バディ
翌日。ギルドに向かう道。朝の空気が冷たい。
昨日、セリアはギルドから飛び出していった。出口を間違えるくらい慌てて。「明日にする」と言い残して、それきり、顔を合わせていない。
——その明日が、今日だ。正直、来ないかも、とちょっと思ってた。
でも、いつもの場所に、普通に立っていた。何事もなかったように。何も言わずに。
……メンタルどうなってるんだ。
昨日はあんなに取り乱して、逃げるように帰った人だ。それが一晩で、完全に元通り。何事もなさすぎて、逆に怖い。
私なら気まずくて、当分この道は通れない。
そうして今、私たちは並んで歩いている。足音が二人分、等間隔に響く。
隣を見た。顎を引いて、前だけを見ている。いつもより少し距離が遠い。
昨日、ミルシェに「バディ組まないの」と言われた。——今はまだ、ただの臨時パーティだ。
虚ろの迷宮。元の世界に帰る魔導書が、あそこにある。ソロは禁じられてるし、そもそも一人で潜れる場所じゃない。生きて持ち帰るには、強い味方と、自分の地力——その両方が要る。今のままじゃ、まるで足りない。
ミルシェの話だと、バディなら専用依頼が受けられる。二人連携前提の高難度で、報酬も割増。継続して回せば、Aランク帯の実戦を積んで、地力も上がる。
それに——相手がセリアなら、噛み合わせも悪くない。あの人は魔族を見破る。擬態していても、検知は誤魔化せない。見つけて、暴いてくれれば、安心だ。魔族に殺されかけた身としては、先に気づける目が隣にあるのは……とてもありがたい。
向こうにとっても、悪い話じゃないはずだ。私と組んでるのは、連携の手間が要らないから——本人が、そう言っていた。今さら別の誰かと一から組み直すより、このままバディに切り替えた方が効率はいい。提案してみよう。断る理由はないはずだ。——いつ切り出すか。今か、ギルドに着いてからか。……ギルドにしよう。掲示板を見ながらの方が自然だ。
ギルドに入った。
——何人かの視線が、ちらりとこちらに向く。すぐ逸れて、また戻る。……昨日、ミルシェが妙なことを言って、ちょっとした騒ぎになったからな。あれを見てた連中が、まだ面白がってるんだろう。
「なんか見られてる気がする」
「……いつものこと」
短い返事。
まあ、この人が注目されるのは毎度のことだ。私が気にしても始まらない。
掲示板の前に立った。昨日の続き。A依頼を選ぶ。
……切り出すなら、ここだ。依頼書を見ながらの「ついで」を装える。改まって呼び止めるより、よっぽどさりげない。
セリアの視線が、依頼書の上を移っていく。その指が次の一枚に伸びる、ほんの手前——今だ。
「セリア」
「……何」
「バディ、組まない?」
セリアの手が、宙で止まった。掲示板に伸ばしかけた指を、下ろさないまま——こちらを向く。
「……理由は」
理由なんて聞くまでもないだろ。
——組むメリットなら、数えればいくらでも出てくる。あとは、どれから挙げるかだ。
「専用依頼が受けられる。報酬も増える。それに——今さら別の誰かと一から組み直すより、このまま固定した方が早い。連携の手間が要らないって、自分で言ってたじゃない。……要は、効率の問題」
一拍、間があった。
「……合理的だと思う」
セリアが前を向いた。声は平坦だった。いつもの、感情を乗せない声。
そこで、ようやく気づいた。——周りが、静まり返っている。
近くのテーブルで、冒険者がフォークを宙に止めたまま、こっちを見ていた。
……え、何。思わず周りを見回す。どこを向いても、誰かと目が合う。何だこれ。
「……登録、するんでしょ」
セリアの声に、我に返った。当の本人は、これだけ見られていても眉一つ動かさない。——ああ、そうだ。私が気にしてどうする。
「うん……じゃ、行こう」
カウンターに行った。受付はメリルだった。
バディ登録の書類を出すと、メリルが一瞬だけ手を止めた。こちらを見て、セリアを見て、もう一度こちらを見た。何かを言いたそうな顔。——でも口には出さない。口元がひくついている以外は、一応プロの顔を保っていた。
……なんでそんな顔をするんだ。
たまらず、隣のセリアを見上げた。——ねえ、私たち、何かおかしなことした?
セリアは正面を向いたまま、眉ひとつ動かさない。目も合わない。
「……確認させていただきます」
メリルが書類を読み上げ始めた。声が妙に丁寧だった。——というか、力がこもっている。
書類の読み上げというより、二人に言い聞かせている感じだ。
「バディ登録は排他的な制度です。登録後は、お二人とも他の方とバディを組むことはできません」
「はい」
「連帯責任が発生します。片方の違反や失態は、もう片方にも影響します」
「はい」
「解消には双方合意の上、正式な手続きが必要です」
「はい」
……利用規約の読み合わせみたいだな。他の誰とも組めない。どちらかがやらかせば、二人まとめて責任を負う。やめるにも、双方そろって手続きが要る。
——これ、並べてみると、ほとんど婚姻届では?
危うく口に出しかけて、飲み込んだ。
メリルが顔を上げた。
「……よろしいんですね?」
たかが書類のはずなのに、メリルの目が、やけに真剣だ。その念の押し方だと、軽く頷いていいのか分からなくなる。
……本当に、いいんだよな?
「……問題ない」
セリアだった。迷いもなく、即答で。
——だよな。私が今さら、何を迷ってる。
「……大丈夫」
私は頷いた。
セリアは無言でペンを取った。その手が、一瞬だけ止まる。それから、自分の欄にサインした。
続いて、私も名前を書く。セリアの筆跡は細く、真っ直ぐだった。
メリルが処理を進めて、掲示板のバディ欄が更新された。
二つの名前が、「&」で繋がっている。——登録完了。これで専用依頼が受けられる。
その途端、ロビーのあちこちでざわめきが弾けた。
「やっぱ蟲で操ってたんじゃ……」と聞こえた。またか、蟲でどうやって操るんだよ。てかその設定どっから出てきたんだよ。——違う、と言って回る気力は、とっくに尽きていた。好きに言ってくれ。
そういえば、肝心の依頼を選びそびれた。——まあ、今日のところは、登録できただけで十分か。続きはまた今度でいい。
セリアはまだ掲示板を見ている。私はそろそろ行こうと、出口の方へ足を向けた。
——その、直後だった。
「——ちょっと」
声が飛んできた。鋭い。棘がある。
「待ちなさい。そこの、あなた」
……反射で振り返ってしまった。ばっちり目が合う。退路、消滅。
思わず、身構えた。——見覚えのある女だ。冒険者の装備。
前にミルシェが「ちょっと怖い」と言っていた、セリアの追っかけ。「セリアンディエル様」を連呼してはギルドに張りついている、相当なガチ勢。
……ああ、出た。一番面倒なのが、一番まずいタイミングで来た。セリアの隣にいる以上、いつかこの手のに絡まれるんじゃ——という嫌な予感の、当たってほしくない方。
目の据わり方が、普通じゃない。涙が乾いた跡に、怒りが塗り重ねられている。
「あなた、ユズリハよね」
「あ……はい」
「私、ヴィーナ。セリアンディエル様を、誰よりお慕いしている者よ。——今の、見たわ。あなたなんかが、あの方の隣? 身の程を知りなさい」
——いきなり何なの。
……まあ、分からなくはない。これだけ慕われてれば、私みたいなのを面白く思わない手合いも出てくる。——けど、それにしたって露骨だな。普通に、嫌な気分になる。
「身の程」って何だ。実力ならセリアの方がずっと上なのは認める。でも、バディは利害が合えば組むもので、格も序列も——
「——何かの間違いでしょう。あの方が、あなたなんかを選ぶわけがない」
女の声が、上ずっていた。語尾が震えている。
女が一歩、詰め寄ってくる。
「だから、今すぐ、その登録を取り消し——」
そこで、空気が変わった。
セリアが一歩、前に出た。私とその女の間に。
背中が見える。細い。でも壁のように揺るがない。
「——私がふさわしいと思う相手は、私が決める」
声は静かで、短かった。荒げもしない。
なのに、女の顔が凍りついた。半分開いた口が、塞がらない。
「…………」
女は黙ったまま、身を翻した。逃げるように。ギルドの扉が乱暴に閉まる。
沈黙が落ちた。——二秒くらいで破れた。
あちこちから、感嘆のため息が漏れた。一番奥のテーブルから拍手が一つ。すぐ止まった。隣の席の奴に肘で突かれたらしい。
セリアの横顔を見た。
……驚いた。あの人が、私のために前に出るなんて。
——砂漠で水をもらって、魔族に襲われて死にかけたところを助けられて、アルミ玉も取り返してもらった。そして、今日も。借りが増えるばかりだ。
いつものノリで、軽く礼を言えばいい。——なのに、茶化す言葉が、出てこなかった。
「なんか……ありがと」
「……あの人間、前から目障りだった」
いつもの一言だ。セリアはそれきり口を閉じて、前を向いた。こっちは見ない。
セリアが専用依頼の掲示板を見に行った。その隙に、奥のテーブルからフィルが手招きしてきた。さっきの一部始終を見ていたんだろう、こっちへ来い、という顔で。
フィル相手だと、妙に構えずに話せる。同じ協会の認定をくぐってきた同業だからか、ギルドの冒険者連中とは、どこか勝手が違った。私はセリアの背中をちらりと見てから、そっちへ寄った。
椅子にもたれたフィルが、こっちを見上げた。銀の短髪から、長く尖った耳の先が覗いている。
「セリアンディエル様とバディ? ……どうやったんだ」
「どうって……『バディ組まない?』って聞いただけだけど。なんでみんな、こんな大騒ぎなんだろ」
「聞いただけ、って……お前、分かってないな。バディは、解消するまで他の誰とも組めない。相棒を一人に決める、重い縁だ。——しかも相手が、あのセリアンディエル様だぞ。ギルド中がざわつくに決まってる」
……制度が重いのは、さっきの説明で分かった。でも、それにしたって、騒ぎが大きい気がする。相手がセリアってだけで、こうなるものか?
フィルが、少し声を落とした。
「……エルフと人間のバディなんて聞いたことがないぞ」
「えぇ……そうなの?」
フィルが、薄青の目をふっと伏せた。その横顔は、若いとも、ずっと年上だとも取れる。
「悪く思わないで欲しいんだが……。——人間は、すぐ死ぬだろ。年を食えば、あっという間に剣も振れなくなる。俺たちからすりゃ、まばたきの間だ。背中を預けて、最後まで見届ける相手だからな。……俺なら、相棒を決めるのに、何十年だってかける。人間が相手なら、なおさらだ。その俺から見ても、あの方がお前を選んだのは、よっぽどのことだぞ」
「……はあ」
フィルは軽い口ぶりだったが、その目だけは、本気だった。
面と向かって「すぐ死ぬ」と言われるのも、なかなかだな。否定はできないけど。
——何十年もかけて相手を選ぶ種族が、人間の私と、こうもあっさり。「人間とは合わない」って、前に言ってたくせに。……まあ、それだけ組むのが効率的だった、ってだけの話だろう。たぶん。それ以上でも、以下でもない。
それに、どのみち私は帰る。「一生もの」なんて、しょせん私には縁のない言葉だ。
フィルが、ふっと声の調子を戻した。
「しかし——セリアンディエル様と組んでりゃ、Aランクも受け放題だろ。……いいよなあ」
「役得に見える? こっちは命がけだけど」
「それでも、代わってほしいくらいだよ」
軽口のわりに、最後のひと言だけ、妙に実感がこもっていた。
帰り道。今日は二人だった。
昨日と違って、セリアは帰らなかった。隣を歩いている。足音が二人分、石畳に響く。朝と同じ音。でも、朝より少しだけ、間隔が近い。
「……そういえば。先生に報告しないと」
「……先生?」
「ソロン。バディを組む相手ができたら連れてこいって、前に言われてたの思い出した」
セリアが半歩だけ足を遅くした。
「……なんで」
「まあ、師匠だし。業務報告みたいなものだよ。——今度、時間できたら一緒に行ってくれたら嬉しい」
「…………」
何か気が進まないらしい。急に師匠に会わせるなんて言われたら、そりゃ身構えもするか。バディを連れて師匠に会いに行くなんて、流れだけならほとんど結婚の挨拶だ。……いや、違うけど。
まあ——こっちの都合に付き合わせるんだ。悪いとは思う。
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしていた。
影が重なっている。半歩の距離。いつもと同じ。——でも今日は、その影がバディの影だ。
……変わったのは、紙の上の関係。それだけのはずなのに。
——いや、今はそれより、ソロンだ。気難しい元Sランクの師匠と、無愛想なセリア。あの二人を引き合わせたら、どんなことになるんだろう。……正直、まるで想像がつかない。




