勘
依頼の帰り道だった。日が傾いて、影が長く伸びている。
すれ違った旅装の男女が、当たり前みたいに手を繋いでいた。仲が良いものだな。
セリアが、その二人を目で追っていた。
会話はない。セリアは無駄口を叩かない。
前は、この沈黙が少し気まずかった。何を考えているのか分からなくて、隣にいるのに距離を感じた。——でも今は、不思議と嫌いじゃない。
……ただ、さっきからセリアが何か言いたげだった。
しばらく歩いて、ようやく切り出した。前置きはなかった。
「……前に、あの子が言ってた」
「あの子?」
「……『お似合い』とか、『恋人』とか」
ああ、ミルシェか。頼むから、あの子、とかじゃなくて名前を言ってくれ。……結構前だ。協会の任務に行くより、前。「私とユズリハちゃん、お似合いだと思わない?」って、勝手に盛り上がってたやつ。あの時セリアは「ありえない」とだけ言って、さっさと先に行ってしまった。
……あれ、地味に失礼だったよな。ありえないって、ばっさり。べつにどうとも思っちゃいないけど、あそこまできっぱり切り捨てられると、それはそれでムッとくる。
で——その「ありえない」を言った本人が、なんで今さら蒸し返すんだ。
「ミルシェのからかいでしょ。誰にでもああいうこと言うし」
「……あの子は、本気かもしれない」
思わず、セリアの顔を見た。いつもの無表情だ。
「あなたは、否定しなかった」
「『勝手に決めるな』みたいなこと言ったと思うけど」
「……あなたは、こう言った。『誰が誰と一緒にいようが、本人が幸せならそれでいい。いちいち口出しすることじゃない』」
なんで一言一句覚えてるの……。エルフって記憶力いいのか?
「そっち? ……言ったかもしんないけど。——それが、何か? 気に障った?」
「……相手が、魔族でも?」
魔族と人間が恋仲になることについて、私がどう思うか聞いてるのか……?
今日のセリアは、いつになく食い下がる。
「殺意がある魔族と人間が共存できるかは分からないよ。でも、互いに悪意がなくて、一緒にいたいと思ってるなら、種族は関係ないんじゃない?」
「……同性でも?」
声が、ほんの一瞬、詰まった。
ん? もしかしてミルシェと私について聞いてる……?
あの子の「好き」が何なのかは、まだ本人にも分かっていない。私が勝手に恋愛扱いする話じゃない。それに、自分が当事者になる想像はできない。
「はぁ……正直、どっちでもいい。本人たちが良ければ、それでいいと思う」
ポケットの中でアルミ玉を転がしながら答えた。
セリアがしばらく黙っていた。視線が、足元に落ちている。
「……なんで」
「なんで?」
「……そんなふうに、割り切れるの」
腑に落ちていない声だった。
「うーん、そもそも恋愛に興味がないからかな。誰が誰と一緒になっても、特に引っかからないんだよ。それだけ」
「……興味」
オウム返しに、セリアが小さく繰り返した。
「……そう」
それきり、セリアは何も言わなかった。前を向いて、また歩き出す。半歩、私より先で。その背中は、もう何も聞いてこなかった。
二人分の足音が、少しずれて鳴っている。
「興味がない」と答えた途端、糸が切れたみたいに静かになった。
……結局、何が聞きたかったんだよ。
半歩先の背中が、いつもより少しだけ遠く見えた。
ギルドに着いた。
依頼の報告書を片手に、正面の入り口をくぐる。冒険者がまばらに座っていて、カウンターには短い列ができていた。いつもの光景だ。
入り口近くのテーブルから、ひそひそ声が漏れてきた。
「蟲使いがセリアンディエル様を蟲で操ってるって説あるらしいぞ」
「マジ?」
……そんなわけないだろう、誰だよそんな噂流した奴。
私の隣にセリアがいた。前を歩くのは、やめたらしい。いつの間にか横に並ぶようになった。
ロビーの椅子から、ミルシェが手を振った。ホットミルクの器を片手に、満面の笑みで駆け寄ってくる。
私とセリアを見比べて、にやっと。
「お♡」
目の前で、意味ありげに笑っている。
「お疲れ。……なに、その『お』って」
「なんでもない♡」
にこにこしている。何がそんなに楽しいんだ。
列に並ぶ。——ミルシェも、なぜか付いてくる。暇なのかな、この子。暇なんだろうな。
順番が来た。報告書を渡す。依頼内容の確認。討伐数。回収物。特記事項。受付の職員がてきぱきと処理していく。ミルシェはカウンターの横に張り付いて、一部始終を見物していた。
セリアが隣で補足した。
「——四体目は奥の広間で。……そこは——……ユズリハが処理した」
一瞬、間があった。……なんかぎこちないな。
あの焚火の夜からユズリハ呼びを使うようになったけど、まだ慣れてないらしい。
ミルシェが私の耳元に顔を寄せた。小声で、でも楽しそうに。
「名前呼びしてるね♡」
セリアの目が、横から刺さっている。——エルフの耳は伊達じゃない。
ミルシェは気にしていない。気にしないどころか楽しんでいる様子だ。
睨まれているのは、なぜか私だ。耳打ちしてきたのはミルシェなのに。セリアはこういうじゃれつきが、どうも苦手らしい。間に挟まれるこっちは、たまったものじゃない。——早く、この空気から抜けたい。
そう思っていたら、ちょうど報告も終わった。振り返ると、受付の奥が騒がしい。
冒険者が一人、メリルに詰め寄っている。大柄な男。胸元にBランクのプレートが光っていた。低い声が刺すように通る。
「あの時何て言った? 『Cランクさんには難しいかもしれませんね』だっけ? 思い出せよ」
メリルの営業スマイルが引きつっている。昇格して戻ってきたらしい。見下されていた時の記憶を、持ったまま。
周りのスタッフは目を逸らしている。この人の二枚舌は、みんな知ってて、見て見ぬふりだ。
……自業自得なんだけど、見てると胃が痛い。
ミルシェが動いた。
気づいた時にはもう、二人の間にすっと入っていた。笑顔。声に力みがない。
「Bランクになったんだね♡ おめでとう♡」
男が、一瞬きょとんとした。
「……何だ、お前」
「悔しかったでしょ♡ でも、ちゃんと強くなって戻ってきた。……すごいね♡」
敵意も、仲裁も、説教もない。ただ、本気で褒めている。
男は何か言い返そうとして——口を閉じた。胸元のプレートに触れ、周囲の視線に気づいたように顔を上げる。
「……もういい」
それだけ吐き捨てて、男は離れていった。
怒鳴っていた時より、その背中は少しだけ大きく見えた。
メリルの顔に安堵が走り、次の瞬間、固まった。自分が冷たく当たっていた相手に助けられた——その事実が、営業スマイルを剥がしている。声が、わずかに震えていた。
「……あなた、もしかして今の——助けたつもりですか?」
「え?♡ あの人、認めてほしそうだったから♡」
ミルシェは笑っていた。あっけらかんと。
メリルが何か言いかけて、口を閉じた。初めて見る顔だった。
あの男が欲しかったのは、勝ちでも謝罪でもない。たぶん、認められることだった。ミルシェはそれを、駆け引き抜きで、見たまま手渡しただけだ。……大したものだと思う。
ミルシェが戻ってきた。
「なんで助けたの? メリルさん、ミルシェにめちゃくちゃ冷たかったじゃん」
「うん♡ でも困ってた♡」
「……強いな、ミルシェは」
ミルシェが私の腕に抱きついた。
唐突に。何の前触れもなく。腕に当たる柔らかさと、甘い匂い。
いつものことだから、振りほどく気にもならない。ミルシェのこれには、悪意も狙いもない。ただ、くっつきたいだけ。——だから、無下にできない。
「ユズリハちゃんは、ちゃんと見ててくれるね♡ だから好き♡」
——背後から、冷気。
振り返ると、セリアが、無言でミルシェを見ていた。氷みたいな目で。
「セリアンディエル様も、ぎゅってする?♡」
セリアは答えなかった。
代わりに、指先でミルシェの器に触れた。ぱきっ、と小さな音。湯気を立てていたホットミルクが、一瞬で凍っていた。
「……冷たっ」
ミルシェが反射的に手を引っ込めかけ、凍った器を取り落としそうになって、慌てて抱え直す。
「ちょっと……。子供じゃないんだから」
「あなたより何年も生きてる」
その長い人生で、極めたのが、ホットミルクの瞬間冷凍か。
横顔は無表情。怒ってるのか、何なのか、読めない。
ミルシェが凍った器を眺めて、むしろ嬉しそうにしている。
「アイスミルクになっちゃった♡」
無敵なのかな。何をされても、傷ひとつつかない。
「ミルシェってさ、裏がないよね」
「えー? セリアンディエル様もだよ♡」
……ミルシェがちらりとセリアを見る。セリアは無表情のまま、視線を合わせない。
「セリアも?」
「裏がある人はもっと上手に隠すよ♡ セリアンディエル様は不器用なの♡」
……なるほど? いや、なるほどか?
「ねえねえ、二人はバディ組まないの?♡ 専用依頼受けられるし、報酬も上がるのに♡ なっちゃえば?♡」
——声はいつも通りのからかいだ。なのに、目だけはこっちをじっと見ている。
隣のセリアを見た。ちょうど向こうもこちらを見ていて、目が合う。
セリアは何も言わなかった。私も、何を言えばいいのか分からず、先に目を逸らした。
「いや、なんでそうなるの」
「だってセリアンディエル様♡ ……ユズリハちゃんのこと好きでしょ♡」
「……は?」
咄嗟に声が漏れる。セリアが、目を見開いている。
——ギルドが、静まった。
まず周囲の会話が止まった。次にカウンター越しにこちらを見る視線が増えた。三つ、四つ、五つ——数えるのをやめた。空気が凍っている。セリアの魔法じゃなく。
ぶしつけな視線が、私とセリアを行き来している。なんでそんなに食いつくんだ。……居心地が悪い。
「いやいや、ミルシェ。それはないよ」
私はため息をついた。人間嫌いで通ってるエルフが、よりにもよって私を好きだなんて。
「え?♡ なんで?♡」
セリアがミルシェを睨んだ。唇が引き結ばれている。
「……何を根拠に」
声が、いつもより硬い。
ミルシェは怯まない。にこにこしたまま答えた。
「勘♡」
「……くだらない」
「くだらなくないよ♡ だって今、耳赤い♡」
「…………っ」
セリアが顔を背けた。——拳を、きつく握っていた。
耳が、確かに赤い。……ありもしないことを、こんな大勢の前でからかわれてるんだ。頭にくるのも当然だろう。
周囲がざわついていた。まあ、セリアは目立つし、な。こっちも気まずいから、さっさと撤回するなりなんなり——
「……帰る」
「は? え、なんで。依頼まだ決めてないけど」
「……明日にする」
セリアが踵を返した。顔を背けたまま、足が速い。——前を見てないから、カウンターの方に突き進んでいる。
「セリア、出口そっちじゃない」
足が止まった。一拍。無言で方向を変えた。振り返らない。
ギルドの扉がばたんと閉まった。ギルド内に、ざわめきの残響が漂っている。
……そこまで慌てて帰るようなことか? いつもの調子で切り捨てて終わり、でいいだろうに。
隣のミルシェは凍ったホットミルクを、まだ大事そうに抱えている。
「セリア怒らせちゃったんじゃ……」
「え? 怒ってないよ♡ 照れてるの♡」
「あれが、照れてる?」
ミルシェが首を傾げた。不思議そうに——でも、どこか確信のある目で。
「照れるよ♡ 好きな人の前では」
「照れたようには見えなかったけど……ミルシェにはそう見えた?」
「よく分かんないけど♡ ……同じだから、たぶん分かるの♡」
——同じ、って何が。それ以上は、訊かなかった。
帰り道。セリアが先に帰ってしまったので一人だった。依頼どうするんだよ。
ミルシェはフィルたちと合流すると言って残った。「また明日ね♡」と手を振っていた。変わらない笑顔で。
いつも通りの夕暮れのはずだった。でもギルドでの騒ぎが頭にこびりついて離れない。
セリアが私を好き? ……ないない。
確かに、あの夜から何かが変わった。名前で呼ばれるようになった。沈黙も、前ほど遠く感じない。
けれど、組んでるのは、元はただの数合わせだ。背中を預けて、痛いところまで見せ合って、戦友くらいには認められたかもしれない。でも「好き」はさすがに、行きすぎだ。——あの人の集落を焼いて、帰る場所も、隣にいた誰かも奪った。その人間と、私は同じ顔をしている。その顔で、平然と隣を歩いているんだ。憎まれていないだけ、上出来だろう。
ミルシェの勘は鋭い。それは知ってる。メリルの二枚舌も、さっきの男の本音も、ちゃんと見抜いていた。でも勘は勘だ。根拠がない。
——だから、ない。
夕暮れの街を歩いた。人通りが少ない裏道。石畳を踏む自分の足音だけが響く。
それでも——あの赤い耳だけは、頭から離れなかった。出口を間違えるくらいの動揺。あの人にしては、異常値だ。
「バディ組まないの?」——ミルシェの言葉が、もう一つ、頭の隅に引っかかったまま取れなかった。




