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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
ゼロからのリビルド

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階段

「明日。朝」



 それだけ言って、通りの角を曲がっていった。振り返りもしない。白金の髪が建物の影に消える。

 ……返事する前にいなくなるの、やめてほしいんだけど。



 明日に依頼を受けるってことか。セリアと。……Aランクの依頼になるんだろうな。

 頭では理解している。さっき自分で「分かった、行く」と言った。言ったけど——実感がない。数時間前まで腫れた顔で「助けてくれ」と頭を下げていた人間が、いきなりAランクの依頼に行くのか。……展開が早すぎて処理が追いつかない。

 ——ミルシェだ。先に報告しないと。あの子はまだギルドで、ガルドを見張ってるはずだ。もう、ガルドもろともセリアがシメたあとだけど。

 ギルドに向かった。



 ——いた。

 ギルドの中。通りに面した窓に張り付くようにして、フードを目深に被っている。外を——ガルドが来ないか、凝視している目が、妙に真剣だ。

 ……本気で張り込んでる。



「ミルシェ」



 ミルシェが飛び上がった。フードがずれて栗色の髪がこぼれた。



「っ——! びっくりした! ユズリハちゃん、もう戻ってきたの?」


「もう終わった」


「……え?」


「全部取り返した。セリアが。玉も指輪も財布も」



 ミルシェの目が丸くなった。口が半開きになっている。

 こういう顔、珍しい。いつも余裕たっぷりなのに。



「……ちょっと待って。セリアンディエル様探して、お願いして、ガルドから全部取り返して、戻ってきたの?」


「そう」



 ミルシェが口を閉じた。開いた。また閉じた。



「……私の、本気の張り込み♡」


「……ごめん」


「いいけど♡」



 ミルシェがフードを脱いだ。張り込みの緊張が抜けて、いつもの空気に戻っていく。



「場所変えよ♡ ここ、耳が多いから♡」



 通りの端のベンチに並んで座った。ミルシェが張り込み用に買っていたらしいパンを半分——大きい方を、当たり前みたいにこっちに渡してくれた。ありがたい。朝から何も食べていない。

 パンを齧りながら、経緯を話した。セリアを見つけたこと。大型魔物を一撃で両断していたこと。痣を見て「殴られたの」とだけ言われたこと。矢継ぎ早の質問。通りの冒険者に一言聞いただけで、グレイホルン亭の場所が割れたこと。



「……『散歩』って言ったの?♡」


「うん。散歩って……。でもちゃんと取り返してくれた」


「さすがセリアンディエル様♡」



 ミルシェが笑っている。楽しそうだ。人の修羅場を聞いて楽しめるのは、この子の長所なのか短所なのか。

 グレイホルン亭の中の話もした。鈍い音がいくつも聞こえたこと。数分で全部回収して出てきたこと。髪に乱れすらなかったこと。



「……あの人、怖いね♡」


「怖い。本当に怖い」



 ——でも、と言葉を切った。ここからが本題だ。



「……で、ちょっと話がある」



 パンの最後のひと切れを飲み込んだ。



「セリアから条件を出された。次の依頼、一緒に来てほしいって」



 ミルシェの咀嚼が止まった。

 それから——目が、すっと細くなった。



「……へえ♡」



 含み笑い。完全に含み笑いだ。



「ソロ規制で依頼が受けられないから、二人必要だからって」


「それが理由ね♡」


「そう。制度上の理由」


「制度上♡」



 なんで全部オウム返しにするんだ。



「つまりバディってこと?♡」


「バディじゃない。パーティ。……一時的な」



 ミルシェがにやにやしている。



「セリアンディエル様がわざわざ条件にしてくるんだ♡ よっぽど——」


「だからソロ規制だって」


「はいはい♡ ソロ規制♡」



 何も伝わっていない。



「……で、セリアと組むとなると、依頼はたぶんAランクになる」



 ミルシェの笑みが、少しだけ落ち着いた。

 高難易度クエスト。——制度の上では、Aランクの依頼を受けるならAランクが一人いればいい。それなら、頭数は二人とは限らない。三人だって、組めるはずだ。私と、セリアと、ミルシェ。

 ミルシェだけ置いていく理由なんて、ない。セリアに頼んでみればいい。

 そう思って、口を開いた。



「ミルシェも一緒に来られないか、セリアに——」


「ううん♡」



 遮られた。即答だった。さっきの静けさが嘘みたいに、もう、いつもの軽い声に戻っている。



「セリアンディエル様と二人で、って話でしょ?♡ そこに私が交ざったら、お邪魔だもん♡」



 ……言い返せなかった。連れていきたいなんて、私の都合でしかない。ミルシェは、それを先に見抜いていた。

 ——でも。ミルシェの目の奥が、ほんの一瞬、ふっと遠くなった。

 次の瞬間にはもう、いつもの笑顔だった。



「でも……」


「大丈夫♡ 私は私でやることあるから♡ フィルたちも戻ってくるかもしれないし♡」


「……ミルシェ」


「ユズリハちゃんはセリアンディエル様と頑張りなよ♡」



 ミルシェの指先が、私の頬に伸びかけた。薄くなった痣の跡に。今朝と同じ——でも今度は拳にならずに、途中で止まって、下ろした。

 ミルシェが立ち上がって、うんと伸びをした。



「Aランクの依頼なんて、私じゃ見られない景色だ♡」



 笑っている。いつもの笑顔だ。



「……張り込みのパン代とかもろもろ、今度返す」


「いらないよ♡ そのかわり♡」


「何?」


「Aランクの依頼がどんなだったか、教えてね♡」


「……うん」


「あと、たまには私とも組んでね♡」


「……当然」



 ミルシェがわずかに寄ってきた。肩が触れている。

 いつものじゃれつきとは、少し違う。体重を預けるみたいに、静かに。

 触れたところが、温かかった。私は、動かずにいた。



 翌朝。

 ミルシェが当たり前みたいについてきた。『私も依頼、探さなきゃだし♡』と。

 二人でギルドに入った。カウンター前に——見覚えのある銀の短髪。鋭い目。革鎧。

 フィルだ。

 左腕にはまだ薄く包帯が巻かれている。でも、以前の重傷とは比べものにならない。ほぼ治りかけだ。

 その半歩後ろに、小さな影。薄い緑の透き通った髪。蝶の羽のような耳飾り。——リコ。フィルに付き添うように、すぐ傍に立っている。

 懐かしい、と思うより先に、足が前に出ていた。

 協会の任務から、ガルドの件まで、ずっと気を張りっぱなしだった。それが、二人の顔を見ただけで、ふっとほどける。フィルの腕は治りかけで、リコも元気そうで。——それだけのことが、こんなに沁みるとは思わなかった。



「フィル、リコ——!」



 フィルが振り返った。鋭い目がこちらを見て——私の顔で止まった。



「ユズリハ。久しぶりだな。——協会の任務はどうだった」


「……なんとか。生きて帰ってきた」


「そうか」



 フィルの視線が、頬の痣に移った。



「——で、その顔は何だ」



 腫れも痛みもセリアが消してくれたのに、色だけは残っている。言ってた通りだ——今朝、宿の鏡で確かめた。黄色くなりかけて、治りかけが一番みっともない。



「階段から落ちた」


「……階段」



 追及は、してこなかった。聞いても仕方ない、と思ったんだろう。



「ユズリハさん、お久しぶりです。ご無事で良かったです」



 リコが小さく頭を下げた。柔らかい笑顔。でも目の下に薄い隈がある。



「リコも久しぶり。……体調は?」


「私は大丈夫ですよ。フィル様の方がずっと大変でしたから」



 リコがフィルの方を、ちらりと見た。まだ少し、心配そうに。



「フィルー! リコちゃーん♡」



 ミルシェが横から飛び出して、リコに抱きついた。それから、フィルに向かって何か早口で喋っている。フィルが頷いた。

 ……騒がしくて、よく聞き取れなかった。



「久しぶり♡ 元気だった?♡ リコちゃん、ちょっと疲れてない?♡」


「わわ、ミルシェさん……! は、はい、平気ですよ……」



 リコが小さく笑った。

 ミルシェがにこにこ笑っている。



 フィルが腕を組んだ。



「パーティの件だが——ユズリハはセリアンディエル様と組むらしいな」



 ミルシェの方を見た。素知らぬ顔で笑っている。……さっき挨拶してる間に話したな。



「腕がまだ本調子じゃないが、俺もそろそろ依頼を再開する。……また俺と組んでくれないか、二人がよければ」



 フィルがリコとミルシェに視線を向けた。二人とも頷いている。



 と——ギルドの扉が開いた。

 重い足音が、三つ。入ってきた男の姿を見て、カウンター周りがざわついた。



 ガルドだった。

 ——全身、包帯まみれ。右腕を吊っている。顔の左半分に大きなガーゼ。歩くたびに体が左に傾ぐ。

 後ろからついてくる手下が二人。一人目は顔中包帯で片目しか見えていない。二人目は松葉杖だ。

 三人揃って、満身創痍。中で何があったかは、見ていない。でも——誰にやられたかは、知ってる。

 ……一晩で治療所走り回ったんだろうな。同情は、しない。



 受付の女性が、カウンター越しに声をかけた。



「ガルドさん……どうされたんですか?」



 ガルドが目を逸らした。



「……階段から落ちた」



 間。

 手下A——片目の包帯の隙間から虚ろな目を覗かせながら。



「……俺も階段から落ちました」



 手下B——松葉杖に体重を預けながら。



「……俺もです」



 受付が三人の顔を、交互に見た。



「……同じ階段から?」



「「「同じ階段からだ!!」」」



 ギルドが静まった。

 ……どんな階段だよ。

 フィルが隣で——私の顔と、ガルドの包帯を、交互に見た。



「……最近、階段から落ちるのが流行っているのか」


「……そうみたいだね」



 ガルドたちがカウンターで依頼の手続きを始めた。その怪我でやるのかよ……。

 ——いや、働くしかないのか。私から奪った玉も金も、セリアに根こそぎ取り返された。売り飛ばして一儲けの当ては消えて、残ったのは三人分の治療費だけ。

 しかも、手にしているのはFランクの依頼票——薬草採取だ。その満身創痍じゃ、危ない仕事は受けられない。Bランクの肩書きで、三人で駆け出しの小遣い稼ぎ。……ここまで落ちるか。



 しばらくして——ギルドの入口が、また開いた。

 空気が変わった。酒場のざわめきが、さざ波みたいに引いていく。カウンターのメリルが背筋を伸ばした。何人かの冒険者が手を止めて振り返った。

 白金の髪。赤い瞳。長い耳。

 セリアンディエルが、ギルドに入ってきた。



 ——来た。周囲の冒険者の視線が一斉に集まる。ギルドの真ん中に、道ができた。セリアは誰とも目を合わせず、その道を真っ直ぐ、私の方へ歩いてくる。

 そして、私の横で足を止めた。



「おはよう」


「……おはよう」



 ギルド中の視線が突き刺さっている。

 セリアが掲示板に目を向けた。赤い紙——Aランクの依頼票を一枚抜いて、カウンターに持っていく。……やっぱり、Aか。



 メリルが——別人になった。それまでの事務的な無表情が嘘みたいに、顔が輝いている。

 ただ、メリルの椅子には、見慣れないクッションが一枚。座面の真ん中がご丁寧に、ドーナツみたいにくり抜かれている。同僚たちの気遣いは、まだ風化していないらしい。



「セリアンディエル様! お久しぶりです! すぐにお手配いたします! パーティの方は——」



 メリルの目が私に移った。笑顔のまま、ほんの一瞬だけ目の温度が変わった。



「——ユズリハさん、ですか」


「Aが一名いれば問題ないでしょ」



 セリアが短く言った。メリルが反射的に頷いた。



「は、はい! もちろんです!」



 ……セリアが言うと、一切の反論が消えるのすごいな。

 ふと、セリアを見た。横顔が、いつもより少しだけ、やわらかい。



 手続きを待つ間、ガルドの方に視線を移す。

 カウンターの端で、石像みたいに固まっている。セリアから、目が離せないらしい。包帯の隙間の目が、はっきり怯えていた。

 ……一昨日の夜、私を殴り倒して身ぐるみ剥いだ男が、今は壁の染みみたいに縮こまっている。

 その怯えた目が、ふいに私を捉えた。私と、セリアを、何度も見比べて——気づいたらしい。自分がカモにした相手が、今、誰の隣に立っているのかを。

 血の気が、音を立てて引いていく。ガルドは書きかけの依頼票を放り出し、手下を引きずるようにして、転がって出口へ逃げていった。——なけなしの稼ぎになるはずだった、薬草採取の依頼を、置き去りにして。

 セリアは、掲示板しか見ていない。あんな男、最初から眼中にない。

 ——因果応報。本当に、いい言葉だ。



 手続きが終わった。明日の朝、東門集合。Aランク、東部森林区画の魔獣駆除依頼。

 森ひとつ分の魔獣を狩るんだ。朝から入って、丸一日がかりになる。今から出たって、中途半端に日が暮れるだけ。だから、出るのは明日。

 報酬の桁が——二つ違う。Cランクとは世界が違う。



 ギルドの入口が開いた。

 入ってきたのは女性の冒険者だった。赤い髪を高く結い上げている。——見覚えがある。前に、メリルに「セリアンディエル様は最近いらしてる?」と聞いていた女だ。ミルシェが「ちょっと怖い♡」と言っていた。

 女の目が、ギルド内を走査した。——セリアを見つけた瞬間、目の色が変わった。熱を帯びる、というのがこんなに分かりやすい顔も珍しい。

 それから——セリアの傍らの私に気づいた。カウンターには、二人で受けた依頼の控えが、まだ広げられている。

 ——目が、死んだ。女の足が止まった。何か言おうとして——言えずに、踵を返した。出口に向かう背中が、前に見た時より重い。

 ……最後に、しっかり私を見ていった。……これ、目の敵にされるやつじゃないだろうな。



「……また明日。朝」



 セリアがそれだけ言って、ギルドを出ていった。

 私とセリアを見比べて、フィルが苦笑していた。リコが小さく頷く。ミルシェは「いってらっしゃい♡」と手をひらひらさせて、二人と一緒に掲示板の方へ戻っていった。

 ……一人になって、ようやく息をついた。



 明日から、Aランクの依頼だ。セリアと、二人で。

 初めてのAランク。緊張は、する。——でも正直、その緊張より、あの人と二人きりでいることの方が、よっぽど落ち着かない。まあ、これだけの相手と組むんだ。仕方ない。

 二人で組むなら、連携がものを言う。ただ——一群を一点に放つだけならいい。でも、あちこちから同時に来られて、蟲を群ごと分けてさばくとなると、私にはまだ無理だ。その不器用さを、この依頼でさらすことになる。

 ……ちゃんと、戦力になれるんだろうか。明日になれば、嫌でも分かる。

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