



 セリアの足が止まった。振り返る——かと思ったが、振り返らなかった。

 でも、横顔が一瞬だけ見えた。口角が、わずかに上がっている。

 ——今、笑わなかったか?

 確認する前に、セリアが歩き出した。

 ……笑った。絶対笑った。木漏れ日のせいじゃない。

 何がおかしいんだ。私は真面目に苦情を言っているのに。

 ——この人は、本当に読めない。



 王都の東門が見えた。

 石畳の音。人の声。馬車の車輪。門をくぐる。



 ギルドで報告を済ませた。問題なし。依頼完了。解散。



 宿への帰り道、一人で歩きながら、今日のログを頭の中で並べ直した。

 焦点の合わない目。「風向き」の言い訳。震えていた指。あの笑い方。——細かいものには、それらしい理由がつく。索敵。アドレナリン。気まぐれ。

 でも、問題は、そこじゃない。

 今日のセリアは、ずっと、私を後ろに庇っていた。

 自分の射線を潰してでも、いつもの連携を崩してでも、私を前に出さなかった。

 ——街道で私が引きつけすぎたのを、警戒してるんだろう。危ない相手のときは、格下を後ろに置く。Aランクなら、当然の判断だ。

 理屈は、通っている。それなのに、その結論だけが、うまく片づかない。

 本来なら、切り捨てるべきノイズだ。——なのに、私の前に立ったあの背中だけが、消えてくれない。



 ——数日後。



 ギルドの依頼ボードの前に、セリアと並んで立っていた。

 次の依頼を選ぶのは、私の役目だ。

 一枚の依頼書の前で、手が止まった。

 『灰底(かいてい)の回廊 深層調査』。ここは以前鹿をハッキングした場所だ。

 注記の欄に、小さな文字がある。——深層にて、角のある人影の目撃報告あり。

 ……魔族。

 紙一枚が、妙に重い。

 避ければ済む。今は、まだ。でも、Aランクの依頼を受け続ける限り、いつかは当たる。

 魔族と関わって、いいことなんて一度もなかった。それでも、協会の認定を受けた以上、いつかまた任務で当てられる。その時は、依頼を選ぶのはこっちじゃない。日も、場所も、隣にいる人間も。

 だったら、殺すつもりで魔族と対峙する最初の一回くらいは、自分で選びたい。セリアのいる、今のうちに。

 依頼書を、ボードから外した。



「……いいの」


「善は急げって言うし」



 セリアが私の顔を見た。少し、長く。それから、依頼書へ視線を落として、また私に戻した。



「……分かった」



 受付に依頼書を出す間、指先がずっと冷たかった。

 ——人生で一番、気の重い受注だった。

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