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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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70/80

異世界でも週報からは逃げられない

 夜、魔導通信石が光った。

 蒼白い光。脈を打つように明滅している。——着信だ。

 ……嘘だろ。「今夜くらいは黙っていてくれ」と願ったのは、ほんの数時間前だ。

 カメラも盗聴もついていないと、ソロンは断言していた。なら、この絶妙な間の悪さは何なんだ。

 ベッドの上で寝転がっていた体を起こした。宿の窓から差し込む月明かりの中で、石を手に取る。



「やあ、ユズリハ君。夜分にすまない」



 キリヤの声。穏やかで、人当たりがよくて、——底が見えない声。



「少し、話したいことがある。明日の午前、僕の執務室に来てくれるかな。——待っているよ」



 ——用件は、言わなかった。

 上司の「少し話したいことがある」ほど、心臓に悪い前振りはない。前職の経験則だと、この台詞の後に来るのは、大抵燃えている案件だった。

 魔法協会の副支部長が、わざわざ夜に、一個人を名指しで呼ぶ。「話したいこと」が世間話のはずがない。

 ——魔法協会の、依頼か?

 認定魔導士の身としては、断れない類の。……正直、気は進まない。前の任務が、楽しい思い出ばかりってわけでもなかったからな。



 光が消えた。石を握ったまま、天井を見上げた。

 明日の午後はセリアと次の依頼の打ち合わせがあるが、午前なら空いている。

 ——前日の夜に呼びつけておいて、日時もあっちが指定。こっちの都合は、まるっと無視かよ。理不尽すぎる。たまたま空いてたからよかったものの。

 異世界に労基はないのか。ないんだろうな。魔法協会、絶対に労基がない。

 月明かりが天井で揺れている。目を閉じても、あの声が、耳の奥に残っていた。



 翌日の午前。

 魔法協会の建物は相変わらず威圧的だった。石造りの門をくぐって、受付で名前を告げると、三階の執務室に通された。

 扉を開けた。

 ——広い。窓から午前の光が入っている。壁際に魔導書の棚。中央に応接用のテーブル。棚の本は全て背表紙が揃えてある。ソロンの家とは真逆だ。



「座って。茶を淹れよう」



 キリヤが棚の奥から茶器を出した。手慣れている。——客を迎え慣れている人間の所作だ。

 湯を注ぐ。茶葉が開く匂いがした。出された湯呑みに口をつける。——普通に美味い。美味いのに、味わう余裕がない。この人の前にいると、面接を受けているような気分になる。



「さて」



 キリヤが向かいに座った。茶を一口。それからテーブルに湯呑みを置いて、こちらを見た。



「まず——Bランク昇格、おめでとう。ユズリハ君」


「……どうも。キリヤさんの推薦の、おかげですけど」


「セリアンディエル殿とバディを組んだそうだね。——どう、手応えは」



 ……ギルドと協会は協力関係だ。バディ登録くらい、向こうの耳に入っていてもおかしくない。

 ——理屈は、分かる。でも、組んだばかりの動きまで筒抜けなのは、背中に目があるみたいで、落ち着かない。



「……組んだばかりですけど。なんとか、やれてます」


「あの方と組めるなら、心配はいらないか」



 穏やかに笑う。

 キリヤが湯呑みを置いた。前置きは終わり、という間だった。



「先日、ダンジョンで魔物を——討伐せずに、持ち帰ったそうだね」



 ——鹿の話だ。



「……なんでそれを」


「角と赤い目の鹿を抱えて王都を歩けば、さすがに目立つよ。『蟲使いが鹿を(さら)っていった』という報告が、僕のところに三件届いている」



 攫うってなんだよその言いかた。『蟲使い』が『鹿』を攫うとか、字面的におかしいだろうが。



「攫ってません。保護です」


「知っているよ。だから、君に訊きたい」



 キリヤが指を組んだ。



「トール君にしたことと、同じことを?」


「……はい」


「なぜ、殺さなかった」



 ——なぜ。

 その問いなら、昨日、答えたばかりだ。

 あの時、喉の奥からやっと出てきた言葉は、まだそこに残っていた。



「……あの鹿の殺意は、後から刻まれたものでした。生まれつきじゃない。後から押しつけられて、苦しめてるだけのものなら——外したかった。それだけです」



 キリヤは、黙って聞いていた。

 それから、ゆっくりと頷いた。



「『後から刻まれたもの』——やはり、君には生まれつきの魔物と、後から作り変えられたものの違いが見えているんだね」


「……はい、なんとなく構造的に分かります」


「断片的に術式が見える者なら、報告例はある。特殊な魔導具を介して、術式の一部が光って見える——その程度だ」



 ——特殊な魔導具。……私の場合はアルミ玉だが、前例はあったのか。



「でも、その違いを見分けられる人間は、僕の知る限り前例がない。——君の目は、見えすぎている」



 語る声は、講義のように平坦だった。なのに、紫水晶の瞳だけが、一段深い色をしていた。



「……自分でも、仕組みはよく分かってないんです。見えるものを、見えるまま言ってるだけで」



 ——嘘じゃない。ただ、いちばん肝心な一点——ポケットの中の玉のことだけは、言葉から外した。

 キリヤを敵だと思っているわけじゃない。任務でも世話になった。でも、これだけは渡せない。

 この人の質問は、丁寧に外堀から埋めてくる。どこまでが世間話で、どこからが検分なのか、境目が見えない。何を知りたいのか。どこへ誘導されているのか。一つ答えるたび、次の一手を読み直す。……面接だと思っていた。違う。観察されている。

 湯呑みに添えた指が、湿っていた。



「…………」



 キリヤが湯呑みに目を落とした。

 長い沈黙だった。湯呑みの湯気が、細くなるくらいの。

 そして、低く。半分、独り言のように。



「後から刻まれたものを、外せる。……理屈の上では、魔の始祖(アルケ・マリス)が相手でも——同じことだ。無力化、できるはずなんだ」



 げ……。

 似たようなことは、前にも言われた。魔の始祖に対抗できる戦力になる、と。

 でも、あの時より近い。私が殺意を外したという事実が、今度は魔の始祖の名前に直接繋げられた。

 それだけで、背中の奥が冷えた。



「……これなら、間に合うのかもしれないな」



 さっきまでの、営業の声じゃなかった。



「……え?」



 ——間に合う?

 キリヤは顔を上げて、もう、いつもの笑みに戻っていた。



「——いや。独り言だよ。この話は、まだ早い」



 ——はぐらかされた。穏やかな笑顔で、するりと。

 ……この人は、いつか私を、そこに届く駒として数えるつもりなのか?

 あり得る、と思ってしまった。

 あの任務で、この人は魔族化の可能性を読んでいながら、私たちには伏せていた。焚き火の何気ない質問ひとつで、覚悟を測っていた。村を守れる結界すら、犯人を泳がせるために、あえて張らずにいた。

 ——目的のためなら、必要なことを隠す。しかも、その線引きが、こっちからは読めない。

 冗談じゃない。こっちは、帰る方法を探すだけで手一杯なんだ。ラスボスと戦うのは勇者の仕事だろ。求人なら、他を当たってほしい。



「さて。——ここからは、副支部長としての話だ」



 声のトーンが、変わった。



「最近、魔物の出現に異常がある。本来いないはずの地域での目撃。通常種とは違う行動パターン。——ここ三ヶ月で、ギルドの報告が目に見えて増えた」


「…………」



 ——心当たりがある。

 この前のダンジョンの依頼票にも、『三ヶ月で倍増』とあった。私はそこで、あの鹿を見つけている。



「討伐された魔物が、生まれつきなのか、後から変えられたのか。それを見分けられる人間は——君しかいない。君にしか頼めないことがある」



 来た。

 湯呑みを持つ手に、力が入った。——断れない任務が、また来る。



「——今まで通り、ギルドの依頼を続けてくれていい。その中で不自然な魔物を見つけたら、報告してほしい。場所、状態——分かる範囲でいい」


「…………それだけ、ですか」


「それだけだよ」



 ……身構えていた分、拍子抜けした。



「……何のために?」


「後付けで魔物にされた個体が増えているなら、それは——魔の始祖が動き出している、足跡だ」



 ——また、その名前かよ。

 鹿一匹の後始末のつもりが、いつのまにか、この世界の一番奥にいる『何か』にまで話が伸びている。……勘弁してほしい。



「当面、協会から君に任務を出すつもりはない。ギルドの依頼に集中してほしい」


「……はい?」



 思わず、変な声が出た。

 ——任務が、来ない。あの断れない、胃の痛い、魔族がらみの任務が。来ない。

 脳内でクラッカーが鳴った。紙吹雪が舞い、拍手が鳴り止まない。

 ——歓喜!



「やっ——」


「や?」


「……やむを、得ませんね。決まりでしたら、仕方ありません」



 出かかった万歳を、喉の奥でねじ伏せた。危ない。



「……随分、嬉しそうだね」


「気のせいです」



 真顔を作り直す。



「協会が直接動けば、相手にこちらの関心を知らせることになる。君は今まで通り、依頼を受けるだけでいい。——それに」



 キリヤが茶を一口飲んだ。



「セリアンディエル殿と組んでいる限り、君の力は自然と伸びる。彼女との実戦に勝る訓練はないからね。協会の任務で君の時間を潰すのは、惜しい」



 ……さっきの脳内パレードを、そっと解散させた。

 力を伸ばせ、と言われている。——魔の始祖と対峙させるために。



「報告は、副支部長への定期報告という形でいい。——協会のために動いてもらうんだ。もちろん、相応の報酬は出す」



 ——用意がいい。定期報告という建前に、報酬という餌まで、もう出来上がっている。最初から、これを頼むつもりで呼び出したんだ。やることは『見つけたら報告するだけ』。



「……分かりました」



 ——結局、異世界まで来て、週報からは逃げられなかった。

 世界が違っても、報告書は死なない。



「ありがとう。——今日はここまでにしよう」



 立ち上がった。湯呑みを置いて、扉に手をかける。



「ユズリハ君」



 振り返った。キリヤが席に座ったまま、こちらを見ていた。



「その力——大事にしてくれ」



 静かな声だった。

 紫の瞳が、まっすぐこちらを向いていた。

 答えないまま、扉を閉めた。



 協会を出た。空は少し傾き始めていた。

 外気に触れて、詰めていた息をやっと吐いた。あの部屋を出るまで、肩がずっと強張っていたらしい。

 しばらく歩いて、ギルドに入った。



 掲示板の前にセリアがいた。こちらを見た。



「……遅い」



 ——待ってたのか。そういうところだけは律儀だ。



「ごめん。キリヤさんに呼ばれて、話してきた」



 セリアの手が止まった。

 掲示板に伸ばしかけていた指が、下りる。こちらを向いた。



「依頼?」


「協会の任務っていうより……生まれつきじゃなくて、後から手を加えられた魔物を報告しろって」


「……それだけ?」


「それだけ。協会の任務は当分ないってさ」



 セリアの目が、細くなった。長い間、私を見ていた。

 ——魔の始祖の名前は、出さなかった。言ったところで、気が滅入るだけだ。

 


「……キリヤさんとは、知り合いなんでしょ? どんな関係?」



 セリアが前を向いた。掲示板の依頼書を見ている——振りをしている。焦点が合っていない。

 長い一拍。



「……望んで関わった相手じゃない」



 掲示板の一点から、目を動かさない。



「あの人の親切には、値札がついてる」



 それだけ言って、体が掲示板に向き直る。話は終わり。

 ——望んで関わった相手じゃない、か。

 穏やかじゃない言い方だ。でも、それ以上は、何も言わない。

 ——値札。

 Bランク昇格。丁寧な分析。報酬の約束。——どれも親切の顔をして、私の逃げ道を、一つずつ塞いでいた。

 差し出された親切の分だけ、断る自由を持っていかれる。……セリアの言葉の意味が、分かる気がした。



「……うん」



 それ以上は言えなかった。「気をつける」とも「大丈夫」とも。——どっちも嘘になる気がした。



 それから明日の依頼をひとつ選んだ。気づけば、日が傾いていた。

 ギルドを出た。

 夕暮れの道を、二人で歩いた。足音が、少しだけ硬い。

 キリヤの「まだ早い」と、この人の「値札がついてる」が、頭の中で交差している。

 空が暗くなっていく。

 誰も、肝心なところまでは言わない。——私も含めて。

 私は魔法協会を利用して、その代わりに、ハッキングの能力を利用される。それはいい。

 ただ——キリヤに、協会に、魔の始祖の影に。散々振り回された挙げ句、帰り道まで見失うのだけは、ごめんだ。

 勝手に魔の始祖を帰宅ルートの経由地に入れないでほしい。

 隣に、セリアがいる。この人は、私に何も要求してこない。ただ、隣を歩いている。

 それだけで、少しだけ息がしやすかった。

 ——けれど、この静けさが、いつまで続くのかは、分からなかった。

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