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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
ゼロからのリビルド

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ユズリハ

 問題は、鹿だった。

 ダンジョンから連れ帰った元魔物。殺意は消えたが、見た目は魔物のままだ。肥大した角。うっすら赤い目。こんなのを正門から堂々と連れ込んだら、衛兵に射殺される。

 裏道を使った。

 人通りの少ない路地を選んで、壁沿いに進む。鹿は大人しくついてくる。問題は角だ。路地の幅より角の方が広い。曲がるたびに壁に引っかかる。ダンジョンの通路でもやったこの作業を、街中でもう一回やっている。

 角を掴んで押し込む。鹿が鳴く。うるさい。静かにしてくれ、頼むから。

 セリアは三歩先を歩いていた。一度も振り返らない。鹿のことなんて知らない、と言わんばかりの背中だ。あんたも手伝え。

 裏路地の角を曲がった瞬間、向こうから住人が歩いてきた。目が合った。視線が私の顔から——鹿に移動した。

 悲鳴。



 「ま、魔物——!」



 違う。違うんです。おとなしいんです。——説明する暇もなく、住人は走り去った。鹿はきょとんとしている。

 セリアが足を止めた。こちらを振り返りはしない。ただ、悲鳴の消えた路地の先へ視線を走らせた。



「……急いで」



 鹿の世話はしないくせに、危機管理は怠らない。衛兵を呼ばれる前に動け、か。——分かってる。

 住宅街に入る手前で、足を止めた。



「ここまでで大丈夫。助かった。——報告、任せていい? こいつ連れてギルドには行けない」



 セリアは鹿を一瞥して、小さく頷くと、踵を返した。完了報告は、あの人が出してくれる。鹿のことは——書かないだろう。聞かないでいてくれる人が、わざわざ書くわけがない。

 その背中を見送って、私は鹿を連れて路地の奥へ向かった。

 大丈夫。こいつには、ちゃんと行き先がある。緑に囲まれた、広い庭のある、静かな家。のびのびと余生を過ごせる、いいところだ。



 ——で。

 ソロンの家に着いた時には、もう三回悲鳴を聞いていた。通報される前にたどり着けたのは奇跡だと思う。



 「なぜわたしに押し付けるのだ」と第一声で言われた。ごもっとも。でも仕方ないじゃん、他に当てがないんだもん。

 「庭を荒らされたらどうする」「餌は誰が用意するのだ」「そもそもわたしは鹿の世話などしたことがない」——文句が十分くらい続いた。長い。でも玄関は閉めない。ソロンは、断る気がある時はもっと早く扉を閉める。

 「荒らしたり壊したりしたら、片付けは私がしますから」と食い下がると、ソロンが首を振った。



「要らん。お主に後始末はさせまい」



 ——え。そこは引き受けてくれるんだ。

 結局、渋い顔のまま鹿の首を撫でていた。鹿も鹿で、初対面のソロンにすり寄っている。

 ……私はなんだかんだソロンが面倒見がいいことは知ってる。なんせ一番弟子だからな。——一番も何も、弟子は私だけだけど。伝説の賢者を、魔物のお守り役に任命完了だ。



 鹿を預けてから、数日後。

 別の依頼の帰り道だった。想定より奥まで足を延ばしたせいで日帰りが厳しくなって、街道沿いの森で野営を張ることにした。セリアが薪を組み、私が火をつける。

 焚火が、()ぜた。



 ゆらゆらと揺れている炎を見ると、あの村の焚火を思い出す。

 四人で火を囲んだ夜。ユーゴが夢を語って、フィーネが小さな氷の人形を作っては溶かしていた。

 火の前では、人は少しだけ素直になる。暗がりの中で自分の表情が隠れるからか。相手の顔もぼやけるからか。

 ——あるいは、炎だけを見ていれば目を合わせなくていいからか。……焚火、嫌いじゃない。



 火にかけた鍋から、湯気が立っていた。干し肉と根菜を放り込んだだけの雑なスープ。料理と呼べるかは怪しいけど、温かいものが腹に入るだけでありがたい。

 セリアの前に器を置いた。セリアは黙って受け取り、一口だけ啜った。

 ——一口。そこから、進まない。



「……食べないの」


「……足りてる」



 足りてるって、一口で。

 エルフは代謝が人間と根本的に違う。少量の食事で長く活動できるらしい。おまけにかなりのショートスリーパー。数百年生きる体の燃費は、そうでないと合わないのかもしれない。

 私は自分の分をさっさと平らげた。空腹が最高の調味料だ。

 虫の声が遠くで鳴いていた。風が木の葉を揺らす音。食事が終わると、焚火と沈黙だけが残った。

 ふと、空を見上げた。星が多い。異常に多い。街灯がないから当然なんだけど——何度見ても慣れない。

 北斗七星がない。オリオン座もない。知ってる星座が、一つもない。……当たり前だ。ここは別の世界なんだから。でもこうして空を見上げて知らない星ばかりだと——遠いな、と思う。



 セリアは火の向こう側に座っていた。

 膝の上に置いた器はほとんど減っていない。その横に剣。炎を見ている。赤い瞳に、火の色が映り込んでいる。



 セリアが、こちらを見た。



「……一つ、聞いていい」



 セリアの声は低く、静かだった。視線はすぐに炎に戻っていた。



「何」


「あの鹿。あれと同じことを……あの魔族の子にも、したの」



 ——「魔族の子」。ミルシェのことだ。

 あの鹿の時も、ミルシェの角の時も、私は「手術」と言った。それで繋げたんだろうな。



「……ああ。あの子は元々、殺意がなかった。暴れてた根っこを、閉じただけ。擬態が落ち着いたのは、そのついで」



 それ以上は、言わなかった。トールのことも、森鼠のことも。聞かれたことだけ、答える。

 セリアは、小さく頷いただけだった。

 ——これだけ組んできても、私はこの人自身のことを、ほとんど知らない。

 今夜くらいは、いいだろう。まともに答えてくれる気がしないけど。



「一つ答えたから、一つ聞いていい?」



 セリアの目が、ちらりとこちらを向いた。



「……何」


「セリアはなんで人間が嫌いなの」



 薪が崩れた。小さな火の粉が舞い上がって、沈黙を埋めた。

 セリアの表情は変わらなかった。でも——剣の柄を握る指先に、力が入った。



 ずっと気になっていた。

 最初はただの差別主義者だと思っていた。人間を見下す、高飛車なエルフ。

 でも——最近はそう思えなくなった。背中を預けて戦って、無茶な願いにも手を貸して、何も聞かずに待ってくれて。人間の私にそういうことをする奴が、ただ嫌いなだけのはずがない。

 何か、決定的なことがあったはずだ——ずっと、そう思っていた。



 ぱちぱちと、火が小さく弾けている。それだけの時間が、過ぎていく。



「……答えたくないなら——」


「……集落を、焼かれた」



 声が小さかった。炎の音に紛れそうなほど。



「……人間に」


「…………」



 息を、のんだ。指先が、すっと冷えた。



「私も、そこにいた」



 沈黙。薪の爆ぜる音だけが、やけに大きい。



「……剣を抜いた。でも——私には、覚悟が足りなかった」



 覚悟……。

 続きを、待った。セリアは、すぐには続けなかった。それから——ひとつずつ、置くように。



「人を、斬る覚悟が。——その迷いの間に、何もかも、灰になった」



 エルフは人里を離れ、自分たちだけの集落で暮らす。いつか、そう聞いた。その集落が、燃えた。どれだけの命が消えて、どんな夜だったのか——想像しようとして、追いつかなかった。

 喉の奥が、きゅっと締まった。

 あれだけのことを、たったそれだけの言葉で。それを口にするまでに、この人がどれだけのものを飲み込んできたのか。



「いつ……誰に焼かれたの」



 セリアは、答えなかった。

 問いは、宙に浮いたまま、どこにも着かなかった。



「……私のことも、やっぱり嫌い?」



 口が先に動いた。——人間が、この人から、帰る場所も、隣にいた誰かも、ぜんぶ奪った。その人間と同じ顔で、私は今、この人の隣にいる。

 ひとくくりに憎まれても、おかしくはない。——でも、こうして組んできた私も、結局は「ただの人間」なのか。それを、確かめにいっている。



 セリアは火を見ている。いつもの無表情。でも——目の奥が深い。底が見えない。



「……あなたのことは、一言では言えない」



 言葉を探すような、短い間。



「……変わった人間だと、思う」



 なんだそれ……。

 でも——嫌い、の一言で済むなら、とっくにそう言ってる。それをしないってことは——少なくとも、単純な「嫌い」じゃない。そう、思うことにした。

 セリアの人間嫌いも、ただ高飛車なだけじゃなかった。その奥に、あの夜が、ずっとあるんだろう。



 人間が嫌いなのに、人間の街で、人間に囲まれる冒険者をしている。

 行き場をなくしただけなら、もっと目立たず、人と関わらずに生きる道もあったはずだ。

 ——一つだけ、と言ったのは私だ。でも、もう一つだけ。



「セリアってさ、なんで冒険者やってるの」



 セリアが——息を吸った。小さく。でも確かに。何かを口にするための、準備の呼吸。



「……探している人がいる」


「探してる?」


「……兄を」



 兄。セリアに、兄がいる。初耳だ。

 焼かれた、あの夜。その兄も、あの場所にいたのか。

 でも、「なんで冒険者か」の答えは、それで出た。冒険者なら、各地を回れる。依頼があれば、普段は入れない場所にも踏み込める。人も噂も、自然に集まってくる。——誰かを探すなら、これ以上の立場はない。



 火が弱くなっていた。薪の端が赤く明滅している。

 遠くで梟の声がした。それ以外には、何も聞こえない。



 ——釣り合ってないと思った。

 この人は、集落のことも、兄のことも話してくれた。自分の一番痛いところを、言葉にして。

 なのに私は、力のことを「ある」と認めただけ。——自分が何者なのかは、伏せたまま。



「……前に、砂漠にいた理由のことを聞かれた時」



 セリアの目が、こちらに向いた。



「全部は言えなかった」



 ソロンの顔が頭をよぎった。

 『お主の出自を明かすな』——破れば、間違いなく張り倒される。

 でも、私の一番の急所は、もうこの人に知られている。あの玉がなければ、私が戦えないことも。

 奪われたあの時、取り返してくれたのはセリアだ。誰にも言わず、利用もせず、何も求めず、ただ私の手に戻してくれた。

 そんな人に、自分の傷だけを差し出させて、私は安全圏にいる。それは——筋が通らない。



「……信じなくていい。でも、セリアが話してくれたから」



 深呼吸。一つ。



「実は。……私、この世界の人間じゃない。別の世界から来た」



 セリアの表情が——止まった。

 怒るか、呆れるか、信じないか。どれが来ても仕方ない。

 でも——何も来なかった。セリアは黙って、待っている。続きを。



「私にも姉がいてさ。ある日、突然いなくなって……ずっと探して、見つからなくて。……怪しい本に行き当たって、呪文唱えて、気づいたら、こっち——あの砂漠に転移してた」



 あの遺跡では言えなかった。

 「気づいたら砂漠にいた。自分でも分からない」。それだけが精一杯だった。姉の存在は隠した。言う理由がなかったから。

 でも——セリアが「兄を探している」と言った。探している人がいると。

 私も同じだった。姉を探して、この世界に来た。だから返した。



「……あなたの魔法が、どの型で出しても(むし)になる。——それは別の世界から来たから?」



 セリアの声は、静かだった。驚きを飲み込んで、一つずつ繋いでいる。



「そう、だと思う。——理由は、自分でもわからない。何を出そうとしても、ぜんぶ蟲になる。直しようもなくて。……私が、ここに根のない人間だからかもしれない」



 ……なんて、柄にもないことを言った。

 もっと身も蓋もなく言えば——私は、この世界に紛れ込んだ異物(バグ)だ。



「…………」



 セリアは、すぐには答えなかった。

 薪が白く灰になりかけていた。

 そして——肩から、すっと力が抜けた。



「……驚かない。前から、おかしいと思ってた」



 呆れたような言い方なのに——なぜか、刺さらなかった。

 別の世界から来たと打ち明けても、否定も、追及もされない。根のない人間でも、この人の隣には、いていいらしい。

 セリアが立ち上がった。火の傍まで歩いて、薪を放り込んだ。炎が大きく膨らんだ。

 少し離れた場所に腰を下ろし——こちらを見た。



「……ユズリハ」


「ん」



 反射で返事をした。——それから、一拍遅れて。

 ……ん? 今、名前で呼ばれた?

 初めてだった。

 今まで「あなた」だった。それすら稀で、大抵は主語を省くか、目線で示すだけ。

 ただの登録名。ギルドの書類に書いた、借り物の名前。——なのに、この人に呼ばれると、その四文字が、急に自分のものになったみたいだった。



 ぽつりと、セリアが言った。



「その話……誰にも、言わない」


「……ありがとう。私もセリアのこと誰に言わない」



 セリアが——ほんの一瞬、目を伏せた。それから、毛布を引き寄せ、背を向けた。会話は終わり、という背中。

 いつもの突き放す短さじゃない。飲み込めないものを、そのまま置いた——そういう静けさだった。



 火が、小さくなっていた。

 兄を探すこの人は、まだ見つけていない。姉を見つけた私とは、そこが違う。

 ずっと、お互い壁の手前で止まっていた。それが今夜、二人とも、ほんの半歩だけ、向こう側へ踏み出した気がした。



 「ユズリハ」と呼ばれた響きが、まだ耳の奥に残っている。



 目を閉じた。一人じゃない夜は、久しぶりだ。——今夜は、よく眠れる気がした。

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