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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
バディ

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師匠の目利き

 セリアと正式にバディを組んで、ひと月余り。

 依頼続きで、報告がすっかり遅くなった。Aランク帯を二人で回すのにも、だいぶ慣れてきた。今日はその区切りに、ソロンへ顔を出す。

 茶でも飲んで、鹿の様子を見て、バディ組みましたと報告して帰る。

 そのくらいの気楽さだった。——私だけは。

 朝から隣のセリアの足取りが、やたら硬い。顎を引いて、前だけ睨んでいる。視線で石畳を割れそうだ。

 魔物の群れを前にしても眉一つ動かさない女が、私の師匠に挨拶するだけで、果たし合いにでも向かうような顔をしている。

 まあ、気持ちは分かる。私だって、セリアの身内に挨拶しに行けと言われたら——たぶん、前の晩から胃が痛い。



「……私が行く必要は」


「あるって」


「……一人で行けば」


「バディの報告に、片方だけ行ってどうするの」



 セリアが黙った。

 足は止めない。半歩後ろを、しれっとついてくる。ただ、歩幅だけがいつもより妙に小さい。



 表通りから裏路地、坂を上がって生け垣を曲がる。

 この道に入ると、いつも息が楽になる。街の音が遠のいて、薬草の匂いが混じってくる。

 低い石垣の一軒家。屋根の苔が、前より育ってる。庭先の薬草の鉢、その隙間を——何かでかいものが、のっそり動いた。

 角。赤い目。あの鹿だ。ソロンに預けた元魔物。元気そうで何より。



 木戸を開けた。

 奥でソロンが顔を上げる。鉢を抱えた、土だらけのローブ姿。どこからどう見ても畑仕事帰りの世捨て人だ。



「……アオイか」



 ぶっきらぼう。いつも通り。それだけで、喉の奥がゆるむ。ただいま、と言いそうになる。人の家なのに。

 それから、その目が、私の隣で——止まった。一拍。

 ——お。あの先生が、固まった。サプライズゲストとしては大物すぎたか。

 セリアが浅く会釈する。無言。でも、丁寧。

 ソロンが、それに何か返そうと、口を開きかけて——

 その瞬間だった。さっきの鹿が、庭の奥から全速力で突っ込んできた。

 私に気づいたらしい。



「ちょ、ちょちょ近い近い近——」



 顔面を舐められた。容赦というものがない。視界がまるごと、鹿の舌で塗り潰される。

 おまけに角が庭木に引っかかって、ばきん。枝が折れる。折れた枝ごと首を振り回すから、鉢が傾いて、土がばらばらと——

 ソロンが無言で鉢を押さえた。慣れた手つきで。



「先生、これ、迷惑かけてないですか……? 私が押し付けといて、なんですけど」


「問題児だ」


「すみません……」


「庭の薬草を、根こそぎ食った」


「すみません……」


「干した洗濯物に、角を引っかけて回る」


「本当にすみません……」


「夜中に、鳴く」


「マジですみません……って、なんで私が謝ってるんだ。私、鹿じゃないんですけど」


「お主が連れてきたんだろうがッ!!」


「すみません……引き取り先、探します」


「……いや、いい」



 ソロンが、ぷいと目を逸らした。

 ——文句ばっかり並べるくせに、手放す気はゼロじゃないか。預けるときもあれだけ渋ったくせに。



 鹿が私から鼻を離して、ぐるりと首を回した。次の獲物を物色する顔だ。

 のっそりセリアに寄って、鼻先を、その手のひらに押しつける。

 ——氷漬けにされた上に、危うく輪切りにされかけた相手だぞ。警戒心がなさすぎる。

 セリアは、振り払わなかった。撫でもしない。されるがまま、鹿に手を貸している。

 鼻先で手を押されて、セリアの肩が、ほんの少し下がった。



 鹿が満足して、庭の隅で草を食み始めた。

 さて。本題だ。

 ——連れてきた時点で、先生はもう全部察してる気がするけど。一応、口に出しておく。



「先生。バディ、組みました」



 ソロンが、腕を組んだ。嫌な間。



「……順序が、逆だ。馬鹿弟子」


「順序?」


「組む前に連れてこいと、言っただろうが」


「あ……すみません。完全に、事後報告です……」


「まったく」



 溜息。——でも、声に棘はない。

 ソロンが、セリアに向き直る。一拍置いて、



「……アオイ。セリアンディエル様は、魔族ではない」



 いやそりゃ魔族じゃないだろ。

 ——あ。そうだった。「連れてこい」は、これのためだ。背中を預ける相手が擬態した魔族じゃないか、先生が見ておく。

 ……正直、すっかり忘れてた。茶でも飲んで帰るくらいの気分で来た。

 でも、それは口が裂けても言えない。また説教が始まる。

 私は、さも最初から分かっていた顔で、深く頷いた。

 ついでに、先生向けの「ちゃんと目的は覚えてましたよ」アピールとして、わざとらしく胸を撫で下ろしてみせる。



「さすがにセリアは魔族じゃなかったかぁ、良かった〜」



 隣から、視線が刺さった。

 セリア、ごめん。あとで何か奢る。

 ソロンが、セリアに軽く頭を下げた。



「……よく来てくださった、セリアンディエル様。むさ苦しい所ですが、茶くらいは出せます」



 それから、ふと、声の調子を落とした。



「……いつぞやは、馬鹿弟子をお助けくださったとか。あなたがいなければ、この子は魔族にやられていた。礼が、遅くなりました」



 ——うわ、なんか、むず痒い。

 ラークとミナの、あの一件のことだ。ソロン、覚えてたんだな。

 セリアが、わずかに目を伏せた。



「……いえ。……たまたま、通りかかっただけです」


「それでも、です」



 ソロンが、もう一度、頭を下げた。

 セリアが、居心地悪そうに視線を泳がせる。

 ……あの氷みたいなセリアが、たじろいでる。ちょっと、貴重だ。



 それから私に、顎をしゃくる。



「アオイも入れ。突っ立ってるな」



 ……待遇の差。



 居間に通された。

 壁一面、魔導書の山。埃と、乾いた紙の匂い。前に来た時と、一ミリも変わらない。

 手持ち無沙汰に、棚の背表紙を眺める。『寝癖永久固定術の書』。『詠唱時間半減術式の書』。『瞬間移動の魔導書(衣服は付いてこない)』。

 ……来るたび思うけど、先生の蔵書、ジャンルの振れ幅がおかしい。まともな学術書の隣に、絶対ふざけて書いたやつが平然と並んでる。瞬間移動できても着いた先で全裸って、戦場のど真ん中に裸で現れる魔法使いを、いったい誰が必要とするんだ。敵も困るだろ。味方はもっと困る。

 ……「詠唱半減」だけは、ちょっと欲しい。



 セリアがソファに腰を下ろす。私は向かいの椅子。

 台所から、湯を沸かす音。先生の茶は、長い。葉を量って、湯温を測って、蒸らしまで秒で計る。そういう人だ。

 ——二人きりになった、その時。



「……さっき」



 セリアが、ぽつりと口を開いた。いつもの淡々とした声。なのに、いつもより少しだけ、慎重だった。



「あの人が、あなたを呼んだ名前」


「アオイ? ああ、本名。こっちの言葉だと発音しづらいらしくてさ。ユズリハって、実は名字なんだよ」


「…………」



 セリアは、それきり黙った。

 膝の上の指先が、握るでもなく開くでもなく、一度だけ動いた。

 足音。ソロンが茶を三つ、盆に載せて戻ってきた。



「セリアンディエル様」



 セリアの前に、湯呑みを置く。



「……ありがとうございます」



 ——え。あのセリアが、両手で受け取って、かしこまって礼を言ってる。

 ソロンが、セリアの正面に腰を下ろした。

 二人が、ほぼ同時に茶に口をつけ、ほぼ同時に湯呑みを置く。初対面のはずなのに、妙に、息が合っている。

 ……沈黙。

 いや、違う。これは沈黙じゃない。

 ソロンがセリアを見ている。何かを確かめるみたいに、じっと。セリアは目を伏せて、動かない。言葉は、ひとつもない。

 なのに——なんだ、この空気。



「あの……何か話そうよ」



 無視。ソロンがもう一口、茶を飲んだ。セリアも飲んだ。

 ——強者二人がかりの黙殺。地味に胃に悪い。

 と、ソロンが、ふと目を細めた。そして、セリアを見たまま——今度は、ちゃんと声に出した。



「……抑えておられますな」


「……分かりますか」


「隠すほどのものでも、ないでしょうに。——勿体ない」



 何の話だ、これ。強者にしか分からないテレパシーか何かか。

 抑えてる。——何を?



「あの……魔力の話?」



 二人が、同時にこっちを見た。そして、同時に、目を逸らした。

 ——いや待って。二人して逸らさないで。

 肯定も否定もしてくれないと、当たってるのか外してるのかも、分からないんだけど。

 ソロンは答えず、窓の外を見た。庭で鹿が、のんびり草を食んでいる。

 ……鹿を口実に、しれっと話を流したな。この人。

 ソロンの目が、ふいに、私に向いた。



「どちらから、誘った」



 無視しておいて、それは聞くのか。



「……私からです」



 ソロンが頷いて、また、セリアに向き直った。



「その誘いを、なぜ受けてくださった」



 セリアの肩が、わずかに上がった。



「……この子の、力が要る」


「……それだけですか」


「……それだけ」



 二度目の「それだけ」が、最初より小さい。

 ソロンは、何も言わなかった。茶を一口含んで、セリアを見ている。長く。

 その目が「それだけ」を信じていないのか、ただ眺めているだけなのか、私には読めない。

 ——でも、引っかかってるのかもしれない。エルフが人間を選んだことに。



 ソロンが、ふっと、息を吐いた。



「悪くない」



 不意に、ソロンの声が、柔らかくなった。聞いたことのない声だ。



「……任せられる」



 セリアに向けて。静かに、はっきりと。

 「自分で考えろ」「甘えるな」が口癖のこの人が、他人に「任せる」と言った。



「この馬鹿弟子は、放っておくと無茶をする」


「ちょっ……」


「腕は悪くない。頭も回る」


「急に褒めた」


「だが、肝心なところで自分を勘定に入れん」


「褒めてなかった」


「打てる手が残っていると見ると、引かん。守りも退き際も、すぐ後回しにする」


「ぐっ…………」


「……知り合って間もない頃、私に模擬戦を挑んできました」


「セリア、それ今言う?」


「……事実」


「馬鹿者、死んでも文句は言えんぞ」



 ——返す言葉が、ない。

 ソロンが、盆に湯呑みを集める。

 その手が、一瞬、止まった。指先が、かすかに震えて——かちん、と湯呑みが鳴った。

 ソロンは何も言わず、盆を持って、台所へ消えた。



 帰り際。

 玄関先で、ソロンが見送りに出てきた。例の鹿も、ちゃっかりセリアの袖を鼻で押している。

 セリアが、おそるおそる、角の根元に触れた。鹿が、気持ちよさそうに目を細める。

 それから、もう一度。今度は、耳の後ろに。慣れない手つきだった。



「先生。また来ますね」


「来んでいい。来るなら、菓子を持ってこい」


「……はい」



 ——来んでいいって言いながら、しっかり条件をつけてくるじゃん。

 木戸に手をかけた、その時。



「…………また、伺います」



 ——え。

 振り返る。セリアが、ソロンに向かって、さっきより深く頭を下げていた。

 来たくないって、あれだけ渋ってたのに。

 ソロンは、何も言わなかった。ただ、小さく顎を引いただけ。



 木戸をくぐって、坂を下りる。

 隣のセリアの足取りが、来た時より軽い。



「……私を、魔族だと疑っていたの?」


「あ、いや、疑ってないって。あれは先生が、査定したくて呼んだだけで」


「なのに、わざわざ胸を撫でてみせた」


「…………」



 ぐうの音も出ない。……あとで本当に、何か奢ろう。



「ソロン、どうだった」


「……悪くない人間」


「それ、セリアの中だと最大級の褒め言葉でしょ」


「…………」



 否定しない。——肯定だ。

 この人の「悪くない」が最上級だって、なんで私が分かるんだろう。……分かるんだよな、なぜか。



「……『任せられる』って、重いよね」


「……」


「先生があんな風に言うの、初めて聞いた。……勝手にお守り役を任されて、セリアこそいい迷惑だよね」



 フィルの言葉が蘇る。エルフにとって、人間の一生はまばたきの間だ、と。

 何十年もかけて選ぶ相手を、この人は、私にした。

 効率がいいから。連携しやすいから。私の力が要るから。理由なら、並べられる。

 でも、それで割り切るには、フィルの声が、耳に残りすぎてた。

 ソロンは、私が帰りたがっていることを知っている。だから、あの「任せられる」は、たぶん永遠の話じゃない。

 それでも——セリアはどうなんだろう。この人は、どれくらい先まで見て、頷いたんだろう。



「……迷惑なら、組んでいない」



 短い返事。でも、いつもみたいに突き放す響きじゃなかった。

 夕暮れの坂。石畳を踏む足音が、二人分。来た時と同じ道なのに、空気だけが違う。



 坂の下に、王都の灯りが見え始めた。

 ——お主を、任せられる。

 また、ソロンの声が耳の奥で鳴った。

 そこで、足が止まった。

 私はまだ、あの人に肝心なことを話していない。

 ミルシェのこと。トールのこと。先生の教えを使って、私が何をして、何が起きたのか。

 このまま坂を下りたら、また、先送りにする。

 隣で、セリアが足を止めた。私を、見る。



「……先に行ってて。もう少しだけ、先生と話してくる」



 セリアは、一秒だけ私を見て、何も訊かなかった。

 小さく頷いて、坂を下りていく。足音が石畳に吸い込まれて、夕暮れの中に消えた。

 ——振り返る。坂の上に、ソロンの家。屋根の苔が、夕日に光っている。

 ひとつ、息を吐いた。

 足を、踏み出した。

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