表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/81

事後報告

 木戸を押した。

 庭先にソロンがいた。縁側に腰を下ろし、さっきまで使っていた茶器を盆にまとめている。鹿が足元に寝そべっていた。

 足音に気づいたソロンが、顔を上げた。



「忘れ物か」


「いえ」


「……菓子なら、気が早いぞ」


「持ってきてません。——ちょっと、話があって」



 ソロンが私を見た。一拍。

 盆を脇へ寄せた。



「座れ」



 縁側に座った。隣に間が一つ分。いつもの距離。

 鹿が起き上がって、私の膝に頭を押し付けてきた。角の先が脚に食い込む。地味に痛い。けど、今はそれくらいがありがたかった。

 庭に夕日が差している。薬草の鉢が長い影を引いている。ソロンの横顔は逆光で、表情が読めない。

 ……切り出せ。ここまで来て黙ってたら、ただの二度手間だ。

 ——なのに、喉が動かない。

 膝の鹿を見下ろした。私が殺意を抜いて、この人が引き取った魔物。角も赤い目も残ったまま、それでも、こうして庭先で寝そべっている。

 でも、これから話すのは鹿のことじゃない。助けた相手のこと。助けられなかった相手のこと。

 私が何をしたかは、ソロンには隠せない。黙ったまま「任せられる」を受け取るのは、ずるいから。

 知らないうちに、鹿の毛を握っていた。



「先生」


「何だ」


「もう一つ、事後報告が、あるんです」



 ソロンが茶を啜った。眉間に、わずかに皺が寄る。



「……言ってみろ」



 手のひらが湿っている。鹿の頭を撫でた。毛が硬い。



「……魔族を、一人、助けました」



 間。



 ソロンの手が止まった。湯呑みを持ったまま。

 風が庭の薬草を揺らした。鹿が耳を動かした。それ以外、何も動かなかった。



「先生が教えてくれた術式の読み方。五日間の訓練。——あれを最初に使った相手が、その魔族でした」



 ソロンは何も言わない。湯呑みを膝の上に置いた。



「あの子の中で、ずっと空を掴み続けてる仕組みがあったんです。『殺せ』を呼ぼうとして——でも、中身が最初から空っぽで。だから、掴めないまま空回りしてた」


「……殺意がない魔族、ということか」


「はい。生まれた時から。人を殺したい子じゃありませんでした。軽く見えるし、距離は近いし、何でも冗談みたいに言う。でも、困ってる相手を見つけると、放っておけない。自分に冷たかった奴のことも、平気で助ける。……すごく、いい子なんです」



 ソロンが顎を引いた。聞いている。

 鹿の背中に手を置いたまま、続けた。



「空回りしてたところを、閉じただけです。あの子そのものには、触ってない。やったことは、小さい」



 先生の教えの、最初の使い道がそれだった。

 喉の奥が、少しだけ詰まる。



「……すみません」



 風が止んだ。

 ソロンは湯呑みを持ち上げて、一口。また置いた。



「お主のやり方で答えを出せと言ったのは、わたしだ」



 責めるでも、許すでもない声だった。



「もう一つ、あります」



 ソロンの視線がこちらに来た。



「……聞こう」



 鹿の頭から手を離し、膝の上で握った。指が冷たい。



「先生の教えで、仲間を殺した相手を、生かしました」



 ソロンが、ゆっくりとこちらを向いた。



「魔法協会のアスタル村の任務で——人間の少年が、魔族にされていました」



 喉が締まる。それでも、もう言葉は止まらなかった。



「殺意が上書きで刻まれていました。暴走して、人を襲っていた。……その子が、私の仲間を殺しました」


「…………」



 ユーゴの顔が浮かんだ。

 認定試験に受かった日の顔。トールに駆け寄った背中。——殺さないで、というあの声。

 目の奥が熱い。飲み込んだ。



「でも、殺せませんでした。仲間が——その少年を殺さないでって、最後に言ったから」



 ソロンの呼吸が変わった。

 鹿が顔を上げた。膝から降りて、庭の隅に歩いていった。

 二人だけになった。



「その時は、仲間の言葉に縋っただけでした。自分のしたことが正しかったのか、いまだに飲み込めていません。でも……私は魔族を、人間に都合よく作り替えたいわけじゃないです。ただ、後から押しつけられて、本人を苦しめているだけのものなら——外したかったんです」



 ミルシェの中で空回りしていたもの。鹿の体に、雑に縫いつけられていた赤い脈。

 トールの奥で、一瞬だけ戻った声。

 どれも、本人そのものには見えなかった。

 抜けるなら、抜きたかった。



 ソロンは何も言わなかった。

 湯呑みを置いた。かちん、と鳴った。

 ——あの音。さっきセリアの前で「任せられる」と言った時と同じ音。でも意味が違う。さっきは手が震えていた。今は——置く力が強すぎた。



「先生」



 声が出た。ずっと言えなかったこと。



「先生なら——どうしましたか」



 アスタル村から戻ってから、ずっと胸の底に沈んでいた問いだった。あの時は、誰にも訊けなかった。今——ここで、口から出た。

 ソロンの横顔を見た。

 逆光の中、目だけが光っていた。長い歳月が刻んだ何かが、あの目の奥にある。



「…………」



 沈黙が、長かった。

 薬草の影が伸びている。夕日が庭の奥に沈みかけている。

 ソロンが顔を上げた。空を見ている。私を見ていない。



「……わたしなら、などと訊くな」



 呟くような声だった。

 突き放す響きではなかった。

 魔族は討つもの。先生はそうした。当たり前のことだ。——それでも、妻も、弟子も、戻らなかった。

 魔族に大事な人を奪われる痛みを、この人は知っている。だから訊いた。訊いてしまった。

 でも、同じ痛みでも、同じ答えになるとは限らない。



「わたしの答えを借りるな。お主の手で、決めよ」



 低い声だった。

 正しいとも、間違いとも、言わない。ただ、私に返す声だった。



 ソロンが立ち上がった。

 台所に消えた。

 しばらくして戻ってきた。手に湯呑みが二つ。新しい茶。

 一つを私の前に置いた。何も言わずに。

 自分の分に口をつけた。

 ——この人は、いつもこうだ。言葉の代わりに、茶を出す。叱る時も、認める時も、何も言えない時も。



「……事後報告が多すぎるぞ」



 溜息混じりにソロンは言った。

 ——さっきバディのことを報告した時と同じ返し。でも声が違う。怒っていない。責めてもいない。



「すみません」


「……馬鹿弟子が」



 いつもの言葉。

 でも——声が、掠れていた。

 それ以上は何も言わなかった。私も言わなかった。

 茶を飲んだ。熱かった。舌の裏が痺れた。夕日が沈んでいく。影が伸びていく。庭の隅で鹿がまた寝そべっている。

 何かが、一つ、降りた気がする。全部じゃない。でも。



 帰り際。

 木戸に手をかけた。

 ……ふと、首元の通信石に指が触れた。ずっと気になっていたことがある。



「……あ、そういえばこの石、カメラとか盗聴とか、ついてたりします?」


「そんな技術はない。だいたい、お主の言う『かめら』が何かを、わたしは知らん」


「知らないのに『ない』って断言できるの、逆にすごくないですか」


「知らんものが、付いているわけがなかろう」


「その自信はどこから……」


「疑心暗鬼になりすぎだ。それはただ声を届けるだけの石にすぎん」


「……ですよね」



 首元の石を、指で軽く弾いた。社畜の首輪は、結局ただの社畜の首輪だった。

 風呂のたびにこの石を握り込んで、妙な姿勢で体を洗っていた。あれから解放されるだけで、だいぶ嬉しい。



「……一つ、言っておくぞ」



 ソロンが手を止めた。鹿の頭に手を置いたまま、視線は庭の奥に向けている。



「エルフというのは、長寿な分、執念深い」


「……はい?」



 なんだ唐突に。



「——いや、執念深いなどと、上品に言ってやる義理もないな。要するに、しつこいんだ。粘着質で、往生際が悪い!」



 ソロンのこめかみに、うっすら血管が浮いていた。

 経験談だ。これは完全に経験談だ。



「何百年も前の恨みを、昨日のことのように蒸し返す。貸した本は百年経っても返さんくせに、こちらの失言は半世紀越しに一字一句あげつらう。一度こじれれば、こちらが詫び倒したところで、許すまでがまた数十年だ。それでいて——自分の非だけは、きれいさっぱり、忘れている」



 ソロンの目が、今度ははっきり血走っていた。

 めっちゃ怒ってるじゃん。



「——その執念が、極まればどうなると思う。魔の始祖(アルケ・マリス)を見てみろ。人間への恨み、たったそれ一つで、生命の理まで書き換えおった。おかげで世界は、未だに魔物だらけだ。エルフの執念というのは、世界に仇なす規模まで膨れ上がる」


「……それ半分くらい私怨が混じってますよね。エルフに、何されたんです」


「…………」



 否定が、ない。——本当に、何かあったらしい。墓場まで持っていきそうな恨みが、先生の側にも。これ以上は、聞かないでおこう。

 ……いや、待て。心当たりなら、こっちにもある。

 前に、私が何気なく流した恋愛話——『誰が誰と一緒にいようが、本人が幸せならそれでいい』——を、後日、一言一句違わずに引用されたことがある。あの時は「エルフって記憶力いいのか」で流したけど。

 ——そういうことか。種族仕様だったのか。



「あの方も、例外なくエルフだ」



 ソロンの声が、少し真面目に戻った。



「一度こうと決めたら、諦めんだろう。良くも悪くも、な」


「……」


「——エルフとバディを組むというのは、そういうことだ」



 ——すぐには、何も言えなかった。

 守られる、とも、縛られる、とも、両方の含みが声にあった。

 ソロンは視線を鹿に戻した。それきり、口を開かなかった。



 帰る時に振り返った。

 ソロンが庭に立っていた。鹿が寄ってきている。追い払うかと思ったら——黙って、頭を撫でていた。

 角の根元を、ゆっくりと。

 何も言わず、坂を下りた。

 王都の灯りが、下の方に広がっている。さっきセリアと見た景色と同じ。でも隣に誰もいない。

 足音が、一人分だけ、石畳に落ちている。

 ——重かった。でも、話せた。

 足が、少しだけ前に出る。

 それでも、セリアに言えていないことは、まだ残っている。

 ……せめて今夜くらいは、この首輪が、黙っていてくれればいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ