仕分け
『君の目は、見えすぎている』。
昨日のキリヤの言葉が、頭から離れない。
長距離依頼。
依頼票には『ライゼ街道沿い 魔物討伐および調査 推定三日行程』とある。王都から北東へ半日の距離にある交易路で、最近魔物の目撃が相次いでいるらしい。
三日がかりの依頼。荷物が重い。食料、水、野営道具。いつもの日帰りとは量が違う。セリアは慣れた手つきで背嚢を肩にかけていたが、私は出発前から肩が痛い。
王都の東門を出た。
石畳が砂利道に変わり、街の喧騒が遠ざかる。踏みしめる砂利の音と、鳥の声と、二人分の呼吸。
——静かだと、余計なことを考える。
見えすぎている、か。おかげで、自分の「見る」という行為を、妙に意識してしまう。一度「見る」スイッチが入ると、それ以外のものまで目に入ってくる。
セリアが半歩前を歩いている。近すぎず、離れすぎず。——今日は、白金の髪を低い位置で一つに結んでいた。セリアが髪を結んでいるところ、あまり見た記憶がない。
普段なら、白金の髪が揺れている、くらいで終わっていたと思う。けれど今は、風に靡いた時の光の透け方も、角度で薄い金から白へ変わる色も、勝手に目が拾ってしまう。
前を向いたまま、セリアの耳がほんの少し後ろへ傾いた。
人間は、耳を意識して動かせない。エルフは犬みたいに動く。
……面白い。
いや、面白がってる場合じゃない。こっちへ傾いたってことは、視線に気づかれた?
慌てて街道の先を見る。五秒後には、また髪を見ていた。駄目だ。情報量が多い。
——依頼中は一緒にいる。でも、朝から晩まで二人きりで三日間は初めてだ。見慣れたはずの背中が、知らないものみたいに見える。
……この髪の色の変わり方。光の屈折率が違うのか、素材自体が違うのか。今度調べたい。
街道を三時間ほど歩いたところで、小川に出た。
幅は二メートルほど。飛び石があるが、苔で滑りそうだ。
セリアが先に渡った。飛び石の上を歩く足取りが軽い。片足が着地するたびに、体がしなやかに揺れる。重心移動に、無駄がない。
長い耳の先端が揺れた。風に反応したのか、何か聞こえたのか。
対岸で振り返った。こちらを見ている。赤い目が、木漏れ日の中で深い色をしていた。
「……何をしているの。早く」
「今行く」
飛び石に足を乗せた。三つ目で滑った。足首がぐらっと揺れて——
「——っ」
手を掴まれた。
セリアの手。いつの間にか対岸から腕を伸ばしていた。指の力が強い。ぐっと引き上げられて、一瞬だけ体が宙に浮いた。着地した足元が不安定で、前のめりになる。
至近距離。セリアの顔が近い。結んだ髪からこぼれたおくれ毛が頬に触れた。——甘い匂いがした。
手のひらに残った感触。セリアの指は、冷たかった。——そういえば、魔法協会でキリヤと握手した時も、ひんやりしていた。エルフは、体温が低いのかもしれない。
セリアの手が、すぐに離れた。何事もなかったように前を向く。
「……足元を見なさい」
「見てたんだけどな……」
「見ていてあれなら、もっと問題」
……Bランクの審査項目に、苔耐性はなかった。
さらに一時間ほど歩いたところで、最初の魔物に遭った。
森の際から飛び出してきた。四つ足、灰色の毛並み、赤い目。狼型。二匹。
セリアの反応は、相変わらず人間の限界を超えていた。剣を抜く動作が見えない。気づいた時には白い光が弧を描いていて、一匹目が空中で両断されていた。白金の髪が遠心力で広がって、朝露を散らすように光の粒が飛ぶ。
——この人の剣は何度見ても速い。それに、美しい。戦闘中にそんな感想を持つのはどうかと思うけど、事実だ。
二匹目が私に向かってきた。バグ・スウォームを展開。視界を塞いで、セリアの射程に追い込む。
白い光弾が狼を貫いた。終わった。
息を整える間もなく、ポケットの中で握っていたアルミ玉に意識が戻った。
キリヤの依頼が頭にあった。『不自然な魔物を見つけたら報告してほしい』。
——今の狼は、どっちだ。生まれつきの魔物か、後から変えられた個体か。
戦闘中は手一杯で、意識して見ようとした時には、もう終わっていた。
死体じゃ術式は見えない。生きてないと分からない。……今の二匹は確認できなかった。
次は——生きてるうちに見る必要がある。
セリアが剣を鞘に戻した。
私はアルミ玉を握ったまま、二匹の死体を見下ろしていた。セリアの目が、その手元に留まった。
「……何を見ているの」
「術式。……間に合わなかった。次は、殺す前に一匹見たい。押さえてもらえる?」
「…………」
沈黙。長い一拍。
セリアの目がこちらを射抜いている。
……ですよね。普段なら一瞬で斬る相手を、私の確認作業のために生かして押さえろ。面倒にもほどがある。
「……手早くして」
「ありがとう」
午後。街道を外れて森の中に入った。
依頼書に記された目撃地点に近づくにつれ、空気が変わった。木々の隙間から差し込む光が陰り始めて、獣道すら怪しくなってくる。
——いた。茂みの奥に、何かが動いた。大型の猪。額に小さな角が一本。目が赤い。
セリアと目が合った。頷いた。
セリアが左に回り込む。猪が動く前に、氷結の魔法が四肢を凍らせた。地面にがっちり固定。——鹿の時と同じだ。呼吸は塞がない。正確な拘束。
何も言わなくても分かってくれている。
セリアが離れた位置から猪を見下ろしていた。剣の柄に手を添えたまま。私に何かあれば、即座に斬れる体勢。
近づいた。アルミ玉を握った。
——術式が見える。
今見るのは、形じゃない。後から貼りつけられたものか。最初から、体と一緒に組まれているものか。
あの鹿は、継ぎ接ぎだった。元の体の上に、乱暴に赤い命令を貼りつけられて、結合部が軋んでいた。
こいつには、それがない。光の筋は体の奥まで自然に馴染んでいる。
……こいつは、最初からこうだ。
アルミ玉から手を離した。
「……生まれつきだった。後付けじゃない」
セリアを見た。頷いた。
剣が閃いた。猪が崩れ落ちる。赤い目から光が抜けて、術式の光も、すっと消えた。
——仕分け完了。結果は「異常なし」。
ただの魔物だった。……人を襲う角付き猪に「ただの」とつけるあたり、こっちの基準にもだいぶ慣れてきたらしい。
「……毎回止めていたら、日が暮れる」
「ごめん。分かってる。じゃあ私は見ることに集中するから、撃退はセリアが——」
「……見るだけなら、私と組む意味は?」
痛いところを突かれた。……口に出してから気づいた。丸投げじゃないか。
前は、数合わせだと言っていたのに。その人が今、組む意味を訊いている。
「……ごめん。今のは違った。毎回止めてもらわなくて済むようにしたい。見ながら動けるように、目を慣らす。セリアに、全部預けないで済むように」
自分で言って、喉の奥が詰まった。
セリアが、こちらを見ていた。赤い目が、何かを測っている。
「……そう」
セリアが前を向いた。歩き出す。
二歩ほど先で、歩調がわずかに落ちた。追いつくと、また元に戻る。
さっきまであった半歩の隙間が、少しだけ狭くなっていた。
見ていると、セリアが振り返った。
「……何」
「今、待ってくれた?」
「……遅いから」
それは、待ったということでは。
セリアはもう前を向いていた。追いついた分だけ近くなった背中を、そのまま追った。
調査地点を離れ、街道へ戻った。
——と、道沿いの木の根元に、蔦の絡んだ石の塊が見えた。
人工物だ。街道に沿って点在する古い道標の一つらしい。崩れかけて原型をとどめていないが、台座の裏に小さな窪みがあった。
……中に何か入っている。
見るスイッチが入ったままだった。普段なら通り過ぎていた。
手を突っ込んで引っ張り出すと、革の装丁がボロボロに朽ちた薄い冊子だった。
——魔導書?
心臓が跳ねた。魔導書。虚ろの迷宮に眠るあれと同じカテゴリのもの。こんな街道沿いに?
開いてみた。古い術式記法だが、文字自体は読める。
『身体表層の毛髪を根元より除去する術式。効果は永続。詠唱不要、触媒不要。術者の魔力のみで発動可能——』
…………。
体毛除去。
永続。
……永久脱毛か。それ自体は悪くない。むしろ需要はあるだろう。問題は——
頁をめくった。部位別の応用術式は——ない。全身一括。眉毛も睫毛も頭髪も全部消える。
……範囲指定は必須機能だろ。全身一括をデフォルトにするな。
しかも『詠唱不要、触媒不要』。……起動の仕方が、どこにも書いていない。
どうやって発動するのか分からないものは、いつ発動するかも分からない。
そっと、静かに頁を閉じた。
道標の裏に捨てられていた理由が、今なら分かる。
「……何を読んでるの」
セリアが足を止めていた。
「古代の魔導書。道標の裏に隠してあった」
「……内容は」
「体毛を除去する魔法。永久に。ただし全身一括で、髪も眉毛も全部消える」
セリアが、一拍だけ間を空けた。
「……捨てれば」
「いや、魔導書は魔導書だし。売れるかもしれないし」
背嚢の底に押し込んだ。肩がまた重くなった。
歩き出すと、セリアが半歩、私から離れた。
「なんで離れる?」
「……その荷物とは、距離を取る」
真顔だった。
——さっき縮まった半歩が、魔導書一冊で元に戻った。理不尽だ。
夕方近く。もう一度魔物と遭遇した。
今度は大型の蜥蜴。岩陰から不意に飛び出してきた。
ポケットの中でアルミ玉を握った。今度こそ、生きているうちに術式を見る。
セリアが反応した。剣を抜いて前に出る。——集中しかけた、その瞬間、目の端で何かが動いた。
セリアの耳だ。長い耳が、ぴくっと立った。蜥蜴の方を向いて——いや、違う。一瞬だけ私の方を向いて、すぐに蜥蜴に戻った。
セリアが踏み込む。剣が閃く。蜥蜴の首が飛んだ。返り血が右腕にかかった。セリアは眉一つ動かさず、血を払うように剣を一振りした。
白い肌に赤い飛沫が散っている。——戦闘の直後は血の巡りが変わるのか、頬の色がいつもと違って見えて——。
……何の話だ。
「——ぼんやりしない」
セリアの声が飛んできた。蜥蜴の返り血を拭いながら、こちらを睨んでいる。
「……今日のあなたは、おかしい」
「そう?」
「……さっきから、私ばかり見てる」
「……ごめん。耳が動いたのが気になって」
セリアの耳が、ぴくっと立った。
——あ、再現した。
それから、目が鋭くなった。
何か言いかけて——言わなかった。剣を戻して、歩き出す。
……嘘はついてない。耳から始まって、いろいろ見てたけど。
戦闘中だけじゃない。やっぱり、感情で動いてる。
……まずいな。魔物の術式を見るつもりが、目の前のエルフの耳を見ていた。また見損ねた。
研究テーマにしたら怒られるだろうか。怒られるだろうな。
野営地を決めた。
街道沿いの少し開けた場所。大きな岩が風除けになっていて、薪になりそうな枯れ枝が周囲に転がっている。
前と同じように、セリアが枝を組み、私が火をつけた。
食事は干し肉とパンと水。セリアは水だけだ。
一口で数日もつのは知っていたけど、三日行程で見ると改めて燃費がいい。私の背嚢の半分は、胃袋の維持費だ。
パンを齧りながら、焚き火の向こうを見る。
焚き火の光がセリアの横顔を照らしていた。赤い瞳に、炎の色が溶けている。白金の髪が橙色に染まって、昼間とは全然違う色に見える。
——また髪だ。さっきから何回セリアの髪を見てるんだ。
「……また」
セリアの声。低い。焚き火の向こうから、赤い目がこちらを向いていた。
「え?」
「……見てる」
——ばれてた。今さらか。
「セリアの髪。今日は結んでるでしょ。朝から何度も目に入って」
セリアが、一瞬だけ目を見開いた。——本当に一瞬。すぐに顔を背けた。
「まあ、結んでる方が邪魔にならなくていいと思う。悪くない」
我ながら気の利かない感想だ。でも、本音だった。
言った瞬間、セリアの指が水筒の蓋を回しかけて、止まった。開けるでも閉めるでもなく。
焚き火の向こうで、しばらく口を開かない。
「…………別に」
一度、言葉を切って、目を伏せた。
「…………気分転換」
絞り出すような、小さい声だった。焚き火がぱちっと爆ぜた。
止まっていた指が、ようやく水筒の蓋を締めた。セリアはそれきり、焚き火から目を上げなかった。
——気分転換。髪の話、だよな。
焚き火の向こうで、結んだ白金の髪だけが揺れていた。
明日は、もう少し注意して見てみよう。




